英国・欧州事情その2~肌で感じる現地事情

前回、5月後半に訪問した英国と欧州(イタリア、オランダ)の物価事情についての話をしました。現地の状況を肌で感じることは、数字の上だけではない実感を味わえ、その国の通貨に対する感覚や勘を養え、相場予想に役立つという話をしました。せっかくなのでもう少し現地で感じたことをお話します。

英国不動産事情

ロンドンの物価の高さに驚いた話を前回しましたが、それと同等以上に驚いたのはビルの建設が目立ったことでした。訪問前に知っていた英国の経済成長見通しは以下の通りでした。

IMF世界経済見通し(2015年4月時点 %)

実質GDP 2015年見通し 2016年見通し
2015/1予測 2015/4予測 2015/1予測 2015/4予測
英国 2.7 2.7 2.4 2.3
ユーロ圏 1.2 1.5 1.4 1.6

イングランド銀行(BOE)四半期インフレ報告(2015年5月 %)

実質GDP

2015年
見通し

2016年
見通し

2017年
見通し

2月予測 5月予測 2月予測 5月予測 2月予測 5月予測
英国 2.9 2.5 2.9 2.6 2.7 2.4

ECBスタッフ予想(2015年6月 %)

実質GDP

2015年
見通し

2016年
見通し

2017年
見通し

3月予測 6月予測 3月予測 6月予測 3月予測 6月予測
ユーロ圏 1.5 1.5 1.9 1.9 2.1 2.0

IMFの経済見通しによると2015年の英国経済見通しは、1月時点の予測も4月時点の予測も+2.7%でした。回復してきたユーロ圏の予測と比べても1%以上の差がある予測となっています。しかし、5月13日に発表されたイングランド銀行(英中央銀行、BOE)の四半期インフレ報告によると、2015年の実質成長率の見通しを2月時点の見通しから0.4%引き下げ、2.5%と予測しています。足元の景気は減速傾向にあるとの見方を示しています。一方、6月に発表されたECBスタッフによる2015年のユーロ圏経済見通しは、3月時点の予測と同じ予測で変えていません。すなわち、足元の景気の見方に対しては、BOEは弱気、ECBは強気の見方を示していることがわかります。

ところが、実際に現地に行った印象では、ロンドン市内ではビルの建設工事が目立ち、観光客も多く、ロンドンの街は欧州の街と比べて活況という印象でした。ロンドンの不動産市場には、中東や中国からの資金が流入し、値上がり傾向という話は聞いていましたが、米国のように利上げをするということでもなく、緩和継続の金融政策を取っていることから、まだそんなに投機的ではないと思っていましたが見方は間違っていました。高層ビルでもない普通のマンションの建設現場では「1室£500,000~(約9600万円~)」の表示が出ていて販売も好調のようでした。現地の人に聞くと、英国の不動産の固定資産税は初年度の1回限りしかかからず、不動産の価値は古くなるほど高くなる傾向があり、値下がりしないことから投資目的の購入が多いとのことでした。また、シェアハウスに住んでいる知人によると、そのシェアハウスの住人4人のうち、3人は20代、30代のスペイン人とのことです。そのスペイン人と話をすると、スペインでは仕事がないので帰らないとのことでした。欧州の若年層の失業率は高く、若い人が職探しのためドイツやロンドンに流れてくるのは珍しい話ではないようです。

英国の2%台の成長率は、先進国の中では依然高い水準ですが、BOEの見通しのように英国経済にブレーキがかかり始めているのか、それとも今回の英国訪問時に受けた印象のように成長の余韻がまだ残っており、腰折れする前に再び回復していくのかどうか今後の経済指標に注目です。いずれにしろ、米国の利上げによってユーロは売られても、ポンドはユーロ程売られないのではないかというのが、ロンドンの物価事情と活況な不動産市場、かなり多くの観光客から受けた実感でした。

マーストリヒト条約

為替の相場予想には役に立ちませんがおみやげ話をひとつ披露します。

今回の欧州訪問では知人がいるオランダのマーストリヒトに行きました。このマーストリヒトは、1990年代前半に活躍した為替ディーラーにとっては忘れられない地名です。1991年12月、オランダのマーストリヒトでEC(ヨーロッパ共同体)首脳会議が開催され、欧州連合(EU)創設が合意されました。このマーストリヒト条約は、ECをEU(欧州連合)に発展させ、EU創設を定めた条約であり、共通通貨としてヨーロッパ通貨単位、EURO(ユーロ)を導入することも合意されました。つまり、EUとユーロの誕生がこのマーストリヒトで決定されたわけです。為替ディーラーが忘れられないのは、この後、何度となくこの「マーストリヒト条約」がイベントとして顔を出し、マーケットの波乱要因となったためです。この条約が成立するためには、各国で批准しなければならず、この批准過程で相場は荒れに荒れました。まず1993年、デンマークは国民投票を実施し、批准が拒否されるという事態になりました。この結果、デンマーククローネやドイツマルクは売られました。デンマーク拒否の影響はフランスやイギリスの批准にも影響し、その都度通貨が売られるという波乱相場になりました。この何回となく唱えた「マーストリヒト」とは、どんな街だろうと昔の話を思い出しながら訪れましたが、なんときれいな街だったでしょう。小さな街ですが、中欧の雰囲気が漂っているきれいな街でした。司馬遼太郎も「街道をゆく オランダ紀行」の取材で訪れたとのことでした。

そしてその日の夕食に、知人はシャトーネアカンヌ(Chateau Neercanne)というお城のレストランに案内してくれました。なんとこのお城は、マーストリヒト条約の調印後、オランダ女王が各国の首脳をオランダの奥座敷であるこのお城に晩餐会として招待した場所でした。お城のかなり広いワインセラーには、各国首脳のサイン・ボードが展示してあり(実物)、レストランの廊下には各国首脳を描いた絵が飾ってありました。このサイン・ボードや絵を見ながら、あれだけマーケットを騒がせたマーストリヒト条約はこの地で結ばれたのだなと改めて思いにふけ、感慨深いものがありました。