※本記事は2011年8月5日に公開したものです。

試験問題としての投資と投機

 筆者が担当している大学の授業、「金融資産運用論」の期末試験で、次のような問題を出してみた。

『投資』と『投機』をどう区別するといいか、経済的性質の違いと、運用者にとっての意味の観点から論じて下さい。

 回答は字数600字をめどとする記述式で(時間は60分)、三題の中から一題選んで答えてもらうことにした。他は、「行動ファイナンス」及び「個人の資産運用手順」に関する問題を出した。

 圧倒的に多数の学生がこの問題を選択した(総受験者467名のうち3分の2くらい)。書きやすい問題だと思ったのか、あるいは、常識を働かせると何とか書けると思ったのか。

 ちなみに、いずれの問題の内容も授業で取り上げているし、どの分野の問題を出題するかについてと回答のポイントについては、最後の授業で説明した。また、試験は持ち込みすべてOKという条件で実施しているので、学生は十分準備した上で答案を書けるはずだった。

 しかし、残念ながら、完璧な答案は少数で、多くの答案が出題者にとって不満なものだった。正直なところ、いささか残念な気持ちで採点していたのだが、多くの答案を見るうちに、間違った答案の中にもいくつかの傾向があることが分かって来た。

インカムゲイン偏愛

 誤答のパターンとして、最初に目に付いたのは、投資はインカムゲインの獲得を目指すもので、投機はキャピタルゲインを狙うものだ、というものだった。

 授業では、

  • (1)インカムゲインとキャピタルゲインは両者を総合して損得を考えることが重要であること
  • (2)インカムゲインとキャピタルゲインは金融商品の設計により交換・操作が可能であること(例えば「ステップ・ダウン債」を想起されたい)
  • (3)投資家はインカムゲインを喜ぶ傾向があり、これが金融商品の設計と(売り手側の儲けに)利用されていること
  • (4)かつてインカムゲインを重視した投資家がその傾向を利用されて損をしたことがあること(過去の日本の債券機関投資家の「直利指向」や生命保険会社の「ハーディー利回」による利回り競争など)

 などについて力を入れて説明しており、この点がよく伝わっていないのは、残念だった。

 誤答した学生達は、不適切な本でも読んだのかも知れないが、大学生の段階で、すでに、インカムゲインが投資の目的であり、キャピタルゲインよりも健全なものだという先入観を形成している人が多数いることは新鮮な驚きだった。

 確かに、顧客がこの調子なら、運用会社や販売金融機関は、分配金を強調した商品設計の投資信託などを売りたくなるはずだ。

投機だって甘くないのに

 投資と投機を、運用する側の心構えで区別する精神論的回答も相当数あった。

 たとえば、投資は対象企業や日本経済を「応援」する心構えで行うが、投機は自分さえ儲ければいいという態度だ、というような区別だ。

 もちろん、出題者は、このような精神論を回答に期待していたのではない。また、投資と投機について、どちらが倫理的に好ましいと思っている訳でもない。市場の参加者が自分のリスクと責任において行う分には、両者に善悪の区別はない。ただし、両者の経済的な性質の違いを正確に知って欲しいとは思っていた。

 また、同じパターンの回答が多数あって驚いたのは、投資は、投資対象を詳細且つ慎重に分析して行われるが、投機は限定的な情報に基づいて少ない選択肢の中から賭を行うイメージだ、というような記述が多数あったことだ。

 株式投資を例にとって説明しようとする答案が多数あったが、これらの中にも、投資は投資対象企業の業績や成長性が大切だが、投機は「対象企業の業績とは一切関係なく」株価の動きに対してだけ行われる、という趣旨の回答がかなりの数あった。

 こうした回答を書いた学生達は、投機というと、値動きのいい銘柄の株価の動きだけを見てトレーディングに参加するような取引だけをイメージしているようだ。

 しかし、これは、本格的な投機家(例えば証券会社のトレーダー)に対して失礼というものだろう。もちろん投資も投機も真剣に行われるものだが、プロの世界では、分散投資でのんびり投資している投資家的参加者(年金運用のファンドマネジャーなど)よりも、投機的なポジションを取って市場に参加している参加者(証券会社の自己勘定のトレーダーなど)の方が、切羽詰まっているという意味ではより真剣なのではないだろうか。

 少なくとも、投機で参加している参加者の方が銘柄や市場に対する検討が甘いということはいえない。また、株式のトレーディングにあって、業績に関わる情報は重要な要素なので、投機の場合にこれを無視するということもない。

急所はリスクプレミアムの有無

 問題の出題意図は、リスクプレミアムの有無にある。

 投資の場合は生産活動に対して資本を提供する形でリスクを取って参加することになるが、投資対象がプライシングされる際には、リスクに見合ったリスクプレミアム込みの利回りで将来に予想されるキャッシュフローが割り引かれて価格が決定されると考えられる。つまり、プライシングに、リスクを補償するリスクプレミアムが反映していることが期待できる。

 他方、投機の場合は、市場の参加者がお互いの見通しの違いに賭けてゼロサムゲームに参加する構造になっているので、市場の参加者はリスクを負っているものの、売り方と買い方の損益の合計はゼロであって、リスクを補償する超過リターン(リスクプレミアム)は期待できない。

 投資の場合であっても、投資家が参加する(買う)価格が高すぎたり、結果的に見通しが狂ったりした場合にリスクプレミアムがなかったり、マイナスのリターンになったりする可能性もあるが、理屈の上では、市場の参加者がリスクに見合ったリターンのプレミアムを期待することが可能であり、「ハイリスク、ハイリターンの原則」が成立する余地がある。投資の場合、時間の経過と共にこうしたリスクプレミアムを稼ぐことが期待できる。この場合、投資の期待回収率は100%を超える。

 一方、投機では、自分が他の市場参加者に勝てるという強い見込みがあるのでなければ、運任せのゼロサムゲームでリスクだけを取ることになりかねない。

 投資における「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、絶対に実現する物理法則のようなものではないが、理論的にはある程度期待していい傾向性だといえる。従って、長期にわたる資産形成にあっては、投機のリスクではなく、投資のリスクを取り込むことを中心に考えるべきだ、というのが出題の趣旨である。

 付け加えるなら、分散投資がリスクを抑えながらなるべく多くのリスクプレミアムの獲得を目指す上で有効なテクニックであることや、外国為替のリスクが投機のリスクであることなどの指摘があれば、さらに実際的な説明になる。

 さて、このように「ハイリスク、ハイリターンの原則」に関連する「リスクプレミアム」の有無が今回の出題のポイントなのだが、驚き且つ困ったのは、「投機はハイリスク、ハイリターンだ」と書かれた答案が多数あったことだ。

 これは、出題意図の真逆の記述であり、厳密には「誤答」というしかない。しかし、実際の採点では、この部分で減点はするものの、回答の際に、勘違いしたか、手が滑ったのだろう……と解釈して他の部分の記述を好意的に評価することとした(日頃の自分とは別人格の優しさだ!)。

 実は、投機を「ハイリスク、ハイリターン」と説明する誤りは、商品先物業界や時には金融界でも存在する。

 高いレバレッジを掛けた取引で成功した場合に「ハイリターン」が実現することは間違いないのだが、「ハイリスク、ハイリターンの法則」でいうハイリターンは、リターンの「期待値」が高いことを指すのであり、商品先物取引やFX(外国為替証拠金取引)のようなものを「ハイリスク、ハイリターン」と形容することは適切ではない。

 今回、大量の答案を採点してみて、インカムゲインとキャピタルゲイン、あるいはハイリスク、ハイリターンの原則に関する不適切な理解が、かなり早い時点で先入観として浸透しているらしいことが分かった。丁寧な投資教育が大切だと思ったことであった。

【コメント】

 10年以上前の記事だが、内容に訂正や変更点はない。「投資」と「投機」を「リスクプレミアム」の有無で区別するこの記事の考え方は、筆者の投資論の土台となっている。その後、(1)低成長でもリスクプレミアムが十分期待できること、(2)資本の量が調節されるので「資本主義」も「投資」も気候問題などの制約があっても存続可能であること、(3)投資とはリスクプレミアムのコレクションだ、などの理解を折りに触れて付け加えた。資本を提供する「投資」にあって、なぜリスクプレミアムが期待しうるかを理解することは重要だ。(2022年5月16日 山崎元)