「フリーミアム」を実践したグレイトフル・デッド
デイヴィッド・ミーアマン・スコット&ブライアン・ハリガン『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(渡辺由佳里訳、日経BP社)は、今日的なマーケティングを易しく学ぶことができる好著だった。
グレイトフル・デッドはアメリカの西海岸を拠点に1960年代から活動しているロックバンドだ。このバンドは独特のビジネス・モデルで活動してきた。近年使われている用語を当てはめると、「フリーミアム」と「データベース・マーケティング」の実践者ということになるだろうか。
「フリーミアム」とは、クリス・アンダーソン『フリー~<無料>からお金を生み出す新戦略』(小林弘人、高橋則明訳、日本放送出版協会)で有名になった言葉だが、無料で広範囲にコンテンツを配ることによって多数の顧客を獲得し、その顧客の中から有料のプレミアム・サービス(ないしコンテンツ)にお金を払う人を集めるビジネス・モデルを指す。例えば、携帯電話などでプレーするゲームを無料で配り、このゲームで使えるアイテムや、ゲームのプレミアム版を有料で購入するユーザーからお金を取る、今日のソーシャル・ゲームのビジネスはフリーミアム戦略の具体例だ。
『フリー』は今日のビジネスを理解する上でビジネスパーソンがぜひ読んでおきたい基本書の一つだが(投資家もぜひ読むべき本だと思う)、しっかりした内容のビジネス書なので、読者にとっていくらか敷居が高い。この点、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』は気楽に読める本に仕上がっている(筆者はお風呂の中で読んだ)。
詳しくは書籍を読んでいただきたいが、かつて多くのバンドがレコードやCDを大量に売るためにコンサートを行い、コンサートではファンに録音や写真を禁止するのが常道だった。ところが、グレイトフル・デッドは活動初期からファンにコンサートの録音とファン同士での録音テープの交換を許し、単に許すばかりではなく、録音を希望するファンには、良い音質で録音できる専用の場所をコンサート会場内で提供した。この結果、グレイトフル・デッドは多くのファンの熱心な支持を集め、コンサートのチケット収入や関連グッズの売り上げで商業的にも大成功した。もちろん、ファンにとってはコンサートの「特別な体験」を追体験する意味でも、コレクションの対象としても、レコードやCDが「持っていたい物」になるため、レコード、CDのセールスも悪くなかった。
また、彼らは、やりとりが郵便の時代からファンにコンサートチケットを直接販売し、個々のファンのデータを管理して、きめ細かくフォローすることによって、忠誠心(マーケティング的な意味で)の高い顧客を獲得することに成功した。
近年、音楽がデジタル配信できるようになり、また、デジタルデータのコピーや交換がユーザー側で容易にできるようになったこともあって、かつてほどCDが売れなくなってきた。一方、コンサートに足を運ぶ音楽ファンはすでにお気づきのことと思うが、コンサートのチケットの値段はかつてよりも随分上がってきた。本格的なデジタル時代を迎えて、音楽アーティスト業界の収入の配分はグレイトフル・デッド型に近づきつつある。
グレイトフル・デッド型の運用ビジネスは可能か?
アクティブ運用を売る投資信託は、通常、受益者以外にはポートフォリオ(投資銘柄とウェイト)を公開せず、運用がいかに優れているかを間接的な方法で(過去のパフォーマンス、運用者の経歴、会社の哲学、運用技術に関わるあれこれ、などを宣伝することで)、資金を集めようとする。
独立系の投信会社では、投資家に直接ファンドを販売する努力として、見込み客に対してセミナーを行ったり、投資対象会社への訪問に顧客を伴ったり、といったマーケティング的な努力をしている会社もある。運用資産の残高を見ると、一部には、ビジネス的に儲けが出るくらいの運用資産を獲得した会社があるが、多くの会社がビジネス的にはまだまだ苦戦しているように見える。
仮に、こうした会社で、アクティブ・ファンドのポートフォリオを全面的に公開してしまうとどうか。「厳選された銘柄に長期投資する」といった方針を持つ会社があるが、こうした会社が、ポートフォリオを公開して、「これがわれわれの運用です。いいポートフォリオでしょう!投資家は真似しても構いませんよ」とやるとどうなるだろうか。
プロのポートフォリオを公表するわけだから、多くの関心を集めることは間違いないのではなかろうか。
もちろん、公開されたポートフォリオだから、運用パフォーマンスもガラス張りだし、要因分析も容易だ。観客は、どんな銘柄でどうやって儲けたのか、実感を伴って理解することができるだろう。
運用が好調であれば真似をしたい人も出てくるだろうし、特に、新規に買った銘柄については、追随買いが出てくる可能性もある。こうした動きが運用の制約になる場合があるかも知れないが、売買に時間が掛かる銘柄でなければ大きな実害はないだろうし(特に「長期投資」にあっては微々たるものだ)、公開に何日かのタイムラグを作る手もある。
この場合、投資家は自分の資金でポートフォリオをコピーしてもいいわけだが、分散投資できるほど十分な資金がない投資家もいるだろうし、「この運用はいいと思うので、投信を買う!」という投資家も出てくるだろう。
また、どのような観点で企業を評価しているのか、何をどう考えてどのようにポートフォリオを作っているのか、という投資の手法に興味のある観客も出てくるだろう。彼らには、有料でセミナーをやってあげたらいいのではないか。
或いは、四半期毎の運用の説明会を楽しいイベントにして、有料で参加してもらう手もある。
投資対象企業に対する会社訪問、工場見学やビジネスを学ぶための各地の視察に連れて行って欲しいと思うファンが出てくる可能性もある。彼らも、プレミアム・サービスに対してお金を払ってくれるかも知れない有望な潜在顧客だ。
この種の有料サービスを、「一定額以上ファンドに投資してくれた顧客」に限定する手もあるが、個々のサービスに課金してお金さえ払うなら自由に参加できるようにする方がフリーミアム的かも知れない。もちろん、両者を組み合わせてもいい。
また、運用会社は、運用に関するインフラを持たなければならず、コンプライアンスに対する対応なども含めて、運用判断以外の固定費的なコストが高く、これが一種の参入障壁にもなっている。この際、実際の資金の運用を自社では持たず、ポートフォリオだけを発表して、これに投資したいというニーズが高まったら、このポートフォリオに対するETF(上場型投資信託)をどこかの運用会社と証券会社に組成して貰う手もある。製造業でも、デザインだけ行い、工場を持たない、「ファブレス」をビジネス・モデルとする企業があるが、運用サービスでもこれが可能かも知れない。
筆者の個人的な判断として投資対象ポートフォリオとしては気の進む代物ではないが「日経平均」は、銘柄と投資ウェイトが公開されたポートフォリオであり、これをターゲットにして、インデックスファンドやETFが組成されている。ポートフォリオとしての日経平均は、ファブレス運用のビジネス・モデルの先駆者であるといえる。
たとえば、ファンドマネージャーとアナリストがネットをオフィスとする会社を作り、「ポートフォリオ」をネットに公開して、パフォーマンスを含むデータを継続的に発表する。やがて、このポートフォリオに関心が集まったら、ビジネスマネージャーを雇い、各種のプレミアム・サービスを企画・実行すればいい。ETFを組成する場合、運用会社からポートフォリオの使用料を貰う。投資顧問業者として登録すべきかどうかは微妙だが、自分自身が注文まで行ってお金を運用する投資一任業者になる必要はないから、運用のためのシステム・コストもコンプライアンスのコストもほとんど掛からないはずだ。
ポートフォリオのファンと楽しく交流しながら、関係者(数人?)が食べて行ける程度のビジネスにならないものだろうか。誰か、チャレンジしてみる人はいないか?