「なんとなく」投資の最大の危うさ
しばらく企業年金と資産運用の関係について述べてきましたが、また「なんとなく」投資からの脱出についての記事に戻っていきたいと思います。今回は「投資で信者になること」についてです。
資産運用において、なんとなく取り組む人が陥りがちな罠に「何かの信者になる」ということがあります。これは初心者は初心者なりに、ベテランはベテランなりに陥りがちな罠だと思います。初心者は無自覚的に(あるいはすがるように)信者になってしまいますし、ベテランの投資家も知らずに信者になってしまうようです。
実は「なんとなく何かの信者になること」は、投資にとってとても危ないことです。
もちろん、「信者」の本来の意味は何かの宗教を信じる信徒のことで、これはたとえです。
「なんとなく」投資をする人がハマる「宗教」とはどのようなものでしょうか。
投資における「信者」とは何か
私がここでいう信者、というのは、「投資判断を盲目的に行ってしまうこと、批判せずに受け入れてしまう何かを持つこと」を意味します。
例えば、「信者」によく見られる行動の一例は以下のとおりです。
【信者A氏】
お気に入りの経済評論家や株式アナリスト、ファンドマネージャーの言うことは全面的に信じている
まさに「投資の教祖」を作っている状態。自分のお気に入りの識者の意見のみを読み、鵜呑みにする状態になると投資判断を他人に丸投げしている状態になる。また、好みでない識者の意見を避けるようになり、投資判断に偏りが生じやすくなる。
【信者B氏】
特定の投資対象、銘柄に対して断定的な見通しを持っており、固執している
特定のアセットクラスあるいは個別銘柄について将来の見通しを持つことは重要ですが(持たずに投資するほうが危ない)、見通しが断定的かつ硬直的なものになることには注意が必要。見通しがどのような状況でもいつも同じ方向になっていないか自省してみることが必要。
【信者C氏】
自分が得意としている銘柄、投資対象について強い自信を持っており、他の意見を受け入れない
投資において自分が得意としている投資対象や銘柄を作るのは決して悪いことではないが、自信過剰になることは常に慎む必要がある。リスクに立ち向かう勇気と自信過剰は異なるし、自信過剰になってパフォーマンスが改善することはない。
【信者D氏】
特定の投資手法を強く否定し、あげつらう
特定の投資手法について、愚かな手法だと強く否定する人がいるが、客観的視点・理論的根拠にもとづくものではなく、個人的見解によるものが多い。自分の好みであるかどうかは、投資の効率性や有意であるかに関係がない。少なくとも何かをあげつらうことで自身のリスクが下がったりパフォーマンスは向上することはない。
【信者E氏】
特定の投資手法を強く支持し、疑念を持たない
D氏とは逆に、特定の投資手法について過度の信認を寄せる者がある。アクティブ派にもインデックス派にもみられる傾向だが、自分の好みの投資手法について疑念を抱かなくなることはきわめて危ない。支持する投資スタンスにこそ常に冷静な目で判断するよう努めたい。
投資で「信者」になることのご利益はない
宗教においては信心を深めることが心の安定や救済につながることがあります。自分の信じる道を究めることには意義があると思います(私は無神論者あるいはアニミズムを信じる立場なので、そうした境地に至ることができないのは残念であります)。
しかし、投資において「信者」となることはあまり価値がありません。投資において信者になることは、ほとんどが「視野狭窄」「思考停止」「自信過剰」であるからです。いずれも投資のリスク抑制になるとは限りませんし、パフォーマンスを高める要素ではありません(仮になったとしても「たまたま結果として」でしょう)。
他の考え方を受け入れない人はとても多いのですが、自ら視野を狭め、新たな可能性を検討することを止めていることになかなか気づいていないようです。
これはインデックス至上主義派も、アクティブ投資支持派も、投信派も現物株式派も同様です。市場見通しにおいて悲観主義者も楽観主義者も同様です。
評論家的には「あの人はいつも強気」ということが個性になったりもしますが、個人の投資においてはひとつのポジションに固執してもあまりいいことはありません。
投資において、何かの信者になることにご利益はない、と考えることが必要です。
自分の頭でしっかり考え投資判断すること
ここまでなんとなく投資をして信者になることの危険性について説明してきました。
「自分は関係ない話だ」と思って読んでいる人ほど、実は信者になってしまっていることが多いので注意が必要です。「誰かの考えの信奉者」になるのは危ないとすぐ分かりますが、「自分の考えの信奉者」も結構危ないのです。
やはり自分の頭で自分なりに考えることが必要です。たくさんの情報を収集し、多様な意見を取り入れることは大切ですが、人によっては、発言そのものに自分のビジネスが介在することがあります。どんなアナリストも経済評論家も、予言者ではありませんので、予想が外れることもあります。
当たり前のことですが、投資の自己責任を考えるとき、重要なことは、自分の頭で考え、自分の責任として投資行動を起こすことです。
私はよくセミナーの冒頭で「私はこれから金融機関にダマされないための上手な疑い方を教えます。しかし、私のいうことを丸飲みしてはいけません。私のいうことも皆さんは疑ってかかりながら聞いてほしいのです」というようなことを申し上げます。
受講者には笑われることが多いのですが(たぶん、ジョークだと思っているのでしょう)、話しているこちらとしては本気であったりします。
「投資の信者」にならないよう、時々自分を振り返ってみてはいかがでしょうか。
ところで、信者になっても投資に影響がなさそうな「信心」もひとつだけあります。
それは「お金をただ増やすこと」の信者です。投資手法も相場観も「お金を増やす」という目的のためにいくらでも変節できる人はむしろ強かったりします。
ただしこれも「お金の亡者」とならないよう注意が必要です。