年金制度への不信、実際は大きく頼っているのが現実
日本人の公的年金制度への不信は強いものがあります。
以前みた調査結果がどうしても見つからなかったのですが、外資系金融機関の国際調査で、日本の年金給付水準は十分であるにもかかわらず、日本人の制度への信認は最低レベルになったというデータがありました。
おそらくみなさんの実感に近いのではないかと思います(「給付水準はいいほうなの?」というところから疑う人も多いでしょうが、実は国際的にはそう悪い水準ではないのです)。
多くの年金生活者は、なんだかんだいって老後を公的年金に頼って生きています。老後の収入が「公的年金だけ」「年金が80~100%未満」という世帯は、年金生活世帯の約6割を占めています。
給付水準についても、夫婦のモデル年金額が月額にして約22万円となっていますが、大卒初任給程度の金額を何十年長生きしてももらい続けることができるのですから、そう悪い金額ではありません。
65歳女性の平均余命の24.7年で概算すれば累計6,520万円にもなります。人生100年時代が本当にやってきて35年もらえばなんと9,240万円です。
国から6,000万円もらえるなんて誰も思っていませんが、普通に長生きをすれば、みなさんの両親や祖父母は相当の金額を年金としてもらっていることになります。
私たちは国の年金制度に対する根強い不信を抱いているものの、実際にはその年金制度が老後の生活設計の中心となっているわけです。これは今も将来も基本的には変わらないと思います。
損得を国の年金制度で論じることがそもそもおかしい
よく「損得」が年金制度について論じられますが、正直いってあまり意味がないことです。本質的には年金制度は「働けなくなったときの収入を支える社会保障」であって、損得で考えるものではないからです。
例えば、障害年金をもらうことになった人は20歳から年金を非課税で一生涯もらえますが、これを「得」というのはおかしなことです。
遺族年金を遺族がもらい、子の高校卒業までの基礎的な生活費がやりくりできたとして、「得」とは誰も考えません。
60年前、65歳からもらえる国民年金制度を作ったとき、男性の平均寿命は65歳をようやく過ぎたころでした。当時の感覚でいえば「人より長生きしたとき、国が年金をくれる」というイメージだったはずです。
今、同じ感覚で制度を改正するならば「国民年金は80歳から受けられます」ということになります。しかし、国民年金(老齢基礎年金)の受給開始年齢は60年前から「65歳から給付開始」のままです。
長寿化の影響でほとんどの日本人が老齢年金を受けられるようになったこと、年金制度は「得」が計算しやすいことから、損得を意識するようになってしまいましたが、実は最初からおかしいロジックだったわけです。
年金損得論にノーカウントされている公的年金の意義
年金損得論をもう少し考えてみるなら、「家庭内の仕送りが減った分」も損得に加えるべきです。かつては家庭内扶養(仕送り)が一般的に行われていました。
団塊世代だった私の父親は、二つの世帯(父と母の親世帯)に仕送りをしつつ、自分の年金保険料を納めていました。
年金損得論で世代間不公平だとよくいいますが、家庭内仕送りが減っていく代わりに公的年金が両親や祖父母の老後を支えている部分は勘定されていないように思います。
団塊世代の「自分の年金保険料+親への仕送り」の合計と、我々の「厚生年金保険料18.3%」を比較するべきでしょう(同居世帯だとここが数字として表れにくい)。
実際、私は親への仕送りをしていません。私の母も妻の両親も、公的年金で基本的なやりくりができる状態にあるからです。
仕送りの負担が軽くなった分、厚生年金保険料が18.3%まで高くなったとみなすこともできます(といっても月100万円稼いでいる正社員夫婦の月負担が18.3万円なので、夫婦双方の親の年金額の負担にも満たないのですが)。
また、社会の変化でいえば、子がいないおひとりさま、DINKS夫婦は公的年金制度を用いて全国的に老後の支え合いをやったほうが安心です。
年金制度を廃止したところで、子や孫からの家庭内仕送りに戻るわけにはいきません。
同様に、兄弟姉妹がたくさんあった場合は親への仕送りは分担できますが、ひとりっ子は全額負担になります。やはり、社会的に年金給付を行ったほうがいいわけです。
そもそも、「早く亡くなれば損」「長生きすれば得」という部分はどんな世代でも変わりません。「得」「逃げ切り世代」とよくやゆされる団塊世代ですが、私の父のように平均寿命より早く亡くなればやっぱり「損」です。
しかしうちの父は損を愚痴ることはありませんでしたし、遺族年金に一部は回って私の母の家計を支えています。
早く亡くなった人の保険料分は長生きした人の給付に回るから、今の保険料率で制度が回っている、ということもできます。
そうでなければ長生きをした人の支払い超過分を踏まえて保険料をもっと引き上げるか、人より長生きしたら年金給付をストップする「姥捨て山」制度にするしかありません。
言いたいことはたくさんありますが、年金損得論はそろそろ捨てておいたほうがいいと思います。損得にこだわる人は、健康に留意して日々を過ごし、人より長生きすることにリソースを割く方がいいでしょう。
年金破たん論も、すでにもう終わった議論
損得論ともうひとつ、年金不安をあおってきた言説に年金破たん論があります。これもミスリードです。年金制度の破たんのリスクはもうほとんどありません。
制度全体で収支のバランスを自動調整するように改革してあるので、ある日いきなり破たんすることはありえません。
保険料収入、年金積立金、年金給付のバランスを50年は見込んでシミュレーションしていますから、数年後の破たんなど考えられません。
2020年代に年金積立金は枯渇すると予言した経済学者もありましたが、その予言も実現性はほとんどゼロになりました。
年金積立金は約200兆円(GPIF以外に公務員の年金積立金もある)を超えていますがこれだけの規模の資産を貯め込むことに成功した国は米国と日本だけです。
欧州などでは完全賦課方式で積立金を持たないか、わずかしか持たない国のほうが多いほどです。日本より人口の多い国も日本ほど資産を蓄えることができていません。
確かに給付水準の引き下げは行われます。しかし、それと破たんとは別の話です。
給付水準の引き下げも無制限に行われるわけではないので、67~68歳まで働き(あるいはWPP理論を使ってやりくりして)、年金繰り下げをして増額すればカバーできることが示されています。
実際問題として、年金制度の破たんリスクを高める要素があるとすれば、「年金制度の設計」にあるより「国の経済成長」「少子化対策(ここは若干の不安がある)」「女性と60歳代の就労促進」のほうにあります。
年金官僚がどうこうする余地はあまりなく、国全体として経済成長や社会の改善を実現することのほうがリスク回避につながるというわけです。
(「そもそも日本はもうダメだ」論の人もあるでしょうが、そうだとしたら年金制度だけを批判するべきではありません。また、自分が日本で暮らし、日本で働いているのに、未来のない日本を嘆くくらいなら、さっさと日本を出てグローバルに活躍されることをおすすめします)
長生きリスクのヘッジに公的年金の最大の資産価値がある
公的年金については「終身給付の約束」がもっとも価値があります。もしお金の話をするなら、これにつきます。
現在の超低金利下で終身年金を民間で契約すると平均寿命より長生きしなければ元が取れない年金額になります。インフレが急激に進行したときにどこまで追随してくれるかは分かりません。民間企業には破たんリスクもあります。
個人の資産運用は、リスクの取りように応じて成績が変化しますが、下振れをしたときの資産管理は難しいものがあります。
個人の持ち分だけを管理する以上、マーケットのタイミングに左右されて老後資金が上下動するリスクは個人差が大きくあらわれます。
社会保障制度ならこれをヘッジすることができます。しかも終身給付を前提に設計しているので、あなたの預金通帳の残高がゼロになろうと公的年金だけは死ぬまでもらうことができます。
これはつまり、事前積立方式へ切り替えて公的年金を個人の持ち分管理にさせる議論はまったく意味がないということでもあります。
個人ではなく、社会としてやりくりする社会保障制度の仕組みであるからこそ終身給付が維持できるからです。
賦課方式の公的年金×事前積立方式の自助努力の組み合わせを考える
じゃあ、事前積立方式に意味がないのかといえばそうではありません。個人が取り組む老後資産形成はまさに事前積立方式で現役時代に取り組み、それを老後に取り崩すものです。
公的年金は社会保障制度としての役割を維持していけばいいし、だからこそ、個人の自助努力と組み合わせる意義があるのです。
社会保障制度としての公的年金は賦課方式(つまり世代間の支え合い)をしつつ、自助努力として個人が事前積立方式(現役時代に自分で自分の資産を貯めておく)を行い、これを組み合わせることが現実的な解です。
これは世界的なトレンドでもあり、公的年金は終身年金を維持しつつもさらなる給付の充実が難しいことを受け入れ、iDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)やNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)的な制度を設けて私的に準備することを税制上支援するアプローチを採用しています。
厚生年金に加入し保険料を納めましょう(高いと文句を言うのはかまわないが未納はしないのが大事)。その上でiDeCoやNISAをぜひフル活用してください。
公的年金だけでは老後は不安、私的な資産形成だけでも老後は不安ですが、この二つを組み合わせることで、老後の安心の基盤が確保されることになるのです。