現状

 2023年3月、東京証券取引所(以下、東証)は上場企業に対して、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応などに関するお願いについて」という異例の通達を行いました。内容をざっくり説明すると、東証が上場企業に対してPBR(株価純資産倍率)1倍以上を目指せと要請したのです。

 同時に、東証傘下のJPX総研は、PBR基準を考慮したJPXプライム100という株価指数を組成することを発表しました。証券取引所がこのような取り組みを行うのは、世界的にも非常に珍しいです。こうした異例の要請や株価指数の組成が影響したことで、低PBRの大型銘柄を中心に株価が急騰し、PBRバブルのような動きが起きました。

 では、この株価急騰劇はどこまで続くのでしょうか? 金融市場の歴史と、PBRとROE (自己資本利益率)の関係から考察していきます。

デジャブ

 私は、東証からのPBR1倍以上を目指せという通達や、JPXプライム100指数を見たときに、デジャブのような感覚に陥りました。というのも、第二次安倍内閣で行われた取り組みとそっくりの事が起きているのです。

 当時、先進国の中でも日本の上場企業のROEの低さが注視されており、アベノミクスにおけるコーポレートガバナンス改革で対策が練られていました。その対策として、2014年1月から優良ROE銘柄で構成されたJPX日経400指数が算出されたのです。

 これも、当時は世界的にも非常にまれな取り組みということで、海外から注目を集めました。政府・東証の狙いとしては、上場企業にこの株価指数に組み入れられたいと考えてもらい、各上場企業がROEを向上させるよう努力してもらうことです。

 しかし、このような株価指数が作られたぐらいで、上場企業の行動が変わるか疑わしく思う読者の人も少なくないでしょう。こうした疑惑について、データを用いて検証した研究論文(*1)があります。この論文は、ファイナンス研究における世界トップ5に入る学術雑誌に掲載されたこともあり、大きな注目を集めました。

 ここでは、JPX日経400指数の算出が開始された2014年前後に、JPX日経400指数に組み込まれるか、組み込まれないか微妙なラインにいる企業群を対象にDiffrerence in Digfferenceという経済学のメソッドを用いて検証を行っています。結果は、JPX日経400指数に組み込まれるために、経営者がROEを高めるための行動を行うように変化していたということでした。

 なぜ、行動が変化したのかについては、この論文では「Shame =恥」の効果が企業経営者のインセンティブにつながったとしています。つまり、JPX日経400指数に組み込まれないということは、ROE向上に努力していない企業として投資家から見なされる可能性があり、そうした恥を回避するために経営者は行動したということです。

 確かに、この指数が発表された時には、株主総還元率100%(!)を打ち出した企業も散見されました。短期的にROEを向上させるには、株主に対して自社株買いや配当でお金をバラまくことが有効だからです。

 そのため、ROEが低い企業では株主還元を強化するのではないかという思惑が流れたことで、日本の低ROE銘柄が急騰する動きを見せました。でも、こうしたミニバブルのような動きは長く続きませんでした。

 長期的に高ROEを向上させるには、お金を株主にバラまくだけでは限界があり、将来の企業成長のために株主還元を減らしてでも研究開発費や設備投資に対して投資をすることも重要だからです。

 上述した論文では、一部の上場企業は研究開発費や設備投資を減らして、ROEを向上させるために株主還元を強化させたと報告しています。実際、アベノミクス時代にJPX日経400指数が注目されたのは、肌感覚としては組成から1年ほどです。

PBRバブルはどこまで続くのか?

 さて、こうした金融市場の過去から、今回のPBRバブルはどこまで続くのか考察してみようと思います。PBRは下記のように分解できます。

PBR = PER (株価収益率) ✖️ ROE

 短期的にROEを向上させることは、目先のPBR上昇につながりやすくなります。そのため、過去のJPX日経400指数のように、まずは資本効率を上げようとばかりに、自社株買いや増配を発表する低PBRの大企業が目立ちました。そうした取り組みを行う企業が多いと予想した投資家が多かったのか、日経平均株価は3月下旬から急騰し始めました。

 しかし、そもそもの課題として、PBRが低いことは本当に市場から評価が低いと見なされていると考えてよいのでしょうか? 例えば、PBRは低く、ROEが低い、しかしPERが高い企業というのはどう評価したら良いのでしょうか?

 こうした企業は、投資家から将来利益へ期待が寄せられている成長企業だが、新規事業などを行い先行投資がかさんだことでROEなどの資本効率が低下しているだけなのかもしれません。こうした企業が目先のPBRを上げようとしたら、設備投資を減らさざるをえないかもしれません。

 加えて、冷静に考えてみるとROEを上げることが、本当にPBR上昇の因果関係になるのでしょうか? 日本の上場企業におけるPBRの推移を検証している研究(*2)では、直近10年間で日経平均は約3倍にも伸びているのに、平均PBRはほとんど伸びていないことが指摘されています。

 この研究では、考えられる理由の一つとして、円安により輸出企業が思わぬ形で純資産が増えてしまったことがROE向上のハードルの高さにつながっているのではないかと示唆しています。

 ここまでの話をまとめると、PBRの向上は、短期的にROEを向上させること以上に、市場要因も重なり非常にハードルが高いと考えられます。

 となると、JPX日経400指数バブルのように、上場企業側も短期的に株主還元を向上させて短期的にROEをあげて、長期的にPBRを上げようとするのはハードルが高いことにどこかで気付くと推測されます。短期的に株主還元バブルは、アベノミクス同様に1年ほどで終わる可能性もあるのかもしれません。

 となれば、長期的にPBR向上が起こりそうな企業に対して投資選択を行うことが重要になってくるでしょう。そのためには、投資先企業のESG経営をウオッチすることが重要になります。次回では、そうした見方について考察していきます。

研究1
Akash Chattopadhyay, Matthew D. Shaffer, Charles C.Y. Wang, 「Governance through shame and aspiration: Index creation and corporate behavior」,Journal of Financial Economics, Volume 135, Issue 3, March 2020, Pages 704-724

研究2
宮川 壽夫著『長期データから見る 日本企業の資本効率と株主価値との関係』月刊資本市場2023年8月号より

<執筆者紹介>

崔 真淑氏
エコノミスト(MBA in Finance):研究分野は、コーポレート・ファイナンス。一橋大学院大学院博士後期課程在籍。
株式会社グッド・ニュースアンドカンパニーズ代表取締役、株式会社カオナビ社外取締役。
学術的エビデンスを軸に、企業に対してファイナンスやガバナンスに関するアドバイスを行う。
同時に、メディアで経済・資本市場を解説。主な出演番組は、テレビ朝日『サンデーステーション』、フジテレビ『Live News α』、テレビ東京『昼サテ』、日経CNBCなど。
最近の研究では、山田和郎博士と「Does Passive Ownership Affect Corporate Governance? Evidence from the Bank of Japan’s ETF Purchasing Program」を執筆。

<書籍>投資一年目のための経済と政治のニュースが面白いほどわかる本

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