なくならない「共同幻想」が、今後の長期的視点における強力な金価格の下支え要因

“願望的な幻想”は、「共同幻想」と言い換えられます。ざっくり言えば“大衆の思い込み”と言えます。

 共同幻想が膨張し、大きな社会現象が起きたことがありました。オイルショック(1973年ごろ)の時に発生した、トイレットペーパーの買い占め騒動も、その一つだと筆者は考えています。これは共同幻想の中でも“大衆の壮大な勘違い”にあたると思います。

 中東戦争激化 → 原油価格が急騰 → トイレットペーパーの製造工程で、紙を乾かす際に用いる重油のコストが上昇 → トイレットペーパーの生産量が減少・品薄になる懸念が生じる → 多くの人たちが品不足になる前に購入するべきと考える → お客が殺到・店頭からトイレットペーパーが消える、という流れでした。

 実際にはトイレットペーパーの生産量は減少しなかった(むしろ増えた)という話もありますが、それでも店頭からトイレットペーパーが消えたわけです。多くの人が、“原油価格が上昇すればトイレットペーパーが品薄になる”と、強く思い込んだ共同幻想の例と言えます。

 多くの個人が願望的な幻想を共有する(共同幻想を抱く)ことで、大規模な社会現象が起きるわけですが、金に価値があるという話そのものが、歴史が育んだ世界規模の金に関わる共同幻想なのだと筆者は思います。

 もし、金が共同幻想の上に存在しているのであれば、多くの個人が金に価値があると思い込んでいるうちは、金の価格は下がらないのでしょうか? そしてその共同幻想はなくなることはないのでしょうか? 

 本レポート前半で書いたRCWの優勝トロフィー、それ以外にも、サッカー世界杯の優勝トロフィー、五輪の金メダルなど、世界規模の大会で勝者の栄誉を称える時には必ずと言ってよいほど金が用いられます。

 銀製のトロフィーの一部や、銀製のメダルの全体にわざわざ純金をメッキし、金色のトロフィーやメダルに仕立てあげるわけです。このことは、世界最高の栄誉をたたえるには金がふさわしい、金が必要である、金にしかその役割は担えない、最高の栄誉と同等の価値があるものは金だ、などと世界中の個人が思い込んでいることの現れだと思います。

 優勝トロフィーや金メダルが金色であるのは、長い歴史の中で、世界中の個人に“金に価値がある”という共同幻想ができたためだと筆者は考えています。

 仮に、世界規模の大会の優勝者に贈られるトロフィーが金色でなくなれば、金に関わる人類の壮大な共同幻想が終わったと言えるかもしれません。しかし、現在の優勝トロフィーの色が示す通り現在も共同幻想は継続中であり、リスクが絶えない昨今、個人の金への関心は低下しない、つまりそう簡単には共同幻想は終わることはないのだと思います。

 金価格は、超長期的な視点で見れば、今後も共同幻想に支えられ続けるのだと思います。