低成長だと株式投資は絶対ダメなのか?

村上太一社長の史上最年少上場が話題を呼んだ、リブセンス(6054)が、短期間で東証一部に指定替えされ、「東証一部上場企業」となった。日本の起業とIPOへの熱気には、2006年のライブドア・ショックで大量の冷水が浴びせられ、この間上場した企業や成長企業が無かったわけではないが、長らく湿りがちで盛り上がりを欠いていた。リブセンスの活躍は明るい話題だ。村上社長は、起業を目指す若者にとって、目標となる存在だろう。手本にするには、お人柄もいい。

多くの人にとって周知のことだが、村上氏は学生時代にビジネスを起こし、これを育てて上場に漕ぎ着けた。

学生時代の起業のいい点は、経済学の用語でいう「機会費用」が小さいことだ。就職後、ビジネスパーソンになってからの起業は、勤めている会社からの収入を諦めることや、職業上のキャリアの断絶を意味することが多く、起業にチャレンジすることで失う経済的利益が大きい。

これに対して、学生起業の場合は、上手く行かない場合には、ビジネスに見切りを付けて就職活動の列の後ろに並べばいい。いつまで頑張るかによって遅れの年数が変わるが、会社員を辞めて挑む起業ほど失敗した場合の損害は大きくない。

あるベンチャー投資家からお聞きした「学生がネット・ベンチャーに挑む時間割」をご紹介しよう。

  1. 大学1年生では必死にプログラミングの勉強をし(技術的なことも分かっている方がいいし、開発者のコストを一人分削れる)、一緒にビジネスを立ち上げる友達を探す
  2. アルバイトで稼いで200万円~300万円くらい貯める
  3. 3年生になったらなるべく速やかにデビューし、自分達のサービスを世に問う
  4. せいぜい5、6カ月もあれば成否が分かるので(その間の直接的経費が300万円くらい)、上手く行ったらそのままビジネスに注力し、失敗だったら就職活動に戻る

こうしたパターンなら、起業に失敗しても、損害が小さい。現実に、ほぼこれに似たパターンで起業にチャレンジしている学生起業家のチームが幾つかあるようだ。そうした起業家も含めて、小規模な起業に資金の一部を提供し、経営を指導し、対価として一定の割合の株式を貰い、将来ビジネスが上手く行ったら株式を売却して儲ける、といった仕組みの起業支援ビジネスもある。

製造業も起業できる時代

さて、前記の例に対しては、「ネットビジネスだからできるのではないか」、あるいは「学生だから気楽に出来るのだろう」との感想を持たれる読者が少なくないのではないか。

そういう方は(そうでない方も)、是非、クリス・アンダーソンの新著「MAKERS」(関美和訳、NHK出版社)を読んでみて欲しい。この本は、今年から来年にかけてのビジネス書のベストワン候補ではないかと思われる、情報豊富で同時に刺激的な一冊だ。

今は(既に「今」、だ)、設計データと製造プロセスの標準化とネットワークの発達によって、製造業であっても、小資本且つ少人数でビジネスを立ち上げることが出来るのだ。一個だけの手作りでも数百万個単位の大量生産でもなく、数百個、数千個といったニッチマーケット向けの製造であっても、それほど高くないコストで製造を行うことが出来る。

この本には、多くの意味のある情報とメッセージが詰まっているが、かいつまんでいうと、先ず、モノの設計データがデジタル化されフォーマットが標準化されたことで、設計さえあれば、他人が正確に製造する事が容易になった。ここでは、デジタルデータで制御される3Dプリンターやレーザーカッター、あるいは汎用の組み立てロボットなどの機械群の役割が大きいが、多様なモノを(一個一個違うものでも)、試作品であっても、製品であっても、安価且つ確実に作ることが出来る。

つまり、現代のアイデアマンは、昔のように特許を取って大企業にライセンス生産を売り込まずとも、まして、自分で大規模な製造装置を持たずとも、スピーディーに自ら製造業者になることができるのだ。

加えて、ネットワークの発達は、リナックスの開発のようなオープンなコミュニティによる共同作業や原則無料で共有されている膨大な設計データの利用で、研究・開発のコストや期間さえ大幅に短縮し、商品のマーケティングに資すると共に、「クラウド・ファンディング」の仕組みを通じて、良いアイデアには製造資金のファイナンスまで提供する仕組みが整ってきた。

かつては、製造設備が経済的な採算に乗る生産過程の大きなボトルネックで、これを資本の形で持っている「資本家」が労働者を搾取できるような構図があったが、今や、製造設備や資金は必ずしも隘路ではない(カール・マルクスが現代に生きていたら、こうした状況を見てどう思うのか興味深い)。

日用品でも玩具から果ては自動車や飛行機、あるいは資本財に至るまで、小規模から生産してビジネスにできる可能性が広がった。こうして始まった小規模のビジネスの中から、将来大きなビジネスに育つ会社も生まれるだろう。

起業の制約要因が減った

学生のネット起業と、ビジネスパーソンの製造業起業では、それなりに趣は違うだろうが、共通点は、起業に大きな資金やリスク・テイクが必要ないケースが増えたということだ。

一般論として、ビジネスでは、生産設備、土地(立地)、技術、労働力、資金など様々なものが制約要因になるが、何が制約になるかは、その時代の主として技術と社会の前提条件の変化によって変化する。

デジタル技術とネットワークの発達は、明らかにかつての工業生産を典型とするビジネスとは異なる条件を作り出した。

「今や起業にとって、最大の制約条件は、あなたのアイデアと勇気だ!」とまで言うと煽りすぎだろうが、様々な立場の人にとって、起業に対する可能性が開かれてきたこと、起業が最適な選択肢になることがこれまでよりも増えたことは確かではないだろうか。

しかし、起業は「割のいい選択肢」ではない

さて、一方的に、起業の魅力を語り、読者を起業に向けて後押しすることは筆者の本意ではない。起業のネガティブな現実もご紹介しておこう。

もともと、起業が、その経済的成果の確率と期待値から考えた時に、明らかに割のいいものではなく、それなのに、起業を目指す人が絶えないことは、かのジョン・メイナード・ケインズにとっても不思議だった。彼は、この経済合理的には説明できない事業家の情熱を「アニマル・スピリット」と呼んだ(名前を付けただけで、中身は説明できなかったが)。

おおまかな起業のイメージとして、組織に雇われて働くよりも「多く働いて、同じか少ない報酬を得ている」くらいが、それも「まあまあの状態」の平均像なのだ。

スコット・A・シェーン著「<起業>という幻想」(谷口功一・中野剛志・柴山桂太訳、白水社)という書籍は、アメリカの起業の実態をデータに即して紹介する本だが、たとえば、「7年以上、新たなビジネスを継続させられる人は、全体の三分の一しかいない」、「典型的なスタートアップ企業は、革新的ではなく、何らの成長プランも持たず、従業員も一人(起業家その人)で、10万ドル以下の収入しかもたらさない」、「典型的な起業家は、他の人よりも長い時間労働し、誰かの下で雇われて働いていた時よりも低い額しか稼いでいない」といった起業の厳しい現実を紹介する。

もう一つ同書の面白いメッセージをお伝えすると「新しくビジネスを始める動機のほとんどは、他人の下で働きたくないということに尽きる」とある。なるほど、なるほど。

まさに千差万別でケースごとにちがうのだろうが、上記は、平均的な起業像と大きくはちがっていないように思える。

では、起業について我々はどう考えたらいいのか。

起業と分散投資

起業のコストは低下した。しかし、起業は平均的には成功しにくい。だが、起業は成功すると大きな経済的見返りがある。ともあれ、起業はそれ自体が継続できる限りに於いて精神的な満足をもたらす傾向がある。

起業を巡る現状を感覚的に表現するとこのような感じだ。これらの条件から得られる答えは何か。

アイデア、やる気、チャンス、の三点セットが揃わなければ考慮の外だが、これらの条件がなにがしか揃った時、人は、自分のこれまでの本業と並立する形、あるいは、元に戻ることが出来る「退路」を確保しながら、起業を「試して」みるといいのではないだろうか。

これは、資産運用に喩えると「分散投資」だが、複数の仕事と収入源を持つと、確かにリスク分散の効果がある。

理想的には、それなりの収入をもたらす本業を持ちながら、副業として起業を試す、といった展開が一例だ。一般的な企業に勤めるビジネスパーソンであれば、土日や平日の夜にはある程度自由時間を取ることが出来よう。こうした時間を有効に利用して、副業として何らかの起業を試みることが考えられる。

勿論、起業勤めのビジネスパーソン以外にも、主婦や学生、あるいはリタイア後の高齢者も使える時間があることは多いだろう。今や起業は多くの人に対して開かれている。

後は、やっぱり、アイデアとやる気だ。