これまでのあらすじ

 信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始めた。毎週金曜夜にマネー会議をすることになった二人。いよいよ投資を始めた矢先、海外で大きな紛争が起こり、株も投資信託も価格が大暴落。動揺する理香を、なんとか落ち着かせた信一郎は…。

世界はお金でつながっている

「というわけなんだ」

 株価に一番敏感なのは、やはり金融業に勤めている人物だ。大学の先輩でチェス友でもある工藤は、国内大手の金融機関に勤めている。勤務地が近い工藤から、たまたまランチの誘いを受けた信一郎は、ここぞとばかりに愚痴をこぼし始めた。

 コトの顛末を聞いた工藤は、大笑いしてコーヒーをすすった。

 

「投資を喧嘩の種にしない方法を教えてくれ」

「そんなの知るか。余計な一言を言わなきゃいいだけの話だろ。自分が言いだしたせいかも、なんて、理香さんは単純…い、いや、誠実じゃないか」

 この先、投資結果がどうなっても、「お前のせいだ」「あなたのせいよ」と責任を押し付けあうのだけはダメだ、と工藤は念を押した。

「分かってる。理香に言われて始めたとはいえ、最後は自分の判断でGOしたんだから理香のせいだなんて思ってないよ。それに、投資を始めたからこそ、紛争も対岸の火事じゃない、って痛感したんだ。世界と僕たちは経済でつながってるんだな」

「そういうこと。分かってよかったじゃないか。理香さんのおかげだよ」

 工藤に畳みかけられ、信一郎は肩をすくめた。

「だけど、分散投資していても、下がるときっていっぺんに下がるんだな」

「天気と同じで、晴れの時もあれば雨の時もある。台風だって来る。長期投資をしていると、ある程度の上下は覚悟しないと」と工藤は諭した。

「でも、投資を始めたしょっぱなから暴落を経験したにもかかわらず、動揺する理香さんをなだめて落ち着かせるなんて、信一郎はさすがに冷静だな」

「…というより、仕事が修羅場すぎてそれどころじゃなかったんだよ。僕は仕事とプライベートのマルチタスクが得意じゃないんだ。それに理香の動揺が激しすぎて、引いてしまったっていうのが事実かな。理香のブレーキ措置になるしかなかったというか…。内心、理香と同じくらい動揺はしてるよ」

 こういうとき、どんなふうに心を保てばいいんだろう…と腕組みした信一郎に、工藤は「ちょっと難しい話になるけど…」と話し始めた。

「暴落時でも冷静でいられるためには、まず[資本主義]を理解していることが大事かな」

「資本主義? なんでそこまで話が広がるんだ?」

 まあ聞けよ、と工藤は話を続けた。

 資本主義は、思想家の理念や理想からうまれた社会主義とは違い、現実を生きる人々の欲求が作り上げた仕組みだ。太古からの自給自足生活から、労働を提供することで収入を得る商工業の時代に変化し、収入を得るための手段を選ぶ「自由」と「責任」が生じた。そして、得た収入を、個人が所有できることで、「利益を追求する」という行為の燃料となった。

「資本主義社会の現代では、富は平等に分配されるんじゃなく、自分で勝ち取り、増やしていける、っていうことなんだな」

「そのとおり」

 工藤は大きくうなずいた。

 

「資本主義を作り上げているのは、政治でも、誰かが作ったしくみでもなく、僕たち一人ひとりなんだよ。働いて収入を得て、それで生活に必要なものを買って、経済を回す。それだけでも十分に資本主義に参加しているけれど、投資を始めたということは、もっと直接的に資本主義社会に燃料を投入していることになる」

「昨日の空爆で、仕事もえらいことになったんだけど、株価や投資信託が一気に暴落したのを見て、自分も世界の一員なんだと確信できたな」

 感受性の高い理香は、それが感情面で爆発してしまったけれど、夫婦そろって、自分が世界の一員であることを痛感した1日だった、ともいえる。

「つながっている以上、世界のどこかで景気がよくなれば、そのよい影響も受けられるっていうことだよ。一番ダメなのは、慌てて解約したり、月々の積み立てをストップしたりして、資本主義社会から[イチ抜けた]してしまうことだ」

「なるほど…」

 含蓄のある工藤の言葉に、信一郎は深くうなずいた。

「長期分散投資の、本当の意味が分かってきた気がする」

「僕たちがいなくなった後も、経済を中心に社会は回り続ける。それくらい長期で考えておくと、昨日の暴落なんてかすり傷だよ」

 工藤の話を、理香にも分かりやすく話してやろう。信一郎は決心しながら、すっかり氷が溶けてしまったアイスコーヒーを飲み干した。

<3-6>目的と手段を取り違えてはいけない