(3)必要性と現実性はどちらが大切か?

 年金運用の運用目標の話に戻ると、筆者は、年金財政上の必要性が運用目標を与えるというよりも、現実的に可能な運用から想定される利回りが年金財政に反映される(「予定利率」に反映して、給付に対する掛け金を決める)必要があるのではないかと考えている。

 かつて企業年金の制度設計の際に典型的な利回りとして「5.5%」が使われたことがあるが、低金利時代に入ってからも5.5%を運用目標として掲げて、これを達成するためにリスクを取り続けたことが多くの企業年金に対して大きなダメージを与える原因になった。

 賃金上昇率はインフレ率と一定の関係を持っていて、金利や企業の利益もまたインフレ率と一定の関係を持っていると想定することは理論的には可能なので、賃金上昇率は「5.5%」ほど硬直的なターゲットではないが、それでも、現実に賃金上昇率・インフレ率・金利・企業利益の相互の関係は少なくとも安定的だとはいいにくいし、これらの関係が数年単位で不安定であれば、年金運用を評価する尺度として「賃金上昇率プラスα」は使えないのではないだろうか。

 現実的に可能なのは、年金積立金が取ることのできるリスクを前提とした上で、現実的に可能と思われる利回りを予定利率として年金財政を修正することだろう。この場合に、予定利率の前提は完全にリスク・ゼロでなくてもいいと思うが、予定利率自体は十分に保守的に設定されるべきものだろうし、これが未達な場合に十分修正の余地がある(掛け金の上昇でカバーできることが基本。将来のリスク運用で取り返しに行くのは邪道)状況でなければまずいだろう。

 今回は、年金の運用を題材に取り上げたが、個人の資産運用の場合も、通俗的なファイナンシャル・プランニングでよくあるように将来の必要性から運用利回りの目標を決めるのではなく、投資家が現実に負うことができるリスクの下で十分達成可能な運用利回りをもとにして、お金の計画を立てるというのが本来の姿だ。

【コメント】

 10年以上前の記事で、題材が古いが意見の大筋は変わっていない。

 今の時点の意見で言い直すと、(1)運用の目標は現実的に可能なもの(ベンチマークで表現できるもの)である必要があることと、(2)運用はつまるところ適切なリスクの下でなるべくたくさん儲けたらいい、という2点に集約される。環境によって簡単に達成されたり、全く不可能だったりすることを、「目標」にするのは無理筋であると同時に、しばしば有害だ。組織でも個人でも、時には運用の目標に関する「前提」を疑うことが重要だと気づいて欲しい。(2021年12月20日 山崎元)