先日、市民大学の講座で年金生活者世代向けの消費者教育をしてきました。株や投信をまだ買ったことのない方を主対象に、頻発する金融詐欺的商品の見分け方と、金融機関のセールストークからの身の守り方についてお話をさせていただきました。
そのときの話で一番ウケたのが「『いいかも!』と思ったら、あなたは『いいカモ』ですよ」というものでした。分かりやすい言葉でうまくポイントを表現できたと自負しているわけですが、意外に奥深いところがあるように思います。
そこで今回は、楽天証券に口座を持ち、リスク資産運用を実践されているであろう読者のレベルで「『いいかも!』と思ったら、『いいカモ』」問題について考えてみたいと思います。
なんとなく「いいかも!」は完全に「いいカモ」だと心得よ
投資未経験の方にお話しした「『いいかも!』と思ったら、『いいカモ』」というのは、もっぱら金融詐欺的商品についてのお話でした。うまい話を聞かされて、興味を示し始めた段階、相手のことを信じてみようかと思った段階で、実は相手の術中にはまっていることに気がつきません。それを避けてほしいためのキャッチフレーズです。
「年率20%は確実」とか「元本保証で高利回り」といった明らかなセールストークは排除することが「いいカモ」にならないための第一ステージといえます。
しかし、まともな金融商品においても、「いいカモ」になる個人投資家は後を絶ちません。本連載のメインテーマである「なんとなく投資」と「いいかも!」は似ているところがあるからです。どちらも、きちんと理解していないにもかかわらず、雰囲気で商品購入している状態だからです。
「なんとなく」と「いいかも!」を合体させて「なんとなく、いいかも!」となったら、これは投資においては最悪の選択といえるでしょう。完全に「いいカモ」になってしまうと心得る必要があります。
我思う故に我あり、疑って疑ってなお疑う姿勢が重要
「なんとなく、いいカモ!」はどういう流れで生じるでしょうか。いくつかのアプローチが考えられますが、以下のような買い方をする客は、金融機関にとっていいカモでしょう。
- パンフレットやCMの美辞麗句だけで購入を決める
- パンフレットやCMに登場するタレントの笑顔で購入を決める
- 過去の運用実績だけで購入を決める
- オススメだと言われて他を比較せず購入を決める
- 雑誌等のメディアの推奨だけで購入を決める など
「なんとなく、いいカモ」の共通点は、自分の頭で判断していないということです。何かポジティブな情報を見せられて、相づちを打つように「いいかも!」と感じ始め、ただ入ってきた情報だけで購入を決めています。
冷静に考えれば、こうした情報は何ら確実性をもって将来を約束するわけではありませんし、「今は自分に入ってきていない情報」のほうがたくさんあるということも考え合わせてみるべきですが、そういう疑いの目もなく、投資決定をしてしまっています。
「なんとなく、いいカモ」から卒業するためにぜひ持ちたい、「疑う視点」としては下記のような視点をもって投資商品の吟味を行うといいでしょう。
- 私の目に届いていないところに異なる視点の情報がないか
- 同等の運用はより安い条件で可能ではないか
- 過去の実績は将来を保証しないのではないか
- この相手は私が当該商品を購入することでいくら儲かるだろうか
家電品を購入するとき、楽天市場などの通販サイトのレビューを読む人は多いと思います。いい評判だけでなく、良くない点を指摘しているレビューも読みつつ検討を行う人は、購入の失敗を避けられるはずです。投資についても同様で、プラスの評判だけで判断しないようにすれば、失敗の可能性は大きく下がります。
なお、金融機関が金融商品から利益を得ることはおかしいことではありません。小売業や流通がどんなに小さな金額の決済を行ったとしても、その売り上げの一部はちゃんと利益につながっています。「適当な手数料かどうか」に着目して検討するといいでしょう。
デカルトの有名な命題に「我思う、故に我あり」というものがあります。方法的懐疑によって一切を疑ってもなお、自分自身の存在は否定できないとする哲学の原理のひとつです。「投資においても我思う故に我あり」と考え、「周囲の一切の情報に適切な懐疑心を抱くこと」が重要です。
また、デカルトを超えて(!)、「自分も疑う」ことが必要です。本連載の読者であれば、すでに投資経験や知識を蓄えている人が多いと思いますが、むしろその知識や経験が自我として成長し、プレーンな投資判断を行いにくくしている場合があります。
自分自身の予断や先入観が投資判断をゆがめるバイアスとなっていないか、考えてみる視点があれば、「なんとなく、いいカモ」からは卒業できることでしょう。自分を俯瞰した視点から客観視したいところです。
最後の責任を負うのは自分と自分の財産だからこそ考えよう
投資において、なぜそこまで疑う必要があるのでしょうか。疑り深い子どもは大人からたしなめられるものです。信用できない世の中なんて世知辛いと思う人もいるでしょう。
しかし、どんな投資結果も自分のみが負うことになります。通常の金融商品販売であれば投資判断ミスを金融機関が補てんすることはありません。金融詐欺的商品の販売者ならなおさら、損失補てんは期待できません。デカルトの時代より今のほうが厳しいと思って、疑って疑い抜く気持ちを持つべきです。
このとき、疑うことで私たちが損をすることはありません(結果として得するチャンスを逃すことはあるかもしれませんが、疑って損をすることはない)。疑うことで不利益を避けられる可能性が高まるわけですから、個人の投資家としてしっかり目を見開いてみてください(例えば、上場企業の社長のインタビュー2000文字程度にあっさり感銘を受けて、すぐ投資をするような人も「疑いの目」が足りないかもしれません。しっかり企業の成長性を分析してから投資に臨むべきでしょう)。
また、疑いすぎるほど疑うべき最大の理由は「嘘をつく人たちは全身全霊で嘘をつく」からです。金融詐欺的商品のほとんどすべては、顧客はもちろん金融庁もだますために全力を尽くしています。AIJ投資顧問などは社内のスタッフのほとんども騙していたほど、必死に粉飾や虚偽の表示を行っていました。証券取引等監視委員会が行政処分の勧告を出した業者なども、広告や販売時説明と実態が異なっていたことがほとんどです。こうした嘘を100%見分けるのはほとんど困難ですから、「疑いの目」をもって、疑わしいものは遠ざけるくらいがちょうどいいと考えるべきなのです。
「なんとなく、いいかも!」と考えて軽い気持ちで投資をすることは「いいカモ」になるばかりです。投資をスタートさせた個人投資家も、いいカモになるリスクは常にあると考え、しっかり投資に臨んでほしいところです。