「利益確定の売り」は非合理的
もともとわが国の個人投資家には、長年「株価が上がったら(下がったら)、売る(買う)」という逆張り的な傾向が観察される。ここしばらく、株価が上がっており、ここで「利益確定の売り」を行っていいのかが大きな問題になる。株価の上昇と並行して、特に元々投資信託や個別株式で含み益を持っていた投資家による「売りは」少なくないという。
相場の世界には、昔から「やれやれの売り」とか「利食い千人力」といった言葉がある。利益を確定するために持っている株式や投資信託を売ってみたくなる心理は投資家ならほとんどの方が理解できるだろう。一回「勝ち」を確定するのは気分のいいものだし、ましてその前に負けていた状態が勝ちの状況に転じたのなら、「ほっとした気分」がこれに加わる。
ノーベル経済学賞(2002年)を受賞したダニエル・カーネマンが、最終的にはプロスペクト理論にまとめた形で指摘したように、「参照点」よりもプラスなのかマイナスなのかで、人の感じ方と判断・行動は大きく変化する。
人は、参照点よりもマイナスの領域においては、参照点の状態まで回復することの効用が大きいためリスクを我慢しやすい。それに対して、参照点よりもプラスの状態になると追加的なリターンの価値が下がる一方、再び参照点を下回ると後悔するだろうと想像してこれを回避しようとするため、リスクに対する態度が厳しくなる。そして、投資家の場合、参照点はほとんどが自分の「買値」であり、これが買値を株価や基準価額を上回ってくると売りたくなるという心理の行動経済学的な説明だ。しかし、「利益確定の売り」は、そこで投資を止めようとしているのでないならば、不要かつ有害である場合が多い。
「売り」に関する不利益の要素
(1)税金を払うことの複利運用上の不利
(2)手数料の不利
(3)ポジションが空(ないし小さい)時に相場が上昇する可能性
(4)「いったん売って、より安く買い戻す」ことの難しさ
の4つが思い浮かぶ。
まず、売って利益を出した場合の課税上の不利を確認しておこう。たとえば、年率5%(おおよそは機関投資家が内外の株式に想定するリスク・プレミアムだ。現在リスクフリー・レートがほぼ0%なので、期待リターンと一致する)で、20年間複利で運用した後に20%の税金が掛かるとすると、
運用資産は当初の投資額の約2.32倍になる。100万円が232万円だ。一方、同じ年率5%のリターンでも毎年「利益確定」して、20%課税される複利運用を20年繰り返すと、
運用資産は当初の投資額の約2.19倍にしかならない。100万円が219万円にしかならない訳だ。「100万円が232万円」と「100万円が219万円」の間には、13万円の差がある。「利益確定」が精神的な満足や気休めのためだけに行われるのだとしたら、その対価としてはいささか高い。もちろん、売買の度に手数料やマーケット・インパクトによる「売買コスト」が掛かるなら、この差がもっと開くことは言うまでもない。
また、特に株式の場合、ごく短期間(場合によっては1日)の急騰によって、長期的なリターンのうちかなりの部分を占めることが多い。そして、困ったことに、この急騰は何時起こるか事前にはわからない。利益確定の売りで、全部ないし一部の投資ポジションを一時的に空にしている時に、この短期間の急騰がやってこないとも限らない。物事を平均的に見るとしても、株式の長期的な期待リターンがプラスなら、ポジションを軽くしている間は、それを放棄する「機会費用」を払っている計算になる。
また、通常、売る場合は「株価が高い」と判断し、投資を続ける前提から、「安くなったところで買い直そう」と思うのだが、「いったん売って、より安く買い戻す」ことは、現実問題としてプロのファンドマネージャーであっても簡単ではない。買い戻しのチャンスがないまま、あるいはチャンスはあっても決断ができないまま、「短期間の急騰」が訪れることがしばしばあるのだ。「利益確定の売り」をやりたくなる心理はわかるのだが、そこを堪えることが投資家一般の行動原則として合理的なのだと強調しておく。
単に合理性だけでなく、追加的な心の支えが必要な人は、米国の有名投資家ウォーレン・バフェット氏の伝記に「スノーボール」(アリス シュローダー (著), 伏見 威蕃 (翻訳),日本経済新聞出版社)というタイトルを思い出して欲しい。バフェット氏は、滅多に売らない長期投資を通じて、運用資産を『雪だるま式』に膨らませたのだ。