最近、アベノミクス長者という言葉が聞かれるようになりました。積極的な金融緩和を求める安倍政権の、選挙での勝利を先取りする形で、去年11月からの僅か5カ月で日経平均株価は40%、ドル円は20%もの上昇となっています。このような相場に上手く乗れた人が沢山居ても不思議ではないでしょう。ただ、やはり気になるのがこの「長者」の使われ方です。長者の出現が格差を意味し、それを助長するアベノミクスはけしからん、というような、変な方向に捉えられないかと心配をしてしまうのです。
私が講演でよく申し上げる事があります。それは「日本の人は、頑張った人にご褒美が与えられるべきである事はよく理解している。実際、世界の標準的なルールもその通りだ。しかし日本の人があまり理解していない、又は理解を避けているもう一つの世界標準のルールがある。それは、リスクを取った人にもご褒美を与えるという事実だ」です。
何故リスクを取った人にご褒美を与えなければならないのか? このコラムでも何度か申し上げましたが、第一に、リスクを取る人が居なければ、世界経済はもっともっと低成長を余儀なくされ、生活水準は低くなってしまう(=外交も、軍事も、年金も、医療も、福祉も低い水準を余儀なくされる)事。第二に、にも拘わらず、世界中にリスクを取れる人、ないしリスクを取れる資金量はそれほど多くないからです。
簡単な例は、以前もご紹介した保険会社です。いざという時に保険金でカバーしてくれるという安心感があるから、人々はその時のために多額の貯金を貯めておく必要がなくなり、その分の資金を消費に回す事ができます。銀行も同様です。企業に直接お金を貸すのでなく、銀行に預けているお金は(少なくとも1,000万円までは)保証されているので、貸倒の心配もありません。一方で保険会社はいざという時に保険金を払ったり、銀行は貸倒となった場合に、その損失を負担するという形でリスクを負っているのです。保険会社や銀行がリスクを負ってくれているからこそ、人々はそうでない場合よりも多くのお金を消費に回す事ができ、企業は借り入れた資金で事業を伸ばす事ができるのです。
さらに株式会社には株主が居ます。少々業績が悪くなっても、一番リスクの高い資本を拠出してくれている株主が、株価の値下がりという形でリスクを担い、クッションの役割を果たしてくれるからこそ、従業員は職を失わなくて済んでいるのです。
リスクを取る主体が無くなったらどうなるかは、金融危機で経験した通りです。AIGという世界最大の保険会社や大手銀行が次々と破綻の危機に直面し、世界経済は一斉にリセッションに陥りました。実際、多くの会社の株主資本が底を付き、大量の失業者が発生しました。あのまま大手保険会社や大手銀行が連鎖的に破綻していたら、我々の生活は今よりもずっと低い水準を余儀なくされていたことでしょう。
世界的に、まだあの金融危機の時の恐怖が癒えているわけではありません。だからこそアメリカの株式市場は高値更新にも拘わらずバリュエーションは低いままで、日本の株式市場には純資産倍率が1倍を下回っている会社がゴロゴロしているのでしょう。正にそれほどリスクを取ってくれる人、ないし資金量は、世界中にそれほど潤沢にある訳ではない、という証拠だと思います。しかし上記の理由で、景気を回復させるには、リスクを取る人の存在が必要です。だからこそ世界標準は、リスクを取る人にご褒美を与えるルールになっているのです。
むしろ去年までの日本の5年間は異常な状態だったのです。金融危機を受けて、世界各国の中央銀行が積極的に金融を緩和する中、日本のみが消極的で、その結果日本円(現金)に資産保全機能を与え、人々は現金を貯め込み、消費にも投資にも消極的になってしまったのです。現金に資産保全機能を与える事によって、「リスクを取らない事」を推奨する国になってしまっていたのです。リスクを取らない事が推奨されているのですから、経済が成長しないのは当たり前だったのです。
ですので「アベノミクス長者」、本質的には「(意識してかどうはは別にして)日本の景気回復のためにリスクを取ってくれた人」であり、この5カ月たまたま相場が良かったために、結果だけを見て「アベノミクス長者」と呼ばれているように見えます。日本では、比較的著名な評論家でさえ市場を「マネーゲーム」と非難したり、結果としての格差のみがクローズアップされる傾向が非常に強いように見えます。しかし私は、そのような意見を嘲笑うかのように、今後アメリカも日本も、ますますリスクを取る人が報われる相場展開になると見ています。特に日本は、去年までの異常な状態からは既に脱却したでしょう。リスクを取らずに将来、結果だけを見て妬むのでなく、少しでもリスクを取ってさらに景気回復に貢献しようではありませんか。
(2013年3月21日記)