息子に教えた「お金の稼ぎ方」

 私事で恐縮ながら、筆者は、先日息子に手紙を書いた。大学に入学するので、そのお祝い、親から息子へのお礼、そして、「親孝行はもう済んでいる」、「早く大人になれ」、「将来は好きなことをしていい」といった趣旨の内容だ。それだけで終わりにした方が簡潔だったかも知れないのだが、働き方、お金の稼ぎ方、お金の増やし方について、心得を十数行書き足した。経済評論家である父は、つい一言言いたくなったのである。

(詳しくは、「経済評論家の父が息子に伝えた、お金の稼ぎ方・増やし方とは?」を参照)

 そこでは、働き方・稼ぎ方として、ストック・オプションなどできるだけ株式に関わる収入が得られる働き方を選択するといいこと、それが叶わない場合はせめて手持ちのお金をインデックスファンドを通じて株式に投資して働かせること、収入の中で株式から得られる収入の比率、即ち「資本家比率」を上げることが「有利であること」を伝えた。日頃、読者にお伝えしていることと同じだ。

 さて、資本家側のリターンが労働者側のリターンよりも傾向として有利であることは、近年ではフランスの経済学者トマ・ピケティの「r>g」(rは資本の収益率、gは経済・賃金の成長率)で経済格差の原因として有名だ。だが、ピケティは、不平等の解消のために資本及びその収益に課税すべきだと熱心に述べているが、なぜr>gが起こるのかについて、分かりやすい説明を与えているようには思えない。

 資本に投資すること、簡単な方法としてインデックスファンドで株式に分散投資することは、リスクプレミアムが期待できる点がメリットだ。リスクプレミアムは資本が市場でプライシングされる時に価格に含まれる形で獲得可能になる。その理屈を知っていれば投資は出来るのだが、今回は、「では、そのリスクプレミアムを供給してくれているのは誰なのか?」、「リスクプレミアムは常に期待できるのか?」という点について、もう少し先の説明を試みたい。

「資本」を巡る利害関係者

 言葉を連ねるよりも、図で考えて頂く方が分かりやすかろう。(図1)「資本を巡る利害関係者」(筆者作成)を見て頂きたい。

「資本」はビジネスの元手であり、設備や不動産、特許、運転資金など様々な形を取っていて、「労働」と共に財やサービスを生産する。ここで、労働者が生産する価値よりも受け取る賃金が小さく、労働者が「搾取」されることが利潤の源泉だというのが、かつてカール・マルクスが述べたことだった。

 資本家は「搾取」と言われて気分がいいかどうかは別として、こうした利潤が見込めなければ労働者を雇うことはないだろう。また、労働者の側では、自分で設備を用意したり、営業活動をしたりするよりも会社という仕組みを利用すると便利だと思って雇われているはずで、労働契約は強制ではない。

(図1)資本を巡る利害関係者

(筆者作成)

 両者の関係は本来対等のはずだが、図にあるように個々の労働者間に区別がなく「取り替え可能」であるような状態の場合、【労働者タイプA】は賃金を買い叩かれやすいことは指摘できるだろう。力関係上そうなるのは仕方がない。

 雇い主は、自分が有利になるように労働を設計するだろう。これに飛びついて、条件が悪いと嘆くのは、労働者側に「工夫が足りない」。いくらか厳しすぎる言い方かも知れないが、自分の子供にアドバイスするなら、「そのような工夫のない人材になってはいけない」し「働き方に工夫をするべきだ」と言うしかないのは、お分かり頂けるだろう。

 因みに、本稿の本題ではないが、【労働者タイプA】同士の「団結」は大して有効な解にはならないだろう。一時的に有効な場合はあっても、賃金に対する生産性が集団の中で相対的に低い者(昨今の言葉では「働かないオジサン」)を生産性が高い者が助ける形になり、長続きしない構造だ。

 利害関係者の中には、利益のアップサイドの配分は要求しないけれども、元本と利息を確実に払って欲しいと要求する【債権者】も含まれている。彼らは専ら元利の確実な返済を求めている。

 他方、【資本家】は資本の形で生産に参加しつつ、資本が毀損するリスクを負担している。

 だいたいの構図は見えてきたのではないか。

 世の中は、資本の形で「リスクを取る人」が、リスク負担を嫌って定額の賃金、固定的な金利などで生産に参加する「リスクを取らない人」が提供する剰余的価値をかき集めているのだ。そして、現代ではその手段は主に株式だ。

 因みに、労働を強化することで追加的に搾り取る価値を「絶対的剰余価値」、技術革新などで発生する労働節約的な生産性の向上による価値を「相対的剰余価値」などと、かの『資本論』を解説した本では名付けている(「NHK100分de名著 カール・マルクス『資本論』」斎藤幸平、NHK出版)。そして、後者も専ら資本家の利益となり、その成果が労働者に分配されることはないとされる。資本家・経営者の立場に立つなら、当然のことだろう。

 労働者自身の生産性が改善したわけではないのだから、時間当たり賃金は上がらなくて当然なのだ。仮に何らかの切っ掛けで(例えば「ゆとり教育」で)、労働者の能力的な質が下落した場合、実質賃金が上がらないのは仕方がない。

 尚、経済的な競争の敗者や、そもそも適性に恵まれない者への救済が不要だと言いたいわけではない。むしろ、競争原理の成果を十分に利用するためには、強力な社会的保険が(例えばベーシックインカムが)必要であり、その供給主体は国であるべきであって、個々の企業に社員への福祉を求めることは、政策的には明らかな「割り当てミス」だ。

資本家も搾取される

 ここまでの説明は、マルクスの『資本論』の読者にも違和感がないだろう。繰り返すと、

「世の中は、資本の形で『リスクを取る人』が、リスク負担を嫌って定額の賃金、固定的な金利などで生産に参加する『リスクを取らない人』が提供する剰余的価値をかき集めているのだ」

 ということなのだ。

 ここで、『資本論』の著者と読者の大半が勘違いしているか、知らないか、である重要な事実を二つ確認しておきたい。

 先ず、「資本」は、成長し拡大するのが今まで普通だったが、取り崩されて使われて、縮小することもあり得る性質のものだ。利益を再投資するに値する投資案件が無い場合、企業・株主・経営者は、無理矢理に再投資して拡大再生産を図るのではなく、米国の企業がよくやるように自社株買いで株主に資金を返し、株主はそれを再投資ではなく消費に回すということが十分起こり得る。経済システムはそれでも回るのである。

「資本」は独自の生命や運動法則を持った「怪物」なのではない。実態は、ビジネスにも使いうるお金持ちの財産にすぎない。

 次に、これはマルクスも驚くかも知れないのだが、現代では、資本が、つまり資本家の財産が【労働者タイプB】によって搾取されることが珍しくないのだ。労働者タイプBは、複雑な企業の経営技術を持つ(と自称する)経営者、ビジネスの中核となる技術的な秘密を抱えた技術者、有利なお金の作り方を知っていると自称する投資銀行家のような形で、一人一人が「取り替え不可能なプレーヤー」の形で資本家の前に現れる(頭が大きいのが共通だが、一人一人の個性は異なる)。潜在的な脅しの台詞は「私がいなかったら、会社が立ちゆかなくなるので、困りますよ」だ。そして、個人としては巨額の報酬を株主からむしり取る。

 何れの場合も、資本家には理解できなかったりコントロールできなかったりする「ブラック・ボックス」が彼らの存在意義であり防御壁だ。会社の資本を儲けの道具にして、一社員が巨額の収入を得るのは、米国式の投資銀行でよく行われていたことだが、昨今の米国企業では、経営者がこの手口を覚えて、日本円にして年間数十億円単位の収入を軽くむしり取るようになった。

 現代では、時に資本家も搾取されるカモなのだ。油断はできない。

自社株のレバレッジ効果

 さて、筆者は、自分の子供に「できれば、ストックオプションなどで自社株に対する権利を持てる形で働け」と勧めた。自社株は一銘柄への投資だから、集中投資だ。それでもいいのか。

 それでもいい理由は、自社株の場合、安全な形で巨大なレバレッジが利用できる場合があるからだ。

 一つには、報酬として自社株ないしそのオプションが与えられる場合、将来のアップサイドが一方的に期待できて、失敗しても、最悪失職程度のダメージで済む(法的な不正などが無い場合)。これは、圧倒的に有利だ。

 また、利益や株価に連動する形で経営者などが持とうとする株式報酬は、成功報酬の形をしていて、金融論的には、利益ないし株価を原資産とするコール・オプションだ。金融センスのある読者は、もうお気づきだろう。ヘッジファンドの成功報酬型手数料と同じ「ボッタクリ」に近い仕組みだ。しかも、受け取る側が有利なのに、支払う側が意外に不満を持ちにくい報酬システムなのだ。

 ヘッジファンドでは主に年金基金だし、企業株式の場合株主一般だが、「知恵の薄い」人々は成功報酬に対して「儲けてくれた時にたくさん支払うのなら納得しやすい」と納得する場合が多い。愚かなことだが、これが現実だ。

 米国で大いに進み、日本の経営者もこれを追いかけつつある現代経営者のヘッジファンド的成功報酬は、今のところ、「株主の利益の為に貢献してくれるならいい」と納得されて受け入れられているケースが多いようだが、ものには限度がある一方で、欲望にはしばしば限度がなくなることが厄介だ。

 今のところ、【労働者タイプA】や【債権者】からの価値搾取が、【労働者タイプB】による搾取よりも圧倒的に大きいが、今後、【労働者タイプB】の行動とその影響がどうなるのかについて、【資本家】の立場に立つ投資家はよく見ておく方がいい。

 四者のバランスは変化しうる。例えば、かつての日本では【債権者】(主に銀行)が強くて利益を吸い上げ、【資本家】に利益が回りにくい時期があったし、【労働者タイプB】は本格的には登場しておらず、このポジションに就くには起業して【資本家】のポジションと同時に手に入れるしかなかった。そして、起業が簡単ではなかった。

 現在は、相対的に【資本家】が【債権者】に対して有利になりつつあるが、上場企業経営者の報酬は景気にほぼ関係なく毎年上がり続けていて、【労働者タイプB】が育ちつつある。

 当面の、働き方にあっては、【労働者タイプB】的なポジションを取ることが、しばらくの間は圧倒的に有利だろう。自分で起業する、起業の初期に加わる、ストックオプションの条件がいい成長企業(1990年代のマイクロソフトのような会社)に転職するなどが、具体的な手段だ。こうした場合に大事なのは、契約書を他人よりもよく読むことと、「ブラック・ボックス」を少なくとも敵に回さないことだ。知ることは強みであり、知らないことは弱みになる。

 世の中は、複数の利害関係者の力のバランスで動いている。「人」をよく見ることが大切だ。説明の途中まで『資本論』的なフレームワークを使ったが、「資本には独自の運動法則がある」というようなことはない。19世紀の名著は、よく出来ているけれども、古い作り話なのだと思って読むといい。現代の分析に通用するものではないと申し上げておく。

 新たに書かれるべき物語は、「資本」に生命を与えた神話などではなく、「人間」がやっていることの損得を的確に観察した常識的でちょっとシニカルな経済の取扱説明書だ。