投資は「時間」と共に
投資家にとって時間とは何だろうか。おそらく、三つの重要な意味がある。(1)リターンの源泉、(2)効率測定の基準、(3)リスクの源泉、だ。
投資家にとっては、投資する「時間」がなければ、リターンの獲得がままならない。投資とは、自分のお金を資本として提供して経済活動に参加させて、資本が生んだリターンの一部を受け取る行為だ。お金が働くわけだが、十分な価値を生むためには、働く時間を十分与えなければならない。時間がなければ、投資でリターンを獲得することはできない。
もう少し理屈っぽい話を許していただけるとすると、「投資とはリスクプレミアムのコレクション」なのだが、リスクプレミアムはリスクを負担することに伴う追加的な利回りとして「時間と共に」実現する性質を持つ。
「投資家にとって、時間こそが主な資源だ」。
こう言うと、高齢で余命が短い方はがっかりされるかもしれないが、投資は、自分の代だけで終わる行為ではない。相続人と一緒に、そして将来は相続人に託して資産を増やすといい。
世間のマネー本を見ると、「高齢になったら、投資のリスクを減らしましょう」といった、投資を一人一代限りの「自分だけの」ものと捉えた近視眼的で「冷たい」アドバイスが少なくない。社会全体として見ても、高齢者がリスクを減らすことに加えて、相続が現金で行われて、その後になかなか再投資されないことは「もったいない」ことだ。
長期投資に理屈や計算を超えた神秘的な素晴らしさがあるわけではないが、「時間」は投資が有効であるための不可欠な原材料だ。
資本を提供する行為に時間が必要なことに比べると副次的であるかもしれないが、投資の効率が時間を基準とする「利回り」で評価されることも投資家にとっては重要だろう。
運用対象として、金融商品Aと金融商品Bのどちらがいいのかを評価するためには、共通で一定の時間の下にどれだけのリターンを、どの程度のリスクの下で生むと期待されるのか、という比較が基本になる。
預金の利息も、債券の利回りも、株式のリターンも、「時間当たり」という共通の基準がないと計測も比較もできない。国のGDP(国内総生産)成長率にしても、企業の収益や増益率などの指標も「時間」の概念なしには成立しない。われわれの人生が、時間と共に成り立っているからなのだろう。
さて、投資家にとって時間は味方のはずなのだが、それだけではないのが時間の奥の深いところだ。時間の経過に伴って、投資の結果はより大きな不確実性の影響を受ける。
投資が、傾向として時間と共にリターンを生むものなのだとしても、たまたま短期間で大きなリターンが生まれた場合、同じリターンをより長い期間で獲得するよりも効率がいいし、何よりも、時間の経過と共に生じる不確実性と付き合わなくてすむことがありがたい。
それが難しいのだとしても、投資の収益は同じ大きさならより短期間で獲得できる方が心配も無いし効率もいい。
結局、人は投資にあって、時間の経過と共に、期待収益を大きくする一方で、不確実性がより大きくなっている。一方的に「うまい話」はない。期待収益と不確実性のバランスを考えて「有利だ」と思う人が、自分の許容できる範囲の中で投資のリスクを取るといい、という以上のことは言えない。
もちろん、全ては人生の時間の中でのあれこれだ。「自分の時間の値段」を意識しつつ何よりも大切な「時間」を有効に活かしてほしい。
【コメント】
2020年の5月なので新型コロナの社会的影響を意識したタイトルだ。実際に、この時にテレワークを経験して通勤や移動にまつわる「時間」の意味を意識した人は多いのではないか。
あまりに細かく計算するのも考え物だが、自分にとって「今の時間は経済価値で幾らなのか」は時々意識する方がいい。意味があるつもりでやっていても、時間の値段に及ばない行為に時間を費やしている場合が少なくない。故ピーター・ドラッカーの「経営者の条件」は、おそらくビジネスマンの自己啓発書としては最高の一冊だが、この本でも自分の時間の使い方を意識することの重要性が説かれている。
投資にあっても時間が重要な意味を持つこともよく理解しておきたい。投資家にとって時間は概ね味方だが、時には敵にもなる。リスクの取り方と大きさを工夫する必要がある。
本記事で書き落とした「時間」の重要項目がある。「他人の時間」を意識することの大切さだ。他人の時間の価値を考えない人は、社会の生産性を落とすし、他人に嫌われる。近年のビジネス環境だと、メールやメッセージで済む用件を、自分の都合と気分で電話を掛けて相手の時間に押し込もうとする人が典型だ。(2022年12月6日 山崎元)