1998(平成10)年3月31日

山一證券が自主廃業に伴い営業を終了

 1998(平成10)年3月31日、1997年11月4日に自主廃業した山一證券が営業を終了しました。

 山一證券は、取引先に法人企業が多く、「法人の山一」と称されていた証券会社です。野村證券、大和證券、日興證券とともに日本の「四大証券会社」の一角を担い、一時期は四証券のトップに座していました。

 破綻の原因となったのは、強みであるはずの法人顧客からの営業持金がきっかけでした。営業持金とは資産運用のために顧客から預かる資金のことですが、バブル崩壊後、契約時に約束した利回りを達成できず、法令違反となる損失の穴埋めをしていました。そしてついには粉飾決算に至ったのです。

 当時の社長であった野澤正平氏が「私らが悪いんです。社員は悪くありません!」と号泣する姿が大きく報道され、大きな話題を呼びました。野澤氏は廃業のわずか3カ月前に就任したばかり。しかも経営状況のことを知らされておらず、経営の立て直しに尽力しましたが、万策尽きての自主廃業となりました。

 最終的な負債総額は3兆5,000億円、バブル崩壊後の象徴的な破綻として記憶されることとなりました。

 

 1998 年3月31日の日経平均株価終値は

16,527円17銭

ライター FIX JAPAN 前沢ともあき