プロ将棋とAI

 筆者は長年の将棋ファンで、プロの将棋を楽しみに観ている。将棋は盤面が9×9と大きくないので、スマートフォンの画面と相性がいい。コンテンツとしてのビジネス価値は高い。

 さて、将棋については、近年AIによる大きな変化があったことを読者もご存知だろう。ディープラーニングを用いた学習(自分と自分の戦いを多数繰り返す)により、AIが強化されて、プロであっても人間が勝てない状態が確立した。これは、将棋よりも手の分岐のサイズが大きい囲碁でも、あるいはチェスでも、また人間心理の駆け引きを要するゲームにも見えるポーカーのようなゲームでも、同様なことが起こった。

 機械に人間が勝てないからといって、人間が指す将棋の価値が落ちるわけではないが、研究に広くAIが使われるようになって、プロの将棋の内容には変化が表れた。現在、勝敗に大きく影響するかなり手数の進んだところまでAIで研究することができる。指し手だけでなく、局面、局面のAIの評価値をプロ棋士が知るようになった。プロの対局にあって、事前の準備の多寡や研究の当たり外れの影響が明らかに大きくなった。今や、持ち時間の使い方も変化して、最初の数十手が明らかに研究通りに指される将棋が少なくない。

 それでも、研究範囲の先の未知の局面から勝ちきるまでの直観と読みの力や、そもそも研究の巧拙の段階に実力差が出るので、人間同士の戦いがなくなった訳ではない。例えば藤井聡太竜王・六冠はこの先が突出して強い。

 しかし、人間が指し手を決める範囲が狭まったし、「今回は研究が当たって勝ったのだな」という将棋が散見されることなどから、ほんの少しだけなのだが、プロの将棋が以前よりも面白くなくなったように筆者は思う。

 将棋の場合、ゲームの分岐が広いので、天才といえども生じうる局面の全てで最善の指し手と評価値を記憶できるわけではない。しかし、ゲームのサイズがもう少し小さなものになると、「正しい情報を記憶するだけで勝てる世界」により近づくはずだ。

知能ゲームとフィジカル・ゲーム

 将棋は駒を動かすことができれば、囲碁は石を置くことができれば、情報としての指し手を有効に実現できるゲームだ。指すべき手さえ分かれば、手を実現することは難しくない。

 一方、野球のように、肉体の力を含めた広義の「スキル」が問われるゲームでは、情報だけで良い結果を得られるわけではない。例えば、ダルビッシュ有投手に変化球の握り方と投げ方を詳細に聞くことができても、同じような球を投げられる選手はごく僅かだろう。技術情報は大いに有効ではあっても、それを有効に使って価値の創出につなげることのできる人は限られる。

 球の握り方や身体の使い方を聞いても、殆どの人は、大谷翔平投手のようなストレートやダルビッシュ有投手のような変化球を投げられない。情報が行き渡ったとしても、彼らの選手としての価値は大半が残るはずだ。

 野球だけでなく、料理のシェフや職人のような人たちにあっても、同じレシピを知っていても味に違いがある。従って個人の経済価値に差があるはずだ。