1990(平成2)年9月12日
東西ドイツ統合へ、米ソ交えて条約調印
1990(平成2)年9月12日、第二次世界大戦後に東西に分断されていたドイツの統合を定める「ドイツ最終規定条約」の調印式がありました。東西ドイツに加え、ドイツを占領していた米英仏の西側3カ国とソ連による条約です。米国とソ連による冷戦の終結を象徴する出来事でした。
第二次世界大戦後、敗戦国のドイツは資本主義の西ドイツと社会主義の東ドイツに分断され、東ドイツ領内の旧首都ベルリン市は、米英仏が管理する西ベルリンとソ連が管理する東ベルリンの二つに分割統治されました。
しかしソ連の弱体化から、1989年11月に東西ベルリンを隔てる壁が打ち壊され、翌年3月には東ドイツの自由選挙で、東西ドイツ統合を目指す政党が勝利。同年8月に東西ドイツ間で再統一条約が調印され、11月に戦勝国を交えた最終規定条約調印を迎えました。
東西ドイツ統合の際、西ドイツ通貨のドイツ・マルクを東側が採用し、統合ドイツは西側の軍事同盟である北大西洋条約機構に加入するなど、事実上は経済力で優位に立つ西ドイツが東ドイツを吸収する形になりました。
ベルリンの壁の一部は、崩壊後に20カ国以上のアーティストが絵を描き、ギャラリーとなっています。