これまでのあらすじ

 信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始めた。毎週金曜夜にマネー会議をすることになった二人。小学校4年生の息子・健の成績が急上昇したことで、中学受験問題が急浮上。夫婦は教育費について真剣に話し合うことになり…。

時短勤務で収入減、という厳しい現実

「ママたちのLINEを追ってて、私なりに考えたんだけど、藤元家が選択できるプランは二つよ」

 理香は2本の指を立てて見せた。

「まずはAプラン。私立大学まで行けるA大学付属中学みたいな大学付属中学に入学させること。学費はかかるけれど、最高いくらまで、っていう見通しはつく。塾代も公立から受験するよりは少なくて済むだろうから、継続的に教育費を出せるように、今からしっかり備えていくプラン」

 健の最も仲の良い友達のレン君の父親がA大学付属中学出身で、レン君の兄も去年からA大学付属中学中等部に通っているのだ、と理香は続けた。

「受験がないから、中高と6年間、思いっきり大好きな吹奏楽をやれたのがよかったってレン君パパが言ってたんだって。青春時代、好きなことに全力投球できるって魅力じゃない?」

「いいね」

 信一郎もうなずく。

「で、Bプランは?」

「中学・高校は公立に進ませて、大学受験で勝負させるプラン。これは中高と学費がそんなにかからないけれど、その代わりに、学校と並行して塾や予備校に通う必要はあるわね。さらに3年ごとに人生の転機が来るから、勝負強くはなるかもしれないけど、気が休まらない忙しい青春になりそう。しかも大学受験に失敗したら浪人で予備校代もかかるし、何より健の人生に影響がでちゃう。つまり、うまくいけば最低金額で済むけれど、悪い方向へ行ったら、予算もその先の結果も、読めないパターンよ…」

 高校時代、緊迫感なく過ごしたあげくに浪人し、合格した中で最も偏差値が高いというだけの理由で、県外の私立大学へ進んだ信一郎は、ぎくりと首をすくめた。たいした文句も言わず、学費と下宿代を出してくれた両親の胆力と愛情に、しみじみと感謝する。公立高校から地元の国立大学へ、そつなく駒を進めた姉に比べると、最後の最後まで先が読めず、かなりの心労と出費を掛けたはずだ。

「だけど、理香と僕の収入と、お互いの貯金を合わせたら、この金額でも出せなくはないよな」

 信一郎の両親は共働きではなく、母親は専業主婦だった。それでもなんとかなったのなら、自分たちなら余裕で出せるのではないか…と気楽に返した信一郎に、理香はぴくりと片眉を吊り上げた。

「シンちゃん。もしかして私の収入を当てにしすぎてない?」

 仕事を辞める気はさらさらないが、現実的に時短勤務で年収が落ちている理香にとって、不安事項は山積みだ。この後の人生、自分たちの収入がずっと右肩上がりかどうかも保証はできない。

 現実的に家計を見ている理香にとって、ぐっと家計の圧迫感を増した昨今のインフレで、やりくりも真剣だ。毎月四苦八苦して出費がかさまないように、理香にとってはスーパーのレジは戦場最前線である。

「フルタイムで8時間働いているのを6時間に減らしてるから、私の給料は、以前に比べて6/8、つまり25%も減ってるのよ。私の収入がキープできることを前提に話をしないでほしいわ」

 時短勤務であることは多忙な職場ではかなり心理的にストレスだ。できる限り周囲に迷惑をかけないよう、理香は細心の注意を払って仕事をしている。

 保育園のお迎えまでに仕事が終わるよう逆算し、できる限り効率的に仕事を詰め込んだ後、保育園へ走り、買い物をし、料理をしながら洗濯機を回す毎日。一瞬も気が抜けず、疲れはたまる一方だ。

 信一郎は、頼めば文句を言わず家事や育児を手伝ってはくれるが、何曜日が不燃物のゴミの日かも知りはしない。ゴミを集め始めた理香を見て初めて「あっ、明日はゴミの日か」と腰を浮かすレベルで、どこかしら他人事なのだ。翌朝、その手に持ったゴミ袋が切れないように常に補充しているのも理香である。

 仕事をして人並みの収入をゲットする「準大黒柱」でありながらも、家事や育児の実務のほとんどを背負っている「家事大臣」「育児大臣」であり、家計を担う「財務大臣」でもある理香は、自分が背負っている負担のほうが圧倒的に重い、と日ごろから感じている。

 割り当てられた役割をこなし、頼まれたことをやるだけの信一郎の気楽さや、当事者意識のなさがうらやましい…、いや、正直言って腹立たしい。

 理香の機嫌がなにやら急激に悪化したのを敏感に察知し、信一郎は逃げ腰で椅子を引いた。

「何もそんなに、悪いほうへ悪いほうへ考えなくても…」

「甘いっ」と理香は信一郎を一喝した。

 インフレに円高、世界情勢の不安定さ…。さらに、理香と信一郎が今後とも健康でバリバリ働き続けられるとは限らない。事故や病気で両輪のどちらかが欠ける可能性もゼロではない。自分たちが暮らしている「今日」と同じ明日が来るとは限らないのだ、と理香は熱弁した。

「わわ、わかった」

 信一郎は必死で理香をなだめた。

「と、とにかく、AプランとBプランで、いつまでにいくら必要か、僕らにそれが可能なのかをきちんと計算してみよう」

 不透明だからこそ不安が募るのだ。ほぼ正確な出費額とタイミングがわかっていれば、その山に向かって備えることができる。そう信一郎は理香をなだめた。

「…そうね」

 もっともな意見に、理香が少し鎮静化した。

「理想通りにいくかどうかは別として、一度、計算してみようよ」

 矛先が自分からそれた信一郎はほっとして理香を促し、金曜定例のマネー会議が始まって以来、リビングに常備しているノートパソコンを開いた。

<4-4>夫婦、教育費を考える>>