1927(昭和2)年4月22日

昭和金融恐慌対策のため、モラトリアム実施

 

 1927(昭和2)年4月22日、昭和金融恐慌を収束させるため、大蔵大臣の高橋是清が、全国の銀行に金銭債務の21日間支払猶予令(モラトリアム)を設定。その後、次々と対策を打ち、金融不安は収まりました。

 昭和金融恐慌は、第1次世界大戦後の不況と、関東大震災後に発行した手形が不良債権化して、社会に金融不安が蔓延していた状況下にあった同年3月14日、衆議院予算委員会での片岡直温蔵相の失言が発端となり、全国で預金者の取り付け騒ぎが発生して起こりました。

 高橋是清はこの昭和金融恐慌を収束させた後も3度蔵相を務め、1929(昭和4)年の昭和恐慌に直面した際にも日本経済の立て直しに尽力しました。しかし、6度目の蔵相任官時の1936(昭和11)年に起きた二・二六事件により、暗殺されました。