(5)ドルコスト平均法が有利な投資法だと信じている
時間を分散して何度にも分けて同一のリスク運用商品を購入することが、リスク分散になり、特に、毎回定額で買う「ドルコスト平均法」は、平均買い単価が低下しやすくて有利だと考える信者が多い。
マルキール氏の前掲書にもドルコスト平均法を賞賛する記述があるし、FPの教材などにもドルコスト平均法を有益な投資法として紹介する記述があるようだ。もちろん、運用に詳しくないお金のアドバイザーが書いた入門書には、ドルコスト平均法への賞賛が頻出する。
では、ドルコスト平均法がそんなにいいのかというと、冷静に考えるなら、そうではないことが分かる。
先ず、リスク資産に投資する場合に、一度に買う場合と比較して、分割購入の途中時点では投資額が少ないのだから、リスクが小さいのは当然で、期待リターンも小さくなっているのだから、少しも有利ではない。もともとリスクに見合う以上の期待リターンがあると思うからその資産を買うのだろうから、時間をかけた分割購入は、利益機会を逃す「機会費用」を発生させている。
加えて、売買回数が増えるのだから、手数料と手間が余計に掛かる。
また、定額購入と一定数(株なら同一株数、投信なら同一受益権数)単位の購入のどちらが有利かは、収益率の時系列自己相関がプラスかマイナスかによるが、過去のリターンと将来のリターンの相関は概ね無相関であって、ドルコスト平均法が「有利だ」と言える理論や実証結果はない。
上がって、下がって、また上がる…、というような人が典型的だと思いやすい値動きのケースにあって、保有資産に対するリスクと期待リターンではなく、平均買い単価だけに注目した場合に、ドルコスト平均法が有利に見えて「気が休まる」というのが、ドルコスト平均法の真相なのだ。
気が休まるだけなら罪はないが、先に見たように、機会費用、手数料、手間の問題があるし、ドルコスト平均法が有利だと過信した場合、単一のリスク資産に過剰な投資を積み上げてしまう不都合が生じる。
社員持ち株会のパンフレットには、ドルコスト平均法なので有利だという記述があることが多い。しかし、勤務先の株式への投資自体がリスクの過剰集中であり、運用セオリーに反するものなのだ。ドルコスト平均法でこれを正当化しようとするのは不適切だ。
リスク低減を目的にドルコスト平均法を使うなら、毎回異なる投資対象に投資して、その後も有効な分散投資を構築するのがいいことは自明だ。
他方、ドルコスト平均法が有利であるとしておくことは、金融機関から見ると、顧客の積立投資促進につながって好都合だ。積立投資の顧客は、一度投資するところまで誘導に成功したら、放っておいても継続的に資金を投入してくれる好都合な顧客だ。
定額で自動積立でもしないとお金は貯まらない、という意見には筆者も同意するが、これは、いわゆる「天引き」での積立という手段が貯蓄に向いているということであって、ドルコスト平均法がいいということではない。
ドルコスト平均法についてどう言っているかによって、お金のアドバイザーが合理的に運用を考えられる人なのか否か、或いは、顧客をどう扱おうとしているかが分かる。
(6)NISAやDCでバランス・ファンドへの投資をアドバイスする
NISAとDC(確定拠出年金)は共に、通常の投資であれば運用期間中に掛かる運用益に対する課税が非課税になる点が有利な、投資優遇税制の性質を持っている。
NISAあるいはDCで運用している資金だけが金融資産運用だという小口の投資家を除くある程度以上の資産を運用している投資家の場合、これらの制度内での資産運用は、「自分の運用資産の中で、期待リターンの高い資産の運用部分をNISAやDCに“割り当てる”」ことが合理的だと計算出来る。
伝統的な資産区分では、内外の株式がリスクはあるが期待リターンの大きな資産運用のパートということになるだろうから、NISAやDCに、これらの運用を集中することが合理的だ。
これは、簡単な計算で分かる話なのだが、NISAやDCの資金を個別に見て、「途中売却すると非課税枠から外れるので、リバランスがファンド内で出来るバランス・ファンドにしましょう」(NISAの場合)とか、「年金なので安全に」或いは「米国ではライフサイクル・ファンドという選択肢が普及しています」(DCの場合)などと言って、これらの非課税運用口座での運用に、バランス・ファンドを勧める向きがあるのは、嘆かわしいことだ。
彼らの理解の共通の欠落は、個人の「運用資産全体の最適化」という視点が無いことだ。これは、年金運用でいうと、マネージャー・ストラクチャー(運用機関の組み合わせ)の基本が分かっていないということだし、企業金融の理論でいうとモディリアーニ・ミラーの定理が分からない人(経済学部卒業生なら恥ずかしいレベル)、ということになろう。
バランス・ファンドは、中身の調整を運用機関がやってくれるので、一見親切で分かり易いが、投資家は実際にどのようなリスクを取っているのか正確に把握することが難しく、また、同等の運用を単品のファンドの組み合わせで行うよりも手数料率が高く付く。
DCにバランス・ファンドは不向きなのだが、「ライフサイクル・ファンド」という商品がある理由は、米国の運用の世界にも間違いがあることと日本人が海外の商品を真似したがることの他に、金融機関側では、アセットアロケーションの説明が出来ない販売員にとって販売しやすいことが挙げられる。
筆者は、かつて、ある都市銀行グループの商品企画に近い仕事をしている人に、「どうしてDCにライフサイクル・ファンドのような筋悪なものを並べるのか」と質問したことがある。対する答えは、「ウチの売り子には、難しい説明が出来ないからですよ」というものだった。DC営業に携わる銀行員を馬鹿にした、加えて、DCの投資教育にやる気のない、残念な返答を聞いたやりとりが忘れられない。
(7)市場予測と商品評価を混ぜて考える
たとえばドル高・円安を予想しているときに、ドル建ての外貨預金に資金を投じるのはいいことか。素人の多くは、「いいことではないか」と答えそうな気がするが、これは正しくない。
そもそも予想は当たるか当たらないか分からない不確かなものだが、それが理由ではない。仮に、予想通りに円安になったとしても、外貨預金の金利や為替手数料を考えると、同じリスクを取る外貨建てMMFやFXよりも明らかに損だからだ。そして、もちろん、円高になった場合にも、外貨預金の方が損は大きい。つまり、個人向けに提供されている外貨預金というものは、金融商品としての構造比較の段階でダメなものが殆どなのだ(もちろんプロの銀行間で行う外貨預金は別だ)。
金融商品としての優劣と、その時の市場環境に対する判断とは、別個に出来るものであり、「(他の商品と比べた場合に)同じ内容のリスクを取るのに、実質的な手数料が高い金融商品は、市場環境にかかわらずダメ」なのだ。つまり、同一カテゴリー内で相対的な手数料が高い商品に出る幕はないのである。
運用会社や販売会社にとっては身も蓋もない話だが、この区別が分かると、現存する投資信託の9割以上の商品を、市場予測に関係なく、自信をもって却下して、投資の検討対象から外すことが出来る。
これは、お金のアドバイザーが、真に投資家の役に立ちたいなら、論拠と効果が明快で且つ物事がシンプルになる「いい話」のはずなのだが、手数料の高い商品を勧めたいという動機を持っている場合には、そう納得する訳に行かない。
顧客の注意を、商品の実質的な手数料にではなく、マーケットの予想に集中させたり、あるいは、複数の異なるカテゴリーの商品を比較させたりして、「市場環境の話」と「運用商品の優劣の話」を混ぜ合わせて、高い手数料の商品を検討の俎上に載せようとするのだ。
或いは、運用の「結果」だけを論じて、「期待」の段階での意思決定の優劣比較を回避する手口もある。「私は、こうやって投資で儲けて来た」と言い募ったり、「ならば、どの商品がいいか、将来の結果を見て判断して貰いましょう」と開き直ったりする。投資の結果はばらつくので、結果がいい場合も悪い場合もあるが、意思決定自体の優劣は、期待の段階で判断すべきものだ。この点を誤魔化す、「悪しき結果主義」に付き合ってはいけない。
販売に高い人件費コストが掛かる対面営業型の金融機関では、実際にはこれらのような手口を使わないとビジネスが成立しない側面があるのは事実だ。しかし、お金のアドバイザーを名乗る者が、両者を区別しないで無責任な(あるいは意図的な悪意のある)アドバイスを行う場合があるのは、困ったこと、情けないことである。
【コメント】
FPをはじめとするお金のアドバイザーのアドバイスに金融論的な誤りがあることが、実は珍しくない。本記事は、7年半ほど前の2014年に書いたものだが、具体的な誤りの箇所について、比較的網羅している。読者が、アドバイザーの力量を評価する時に参考にして欲しい。また、FP等が書いたお金関係の書籍にも本稿で指摘した誤りがある場合が少なくない。「CFP資格を持っている」、「本を書いている」というくらいでは、全く頼りにならない場合があることがお分かり頂けるだろう。
アドバイザーには、金融知識が不足する問題の外に、相談を通じて生命保険を売って保険会社から報酬を得るような、ビジネス上の利益相反の問題を抱えているケースもあるので注意したい。
筆者は「お金の運用は、まともな書籍をしっかり読めば、アドバイザーなどなくても、自分で出来る」という立場だが、どうしてもアドバイザーを使いたい人は、(1)金融機関に所属したり生命保険などの商品を売ったりしない独立したアドバイザーに相談する、(2)できればセカンド・オピニオンを取る、(3)相談料をしっかり払って相談する、の3点を意識して貰いたい。(2022年1月16日 山崎元)