【質問】
ご自分の晩年を意識された活動をされているようにお見受けします。
人生の生き方として、歯に衣を着せない発言は行うべきでしょうか?

ご質問に回答します





 

 私の場合、晩年が予定よりも早くやって来てしまいました。癌に罹ったせいなので、これは仕方がありません。与件ですし、意識もしています。「何ヶ月単位」で物事を考えています。ただ、急な変化だったので、まだ十分「晩年慣れ」していません。

 さて、一方、「歯に衣を着せない発言」は行うべきかというご質問の趣旨は何なのでしょうか。「山崎元は、晩年を意識して、発言を先鋭化させているのではないか」と思われているなら、全力で訂正したいと思います。

 ご質問にストレートに答えるなら、発言・発信にあって「歯に衣を着せる」必要はありません。「衣を着せる」必要があるなら、歯なんて要らないし、そもそも発言すべき中身を持っていないということなのでしょう。そのようなツマラナイ人間に私はなりたくありません。若い時代、中年時代、質問者のおっしゃる晩年にあって、私は変わっていないつもりです。

 但し、どのような発言が出来るか、さらに何を発言すべきかについては、その時々の自分の覚悟も含めて総合的な「実力」が問われます。

 一つエピソードを紹介しましょう。1980年代の終わりから1990年代のはじめにかけて、30歳代の前半、私は信託銀行でファンドマネージャーをしていました。当時の信託銀行には、顧客の口座間で大規模な利益の付け替えを行うという、とんでもない悪事が横行していました。

 私も、一サラリーマン・ファンドマネージャーとして、先物のトレーディング益を重要顧客のファンドに回し、損を合同運用のファンドに回すような悪事に手を染めたことがあります。ファンドマネージャーが泥棒をするような、ひどい話です。もちろん、後悔しています。

 しかし、さすがにこれはまずいと思い直しました。私は、匿名で原稿を書いたり、メディアに情報を流したり、最後には野党議員に国会で質問させたり、この問題を告発する側に回ることにしました。会社側は、私が告発者であることを分かっていたと思います。しかし、下手に手を出すと、実名で名乗り出られるかも知れないので手を出せなかったのでしょう。

 一方、実名で名乗り出て告発することが出来なかったのは、家族を抱えていて、金融業界で干されたら食べて行けないと思った、当時の私の実力不足によるものです。当時も、今も、気は小さい。

 告発は、結果的には不発でした。金庫番たるべき信託銀行が大規模な泥棒的行為を行っていたというのでは問題が大きすぎるとの判断で、当時の大物政治家と大蔵省が握りつぶすことを決めたのだと、後からジャーナリストの友人に聞きました。

 自分のけじめとしては、その後に、自伝的な転職の本を書いた際に、自分が確かに悪事を行ったことを客先の名前なども含めて具体的に書きましたし、告発の一部始終についても正直に書いています(拙著「僕はこうやって11回転職に成功した」文藝春秋)

 せっかくのQ&Aなので、「俺は、死に際の今になって発言を先鋭化させるようなケチな人間ではないつもりだぞ」と声を大にして言っておきます。

 因みに、拙著が出てから2、3年の間、その信託銀行では、株主総会の想定問答の中に、この問題が質問に出た場合の準備があったと又聞きしています。

 もう一点、言っておきたいのは、歯に衣を着せないと言っても、私の発言は、たとえば金融の問題であれば、仲間である金融マンに対して共感を持ちながら開かれているということです。

 例えば、相談のついでに、がん保険を売って手数料を稼ぐFPは、心底バカであるか小汚い商売人のどちらかなので、職業人としてクズだと言うことに私は何の躊躇もありません。はっきりそういうのが正しいと思っています。そして、問題を正しく理解して悪い商売を止めてくれる人が増えるなら、きっとわれわれ金融マンは、もっとマシな気分のいい世界でビジネスが出来るようになるのではないでしょうか。窓口で自分の良心を麻痺させながら、高齢者に手数料の高い投資信託や保険を売っているような銀行員に対しても同様です。銀行員の皆さん、ちがいますか?

 私は、人が改心し、自己改善する可能性があることに期待していますし、自分を訂正できた人を快く受け入れる気持ちを持っています。金融問題への批判の根底には、自分の仲間である金融マンが、もっと気持ち良く働くことが出来るような状態を作りたいという願望があります。

 決して、批判だけが言いたくて、ダメな相手をキャンセルしたいのではありません。単なる否定や論破は精神的に貧しい。

 哲学者の東浩紀さんに「訂正する力」(朝日新書)という本があります。是非読んでみて下さい。

 私は、自分も「訂正」する用意を持っていたいし、相手の「訂正可能性」にもいつも開かれた状態でありたいと思っています。