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著者の窪田真之が解説しています。以下のリンクよりご視聴ください。
[動画で解説]日経平均3万円への道筋見えた?令和の日本株がさらに飛躍と予想する理由
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 令和2年(2020年)も、はや11月の最終日となりました。日経平均は、連日で29年ぶりの高値を更新しつつあります。今日は、目先の相場の流れではなく、平成から令和に続く、日本株の大きな流れを見ながら、私が2021年にも日経平均が3万円をつける可能性があると考える理由を解説します。

バブル崩壊から始まった「平成」

 平成元年(1989年)は、日経平均が史上最高値(3万8,915円)をつけた年です。まさに、「バブル崩壊」「失われた10年」といわれる1990年代がスタートしたところでした。

平成の日経平均推移:1988年12月末~2020年11月27日

出所:楽天証券経済研究所が作成

 1990年代は、日本の金融機関が不良債権を抱えて苦しんだ時期です。1997年、東京三菱銀行は不良債権のバルクセールを始めました。それが、日本の金融危機の序章でした。不良債権処理に踏み切る体力が残っていた銀行は生き残ります。ところが「いつか不動産や株はまた元に戻る」と期待して処理を先送りしていた金融機関が、この後、ばたばた破綻することになります。
「社員は悪くありません」と、涙ながらに山一證券社長が破綻を報告するのは、その翌年です。含み損を抱えた株式を隠していたのが表面化したことが、破綻の原因です。いつか株価が戻ることを期待して、経営者が損失計上を先送りしているうちに、どんどん損失が拡大しました。

 続いて、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行など大手金融機関が破綻します。不動産融資にのめりこんだまま、経営陣が問題処理を先送りしてきたツケが出ました。その後、不動産・建設・金融などで上場企業の破綻が続きました。

 日本の金融機関が不良債権の処理を終え、金融危機を脱するのは、2003年です。りそな銀行に公的資金が入ったところで、金融システム不安は解消しました。

 1998年から2005年まで、日本企業は生き残りを賭けた「合併・リストラ」「構造改革」を実施しました。その成果で、2003年から07年まで日本企業の復活が続きました。「ようやく失われた10年を脱した」と言われました。

 ところが、それは、甘い期待でした。2006年から、「構造改革疲れ」という言葉がブームになり、合併破談・買収防衛策の導入が相次ぎました。その頃から、少子高齢化が一段と進み内需企業が疲弊してきました。さらに、力をつけたアジア企業(韓国・台湾・中国)がエレクトロニクス産業で、日本企業を追い詰めるようになりました。2008年にリーマンショックが起こると、日経平均は再び、大きく下がり、バブル崩壊後の安値を更新しました。平成が始まってから、リーマンショックに苦しむ平成20年まで、日本は「失われた20年」を経験したと言われました。