個人投資家が「読んでおいて損しない本」を一冊ご紹介しよう。岩瀬大輔氏の『生命保険のカラクリ』(文春新書、2009年10月20日刊)が、いろいろな意味でためになる。著者の岩瀬氏は、1976年生まれと若いがインターネットによる保険販売を主軸とする「ネット生保」であるライフネット生命保険の代表取締役副社長だ。

生命保険を理解する本として

生命保険は、「(家に次ぐ)生涯で二番目に高い買い物」と言われることもあり、一生で払い込む保険料が1千万円近くになることが多い、高額の金融商品だ。しかし、一般には、その内容が正確に理解されていない。しかも、この本が批判するところでもあるが、日本の生命保険会社は長きにわたってこの情報の非対称性を利用して儲けてきた。

筆者は、過去に2回生命保険会社に勤めたことがあるが、それでも、金融商品としての生命保険の商品内容を完全に理解しているとは言い難い。

岩瀬氏の新著は、生命保険の仕組みを契約者の立場から分かりやすく解説しており、生命保険業界の歴史と問題点を要領良く概観している。生命保険に対する理解がどのレベルの読者にも参考になる部分があるだろう。

この本で筆者にとって特に参考になったのは、死差益に関する解説だった。

生命保険会社の決算のニュースを毎年見ていると、運用の「逆ざや」による損失である「利差損」に目が行くのだが、かなり前から、これが大きな「死差益」によってカバーされていることが目についていた。死差益とは、生命保険会社が想定していた死亡率と契約者の実際の死亡率が異なることから発生する利益だが、正直なところ、この発生の実態が今一つ正確には分からなかった。筆者は「傾向として平均寿命が延びているので、古いデータを使うと保険会社が儲かるのだろう」というくらいに考えていたのだが、日本アクチュアリー会が作った「標準生命表」の一部(前掲書p130~p131に掲載有り)を見ると、厚労省の発表する完全生命表に対して、保険会社側から見てかなりの余裕を持ったものになっている。

たとえば男子50才の完全生命表ベースの死亡率は10万人に対して357人だが、2007年の標準生命表では死亡保険用では365人、第三分野では259人、年金開始用では241人とされている。

死亡保険では生命保険会社は健康などのチェックをしてから保険を引き受けているはずだから、契約者の死亡率は全国民の平均よりもかなり下がっていて良さそうに思うがそうなってはいない。他方、第三分野(医療保険は契約者が生きていると費用がかかる)や年金保険(保険会社にとっては契約者の長生きが損)では、随分小さめの死亡率になっている。

保険ということを考えると、逆選択(死にやすいと自分で思う人は死亡保険に入りたいだろう)の要素が多少はあろうが、保険会社側では健康診断もあれば告知義務でも守られている訳だが、随分余裕を持たせている印象だ。そして、現実に、多額の死差益が発生している。

標準生命表は保険会社各社の保険料計算の根拠になっているわけだが、実質的に保険業界にとって有利な「談合価格」のベースとなっていることが分かる。

賢い生命保険の選び方

読者にとっては、生命保険と具体的にどう付き合うかが重要だろう。この点に関しても、この本は率直だ。

詳しくは原本に当たってほしいが、第四章「かしこい生命保険の選び方」で説明されている生命保険の扱い方は、本の帯にも出ている七つの項目で紹介すると以下の通りだ(番号は筆者)。

(1)死亡・医療・貯金の三つに分けて考える

(2)加入は必要最小限に

(3)死亡保障は安い定期保険で確保する

(4)医療保険はコスト・リターンを冷静に把握して

(5)低金利のときは、生保で長期の資金を塩漬けにしない

(6)解約したら損、とは限らない

(7)必ず複数の商品を比較して選ぼう

本書を読んで筆者が考えた結論をもっと有り体にはっきり言うと、医療保険に入ることはまったくバカバカしいから(さすがに岩瀬氏も立場上ここまでは言いにくかろうが、本書をよく読むと分かる)、結局のところ、われわれが生命保険を利用する可能性は(3)だけだ。

若くて(20代、30代くらい)、子供がいて、貯金が乏しく、頼ることができる相手(親?)もいないというときに、10年ないし20年くらいの定期の死亡保険(掛け捨てで、特約のないもの)で、最も安いものを利用するのが、生命保険との正しい関わり方だ。端的に言って、これ以外に、生命保険は必要ない。

補足すると、「現在高金利で将来金利が低下する場合」にある種の生命保険が有利になる可能性があるが、そのような判断ができる訳ではないし、仮にできたとした場合でも長期の債券でも買う方が得だろう。また、医療に関しては、健康保険の「高額療養費制度」を理解し、市販の医療保険(ガン保険などを含む)の条件を考えると、民間の医療保険に入るくらいなら保険料相当額を貯蓄する方がはるかに合理的だ。

今後もそうであり続ける保証はないが、現在、肝心の定期の死亡保険(特に若い世代向け)の保険料が圧倒的に安いのは岩瀬氏のライフネット生命保険だろう。もちろん、読者が今後に保険の加入を考える場合はインターネットを利用しつつ、複数の会社の価格を比較すべきだ。これは、運用商品を購入する場合と同じだ。

資産運用への教訓

現在の生命保険を運用商品に喩えると、デリバティブを使った元本確保型の投資信託がよく似ている。

投資信託でいう販売手数料・信託報酬に相当する手数料は生命保険の場合「付加保険料」であり、これが支払う保険料の3割から6割に及ぶ(定期保険の場合)というのが、生命保険の大きな問題点だ。念のため申し上げると、これは、3%から6%の間違いではない。金融商品としての生命保険は、投資信託も裸足で逃げ出すほどの高手数料商品なのだ。

これに加えて、先に説明した「標準生命表」に基づく生保会社寄りの条件が設定されている。生命保険はいわば「命のデリバティブ」だが、この条件の中に売り手側の余裕(有り体に言って利益)がたっぷり含まれている点で、生命保険はデリバティブの条件を含んだ投資信託、仕組み預金、EB(株式転換権付き債券)などの金融商品と同類だ。「いいものもあるのではないか」と思われる方は条件を計算してみるといいが、計算するまでもなく売り手が有利な商品が多い。

投資家から見て、金融商品としての生命保険はあきれるくらい売り手が取る実質手数料が高い商品だが、それでも現実に売れているのは、(1)セールスの努力、(2)複雑で売り手の利益が分かりにくい商品、(3)商品理解に関する顧客側の怠慢、の三点が揃っているからだ。

運用を目的とする商品の場合、生命保険ほどひどい商品は稀だが、こうした要素に引っ掛かって損をすることが少なくないので、投資家は、本書を読んで警戒心を養うといい。

ネットの生命保険の可能性

日本の生命保険業界は、(1)規制を味方につけた厚い利潤、(2)乏しい業界内の価格競争、(3)高コストな販売、(4)人間によるセールス、という点で、ネット証券が参入する前の証券業界の状況に近い。現状は、手数料が自由化されて、ネット専業の業者が参入したところだといっていいだろう。

本書の著者である岩瀬氏のライフネット生命保険を含めて、ネットの業者は多くないし、事業の性質もあって現状で収益化している訳でもないが、大きな可能性があると思う。既存の生命保険会社は、対面販売でのコストが非常に大きく、価格も粗利が非常に厚い。ネットを使った販売でコストダウンを図りつつ、低価格を魅力として商品を販売することができるという意味で、ネット生保は、現在、ネット証券の登場初期に似た状況にある。しかも、かつてのネット証券と比較すると、ネットの利用で引き下げることのできる価格の幅はパーセント単位でいうと一桁大きいし、生命保険というマーケットも非常に大きい。たとえば、将来(たとえば十数年後に)、毎年数百億円の収益を上げるネット生保が誕生してもおかしくないと筆者は考えている。

生命保険はネット化が有望な金融分野としては最大のフロンティアだろう。ライフネット生命保険だけでなく「ネット生保」(単に販売代理ではなく商品を供給する会社)の業界の今後に大いに注目したい。