(※本記事は2018年2月5日に著者のブログに記されたものです)

 数週間後に安倍首相は次期日銀総裁を指名しなければならない。この指名は今後の「アベノミクス」の行方を左右する重要な決断となるだろう。安倍首相は5年前の就任時に財務省出身の実力者である黒田東彦氏を日銀総裁に登用し、この決断によって首相の意欲的な経済政策は速やかに信頼を得ることとなった。

 現在でも、「クロダミクス」が最も目に見えてわかりやすい「アベノミクス」の牽引役であることは多くのエコノミストが認めるところである。個人的には、その専門家としての力量に照らし、黒田氏の再任に疑いを差し挟む余地はほとんどないと考えている。

 戦後、日銀総裁が再任された例はないが、それは歴代首相が再任の決断を下すほど長く政権を維持できなかったためでもある。今は、安倍首相にとって日本が安定的な政権を確立したことを世界に示すまたとない機会である。何十年にもおよぶ政局不安と不安定な政策運営の後に、安倍首相が率いる日本は「安定した基盤」を手に入れ、目標を達成するだけの力量があり、信頼に足るリーダー達が政策を策定している。

 日銀に関して言えば、たしかに日本はデフレから脱却しつつあるが、5年前の就任時に黒田総裁が掲げた2%の物価目標には遠くおよばない状況にある。日銀にまだやるべき仕事があるのは確かである。

「誰がなるのか」という興味深いテーマはさておき、ここでは「何をなすべきか」という、次期日銀総裁が直面するいくつかの現実的な課題について考えてみたい。

 金融政策と財政政策は常に協調関係を維持しなければならない。その意味で、次にマクロ経済面での協調が実際に試される局面は、消費税率が現行の8%から10%に引き上げられる2019年10月にやってくる。過去3回の増税後にはいずれも景気が後退した。さらに、2019年の夏終盤にはオリンピックには付きものの建設ラッシュが目に見えて減速してくるだろう。

 従来、オリンピック開催の約1年前になると建築・建設活動の勢いは弱まる。はっきり言えば、2019年から2020年にかけて、日銀およびその金融政策は国内経済の悪化にしっかりと対処するという一層の重責を負うことになる。

 それゆえ、現在の政策決定と見通しについては大いに紛糾が予想される。日銀の政策委員会とほとんどの民間エコノミストは2019年半ばから後半のどこかで、2%の物価目標達成が視野に入ってくると予想している。これは、消費税増税の実施とオリンピック景気の終息を受けて、日銀の刺激策がそれまで以上に必要となる時期と重なるため、金融市場は日銀が物価目標の達成を宣言し、利上げに踏み切るという懸念を抱えることになるだろう。引き続き経済成長推進を最重要視していることを市場に納得させるのはますます困難になると思われる。

 市場との対話に関する方針とスキルが試され、現実的には、国債利回りへの上昇圧力をかわすため、日銀は再び国債買い入れを強化せざるを得ないかもしれない。

 これとは全く別に、次期日銀総裁を待ち受けているのは国内銀行システム、中でも地銀の問題である。確かに、マネーセンター・バンク21行が最終的にメガバンク3行に統合されて以来、日本の中心的な銀行システムは強化され、資本力や経営力にも問題はない。

 一方、地銀などの中小規模金融機関は体力が弱く、乱立しており、信頼に足るビジネスモデルやフランチャイズ・バリューに欠ける例が多い。100行以上ある地銀の大半は統合が避けられないとみられるが、金融市場ではこの統合によってメガバンクが被る負担を危惧する声も多い。金融当局は強引に統合を進めて、健全な銀行に弱体化した地銀の面倒を見させようとするだろうか?このような不安は的外れであろう。

 エコノミストの見方からすれば、金融機関の生産性が向上し、資本配分の効率性が改善して初めて日本経済の生産性と効率性も高まるのである。小規模な(地方の)金融システムの再編は、次期日銀総裁にとって非常に困難な課題である。

 地方経済を信用収縮で苦しめることなく、また、地方住民の信頼感を失うことなく、この再編プロセスを進めるためには、巧みな交渉術と日銀のリーダーシップに加え、政治的資本が必要になる。地方の票は非常に重要なのだから。

 もうひとつ国内で日銀がリーダーシップを発揮する可能性があるのは、現在、イノベーションと起業家精神を最も刺激する分野のひとつであるフィンテックである。イノベーションを促進し、起業家精神を鼓舞するエコシステムの推進は言うほど簡単ではないが、日銀が重要な役割を果たすことは可能である。「レギュラトリー・サンドボックス」環境やインキュベーターの支援はひとつの方法である。

 業界リーダーと新興のフィンテック起業家の橋渡しを積極的に行うこともできる。各国の間では、中央銀行が最初の「フィアット(法定通貨)・ブロックチェーン」(中央銀行が後ろ盾となったブロックチェーンベースの決済基準)を導入する競争が繰り広げられている。日本のメガバンクはこの流れをリードすべく懸命に努力しており、ブロックチェーンの調査・開発に多額の資金を投入している。しかし、実際にグローバル基準を設定し、信頼できる真のグローバル・プラットフォームを整備ためには日銀と政府の支援が必要になる。  

 次期日銀総裁はこのプロジェクトで銀行の未来を創り上げるか、さもなければこの分野で先行している中国、あるいは韓国に追いつくために必死にならざるを得ないだろう。

 最後になったがこれも重要な点として、次期日銀総裁は政策目標の信頼性をより体系的に高めていく必要がある。イノベーション、破壊、激しい競争が絶え間なく続く今日、単なるインフレ目標の意義は薄れてきていると言えるだろう。

 技術革命が起こる前の古き良き時代には、インフレ目標は経済に対する速度規制の役割を果たしていた。つまり、物価上昇率が2%を超えれば中央銀行がブレーキをかけるという具合であろう。なぜか?。物価の上昇は供給が需要に追いついていないことの表れであり、需要を抑制する責任があったからである。

 今日では、テクノロジーの進歩、旺盛な起業家精神、さらにはグローバル化が絡み合い、多くのセクターや業種で供給はますます過剰になり、結果として多くの産業分野が事実上、価格支配力を失っている。無論、これは一過性の問題にすぎないのかもしれない。しかし、ゼロコストのスケーラビリティが定着しつつある現在、物価目標の妥当性が中央銀行の政策にとって唯一の判断基準なのか考えてみる必要があるだろう。常識的にみて、複雑さが増す環境においては、それに応じた複雑な目標が求められる。

 事実上、日銀の政策委員会が物価目標の達成時期の見通しを先送りするたびに、日銀に対する信頼度は失われていく。ただ、現行サイクルではこれまでのところ、この「約束は大きめ、結果は小さめ」という状況が日銀にとって有利に働いている。目標が達成できないことで日銀は一層の努力を求められ、結果として市場は喉から手が出るほど欲しいもの、すなわちフリーマネーを手にするからである。では、実際に物価目標が達成されたらどうなるのだろうか?スマートな解決方法は目標の変更である。

 安倍首相は「GDP600兆円」を目指すと主張し始めた2年前に、恐らくこうした方向に動き出していたのであろう。筆者も含め多くのエコノミストは、この目標が非常に前向きかつ実現可能と考えている。次期日銀総裁がこの方針を踏襲するか見守りたい。

2018年2月5日 記

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