2018年も残りわずか。平成最後の年に当たり、日本株市場の大きな流れを振り返り、次の10年を展望します。

 

バブル崩壊から始まった「平成」

 平成元(1989)年は、日経平均が史上最高値(3万8,915円)をつけた年です。まさに、「バブル崩壊」「失われた10年」といわれる1990年代がスタートしたところでした。

平成の日経平均推移:1988年12月末~2018年12月10日 

出所:楽天証券経済研究所が作成

 1990年代は、日本の金融機関が不良債権を抱えて苦しんだ時期です。1997年、東京三菱銀行は不良債権のバルクセールを始めました。それが日本の金融危機の序章でした。不良債権処理に踏み切る体力が残っていた銀行は生き残ります。ところが、「いつか不動産や株はまた元に戻る」と期待して処理を先送りしていた金融機関が、この後ばたばた破綻することになります。

「社員は悪くありません」と、涙ながらに山一證券社長が破綻を報告するのはその翌年。含み損を抱えた株式を隠していたのが表面化したことが破綻の原因です。経営者が株価の戻りを期待して損失計上を先送りしているうちに、どんどん損失が拡大しました。
続いて、北拓、長銀、日債銀など大手金融機関が破綻します。不動産融資にのめりこんだまま、経営陣の対応が遅れたツケが出ました。その後、不動産・建設・金融などで上場企業の破綻が続きました。

 日本の金融機関が不良債権の処理を終え、金融危機を脱するのは2003年です。りそな銀行に公的資金が入ったところで、金融システム不安は解消しました。

 1998年から2005年まで、日本企業は生き残りを賭けた「合併・リストラ」「構造改革」を実施しました。その成果で、2003年から07年まで日本企業の復活が続きました。「ようやく失われた10年を脱した」と言われました。

 ところが、それは甘い期待でした。2006年から「構造改革疲れ」という言葉がブームになり、合併破談・買収防衛策の導入が相次ぎました。

 その頃から少子高齢化が一段と進み、内需企業が疲弊してきました。さらに、力をつけたアジア企業(韓国・台湾・中国)が、エレクトロニクス産業で日本企業を追い詰めるようになりました。2008年にリーマンショックが起こると、日経平均は再び、大きく下がり、バブル崩壊後の安値を更新しました。平成が始まってからリーマンショックに苦しむ平成20年まで、日本は「失われた20年」を経験したと言われました。

 

構造改革の成果が結実、平成しめくくりは「復活の10年」に

 リーマンショックを経て、復活の10年が始まりました。今、日経平均がバブル崩壊後の高値圏にあるのは、失われた20年で行った構造改革の成果と考えています。

1998~2005年の構造改革

◆金融危機を克服:不良債権処理を完了

◆業界再編:金融・化学・鉄鋼・石油精製・セメント・紙パルプ・医薬品・小売り業などで、生き残りを賭けた合併・リストラが進む

◆財務体質を改善:日本中の企業が借金返済にまい進。借金過多のバブル時より財務が大幅改善

◆省エネ・環境技術をさらに進化:日本は1970年代以降、省エネ・環境技術で世界をリードしてきたが、2000年代の資源バブルでさらに技術優位を広げた

2006~2013年の構造改革

◆内需産業が海外で成長:内需産業(小売り・食品・サービス・化粧品・金融・陸運など)が海外(主にアジア)進出

◆サービス化・IT化:ITを駆使した成長企業が増える。AI(Artificial Intelligence:人工知能)・IoT(Internet of Things:モノがインターネット経由で通信すること)の普及始まる。製造業でも、サービス化・IT化に対応した「脱製造業」のビジネスモデルが広がる

◆海外M&A:日本企業が大型M&A(merger and acquisition:企業の合併・買収)を次々と実施し、海外企業を買収。海外進出を加速

◆働き方改革・ガバナンス改革:まだ道半ばだが、労働生産性を高める働き方改革、ガバナンス改革が進んでいる