1949(昭和24)年11月3日

湯川秀樹氏に日本人初のノーベル賞

 1949(昭和24)年11月3日、湯川秀樹氏へのノーベル物理学賞の授与が決まりました。日本人初の快挙です。

 終戦から4年あまり、当時の日本は戦争の傷跡が深く残っていました。東証での株取引が再開されたのはこの年の5月。そんな状況でのノーベル賞受賞の吉報は、日本人に希望を与えました。

 湯川氏の業績は原子の構造を解き明かしたことです。原子核の内部で陽子と中性子を結合させる「強い相互作用」の媒介となる中間子の存在を1935年までに理論的に指摘。1947年に実際に中間子が観測されたことで、湯川氏の理論の正しさが実証されました。

 湯川氏は核兵器の廃絶運動に賛同。1955年には科学技術の平和利用を訴えるラッセル・アインシュタイン宣言をアインシュタイン博士らとともに発表しています。ノーベル賞を運営するノーベル財団の公表資料によると、湯川氏は1966年のノーベル平和賞候補になっていました。

 京都大学基礎物理学研究所(湯川記念館)前には、湯川秀樹の胸像が設置されています。

1949年11月3日の日経平均株価終値は

137円78銭

※当日は祝日のため前営業日の株価。