金融経済教育のまじめな悩み、個人投資家の本質的悩みかも?
先日、とある金融経済教育の勉強会で、新しいNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)について解説をする機会があったのですが、そのあとの意見交換で、なかなか悩ましい話題があがりました。
- 金融経済教育の重要性は承知しているし、できれば生徒に伝えたいと思っている
- 一方で、投資の魅力について伝えて、それを学生(例えば大学生)が実践したとしても、必ず値上がりするとは限らないのもまた事実
- そこには中長期でリスク資産との付き合い方を考える、だけでは納得できない部分もあるのではないか
- どう学生に投資について(ポジティブに)伝えていくべきか
というような話題です(実際の質疑を今回のコラムの話題に合わせてアレンジしています)。
このテーマ、まじめに金融経済教育に取り組む先生方にとって実に悩ましいことです。
基本的に学校教育においては「正しいこと」が自明であってそれを教えることになります。
近年の学校教育では疑問を自分で見つけたり、必ずしも一律の答えが見つからないテーマにも挑むようなプログラムを織り込んだりしていますが、それでも「投資はいいこと」「投資が社会をよくすればあなたも富む」というロジックが100%再現されるわけではないという、投資の厳しい現実と向かい合っていく必要があります。
意外にこれ、個人投資家の本質的な悩みなのかもしれません。
理屈が正しい投資行動と、結果が正しかった投資行動、どちらを学ぶべきか
個人投資家において悩ましいのは、投資を学ぶとき、「理屈として正しい投資行動」に関する情報と「結果として正しかった投資行動」に関する情報の2つがあることです。
投資の成功者の言行録を読むようなものは後者です。「結果」としてお金を増やすことに成功した人のやり口を知り、それをまねれば自分も成功できるのでは、という考え方です。そして人気コンテンツでもあります。
誰でも「億」稼いだ人の話を聞きたがります。たとえそれが、高いリスクを取っており、結果としての好タイミングに支えられた成功であったとしても、結果としての成功は強い説得力を持ちます。
これに対して前者は、中長期的には経済成長がプラスなのであるから、投資を続けていけばおおむね高いリターンの獲得は得られる、ひとつの投資対象(あるいは銘柄)の未来のリターンを当てることはできないのだから分散投資をしたほうがリスクは抑えられる(大きな下落は回避できる)というような基本ルールを学んでいくような形です。
どうしても「お勉強」の様相が含まれてしまい、伝え方によってはまったく面白みがないものとなることがあります。
また、年率10%以上、あるいは○カ月で倍にする、のような高すぎるリターンが提示されることがないので、投資に「投機」的要素を希望している人には好まれない傾向もあります(といっても、物価上昇率にプラス3~4%あれば十分な増え方なのですが)。
「結果が正しかった」ことから学ぼうとするのか「理屈として正しい」ことから学ぼうとするのかは、同じ投資について学んでいるようでいながら、実はベクトルが違う学び方です。
投資を学ぶことは「答えがひとつの勉強」から「答えが複数ある現実世界」
もう少し「結果」対「理屈」の整理をしてみます。
「結果が正しかった」人の手法は、同様の投資行動をもって再現性があるかは分かりません。マーケットのタイミングが同一であることはないからです。また、同時期に近しい投資手法を用いてもなお資産を全て溶かしてしまった人がたくさんいてもその情報に触れることもありません。そうした人は投資について語る機会を与えられないからです。
「理屈として正しい」ほうはどうかというと、誰でも教育することができるメリットがあり、また汎用的に語ることができることに強みがあります。しかし、結果として必ずしもプラスになるとは限らない、という現実も無視できません。
理屈が正しくても、結果がプラスとは限らないこともある、というのは投資の世界の厳しい現実です(といっても、長期投資の観点では、相場が短期的に急落した「今」をゴールに設定せず、「未来」をゴールとすればプラスに戻る可能性が高いわけですが)。
投資を学ぶことは、現実の世界を学ぶこと
できれば投資について「結果論」を学ぶのではなく「正しい理屈」を学んでほしいと思います。これは学生においても社会人となった投資初心者にとっても同様です。
あわせて「現実」も学ぶ必要があります。例えば、SDGsやESGは理念として重要ですが、それを利他的に受け止める人もいれば利己的に受け止める人もいます(例えばSDGsで利益を得る人もいる)。また、市場全体のインデックスを下回る可能性もあります。
学生の多くは短ければ十数年、長くても二十数年しか人生を歩んでいないわけですが、「20年の長期投資」のようなリアリティのない概念を受け入れて、かつ短期的な(ときには不合理な)市場価格の上下動とつきあっていく必要があります。
ごく普通の個人投資家においても、投資を学ぶことは社会を学ぶことでもあります。企業の業績が上がるのは、ビジネスのアイデアだけでも創業者のカリスマだけでもなく、「運」も若干含まれているのが現実であるからです。
理屈だけでは通らないのは、おかしいことでしょうか。むしろそれは投資、そして現実世界の面白さでもあります。
「理屈」としての投資が、「現実」としての投資を御することができるようになれば、あなたは投資家として階段をひとつ上ったことになります。
願わくば、「理屈」が短期的な感情を抑えることができ、「現実」としても納得のいく収益を得られることを!