1993(平成5)年12月14日
「平成の米騒動」でコメ輸入決定、外圧と不作で市場開放
1993(平成5)年12月14日、政府はコメの輸入を決定しました。農業の根幹として手厚く保護されてきた日本の稲作でしたが、外圧を受けて市場の開放を決めました。
GATT(関税・貿易に関する一般協定)の交渉で、日本はコメの関税を維持する一方、ミニマム・アクセスと呼ばれる、最低量の輸入義務を負う条項を受け入れました。日本の貿易黒字が世界的な批判を浴びる中、コメだけを聖域とするのは困難でした。
それまではコメ余りを理由に、政府が作付制限を課してきたため、コメ輸入でさらに需給が緩むことが懸念されていました。しかしこの年の稲作は、天候不順から空前の凶作に見舞われ、全国でコメ不足となりました。タイ産米などの外国産米が緊急輸入され、「平成の米騒動」と言われました。コメの、国内の自給体制のもろさが露呈したことも、コメ市場開放を後押ししました。
1995年には、コメを生産や流通など各段階でコントロールしてきた「食糧管理法」が廃止され、食糧法が制定されました。以来、作付面積も生産量も減少傾向にありますが、依然としてコメ余りが続いているのが現状です。