これまでのあらすじ

 信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始めた。自分たち家族の人生に必要なお金について、話し合い始めた二人は、毎週金曜夜にマネー会議をすることに。お互いに情報収集してくること、を宿題とした今日、二人は調査の結果を持ち寄るが…

投資用語って難しすぎる!

「今日はたくさん話したいことがあるの。さっさと終わらせてマネー会議始めましょ」

 リビングで洗濯物をたたみながら理香は目を輝かせた。

「あ、シンちゃんはそっちのタオルたたんで」

「了解」

 帰宅後、宿題を一週間分溜めていたことが発覚した健をしかりつけ、目の前で宿題をさせていたため、洗濯物にまで手が回らなかった理香の依頼で、夫婦は黙々と山のような洗濯物を畳み続けた。

 この猛暑で洗濯物もほのかに熱を残していて、たたみ終わる頃には二人は額にうっすらと汗をかいていた。

 それぞれの部屋に洗濯物を届け、リビングに戻ってきた信一郎は、待ち構えていた理香に、缶ビールを手渡された。

 毎週金曜のマネー会議は、夫婦にとって一週間の慰労会の意味もある。子どもたちが生まれてから、夫婦で話し合う時間が激減していた点をフォローするのにもちょうどいいな、と信一郎は思った。怒ると少々やっかいだが、案外聞き上手で、楽観的な理香と話すことは、物事を考えこみがちな信一郎にとっても、気分を切り替えるいい時間なのだ。

 プシッと缶を開け、「お疲れ様」と缶をぶつける。一口目を飲み干して、人心地ついた理香は、バッグからスケジュール帳を取り出した。

「マイケルにも少し話を聞かせてもらったんだけど」

 ページをめくりながら理香が言う。

「資産形成ってケースバイケースみたいね。それぞれの家族構成や経済状況によって、何が必要で何が不要かっていうのは変わるから、僕の話は参考にならないよって言われちゃった」

「あ、それ、工藤さんも同じこと言ってたよ」

 信一郎は少し驚いてそう返す。

「子どもの年も違うし、周囲の環境も違うから僕の家は参考にならないって言われた」

「わー、やっぱりそうなのね。成功してる人のマネすればいいかなってちょっと思ったんだけど、難しいな」

「そうそう。僕も工藤さんの家をお手本にしようと思ってたのを見抜かれちゃったよ」

 夫婦は感嘆とも落胆ともつかないため息を漏らす。

「マイケルがね、君たち夫婦はどんな老後を送りたいか、パートナーとイメージのすり合わせをしろって言ってたの」

 それを聞いた理香は、今日のマネー会議までの一週間、脳内でさまざまなイメージを巡らせていたらしい。

 フロリダのビーチハウスで過ごすまったりした午後、都心の豪華ホームで上げ膳据え膳、熱海の温泉マンションで在宅ワーク、などいろいろな妄想の末「経済的にも、性格的にも、なにより子どもたちから遠く離れることを考えると、いろいろ無理!」という残念な結論に至った、と笑いながら理香は言った。

「そりゃまた大きく出たな」と信一郎は笑う。

「熱海は悪くないけどフロリダはイヤだ。遠いし暑い。今から英語やるのも面倒だ。それに海外移住しても年金が出るのかどうかも分からないし」

「想像は自由じゃない。フロリダならディズニーランドも近いし」

「年をとったらジェットコースターなんて乗りたくなくなるよ。体力もなくなるし、無理」

「そう。無理」

 理香は大きくうなずいた。

「自分の限界を知りたいから、わざと大きな理想から入ったのよ。最初からちまちま考えてたら辛気臭いもん。考えてる間は自由で楽しかったんだけど、どれくらい生活費が必要かなって考えると、無理無理って思った。でも、そこまで豪華じゃなくても、自分の好きなようにこれからの人生をデザインできるんだなって思って、かえって現実感が増したの」

「よかった。ほっとしたよ」と信一郎は笑った。

 子どもが生まれてからは怒涛の「現実」に追われて、二人で「未来」の話をしたことがなかったよな、と信一郎は改めて気づく。子どもたちはいつか巣立つ。そうなったら理香と二人に戻る。子どもたちの幸せはもちろんだが、理香が笑顔でいられる環境を作っていくためには自分の責任も重い、と信一郎は気が引き締まる思いだった。

「私は、贅沢はしなくていいけど、我慢しすぎないレベルの生活ならそれでいいかって思った。シンちゃんと二人で、時々おいしいもの食べて、たまーに旅行にも行けて、時間ができた分、趣味にも少しお金が使えればOKかな」

「僕は、健や美咲が困ってたら、助けてあげられるくらいの余裕が欲しいな。それ以外は、今よりも生活が質素になっても嫌じゃない。さっきも言ったけど、体力的にも衰えるからゴルフもそんなにしょっちゅう行かないだろうし、映画見たり博物館行ったりするのに困らない程度なら、毎日笑って過ごせると思う」

「私たちってしょせん、庶民なのね」

 信一郎が1缶目を飲み干したのを見て、理香は2缶目を取りに冷蔵庫へ向かう。

「とりあえず、庶民な私たちに合う贅沢を満喫しましょ」

 ちょっと高級な外国産ビールを手渡され、信一郎は目顔で感謝を伝えた。

「で、資産形成なのよ」

「それだ。二人の未来イメージはけっこう似た生活レベルでまとまったとして、健や美咲が進学し終わるまでは頑張って稼がないといけないし、その稼いでる時間に、自分たちの未来のために備えもしないといけないんだよな」

「だけど…」とたんに理香の顔が曇る。「気ばっかり焦って、何から手をつけたらいいか分かんないの。とりあえず家計簿アプリをスマホに入れて、収支をしっかり管理するようにだけはしたんだけど…」

「十分だよ。そのアプリに僕の給与も入れてよ。こづかい制にするかどうかはちょっと考えさせてほしいけど、僕の収支も報告するようにする」

「了解。あとで銀行口座教えてね」

 理香はポチポチとスマホをたたいた。

「今の時点で、収入と支出の差分ってどれくらいあるの? 毎月どれくらい残ってる?」

「月によるの。暑い日についタクシー使っちゃったり、健の誕生日や友達の結婚式があった月は赤字スレスレかな。定期的にいくら貯金できる、っていう確約はできそうにないな」

「確かに…」

「あーあ。こんなんで教育費や老後の貯金って、ホントにできるのかなー」

「定年まで20年ぐらいある。頑張って計画立てようよ」

 頬杖をついてぼやき始めた理香を信一郎は励まし、信一郎は数冊の本をテーブルの上に置いた。

「僕も、何から手をつけていいか分からなかったから、ひとまず本屋に寄ってきた」

『初めての資産形成』『初心者に最適!投資きほんのき』『お金が貯まる家族、貯まらない家族』など、まさにこれから資産形成の海に乗り出そうとする夫婦にふさわしい言葉が躍る本や雑誌を見て、理香は身を乗り出した。 

「本! 本かぁ…。その発想はなかったわ。私はWebで検索したんだけど、情報が多すぎて、中には怪しげなサイトも上位に出てきて、怖くなってパソコン閉じちゃったの」

 確かに本や雑誌なら、必要最低限の情報がまとまっていそうね、と理香はページをめくり始めた。

「だけど、本や雑誌の情報は古くなるから、アップデートしていかないといけないのも事実だよ。そのへんは慣れてきたら理香の得意分野だと思うよ」と信一郎もページを開く。

 しばらく目次を追っていた信一郎は、手がとまってしまった理香を見て首をかしげた。

「どうした理香?」

「シンちゃん、ゴメン。私、用語がまったく分かんない…これはたぶん、[ニーサ]よね。最近テレビでもやってるし…名前は聞いたことある。でもコレ、なんて読むの?」

「えっと…たぶん[イデコ]で合ってると思う」

「……何、それ」

「……それを今から勉強するんだよ」

 目をうろうろさせた信一郎を見て、さては信一郎もけっこうあやふやなのだ、と思い当たり、理香は少しほっとした。好奇心旺盛で、知識が浅く広くにとどまりがちな自分に比べて、物事をしっかり深くとらえる信一郎を、理香は実のところ、かなり尊敬している。

 褒めると調子に乗るので普段はあまり言わないのだが、信一郎をおだててしっかり学んでもらい、それを教えてもらうほうが効率がいい、と理香は少し肩の力を抜いた。

「理香?」

「私、パソコン持ってくる。自分達でも調べながら読もう」

「よし、僕は分かったことをノートにまとめるよ」

 二人はそれぞれの部屋に駆け出した。

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