「半沢直樹」、原作のストーリーのみならず、俳優さん達の数々の名言や名演技、撮影、制作をはじめ、番組に関わった人達のエネルギーがひしひしと伝わってきた、素晴らしいドラマでしたね。私は去年から講演等で「日本の失われた21年は2012年で終わった」と申し上げていますが、今月初めには「半沢直樹」が米ウォールストリートジャーナル紙にも取り上げられ、アベノミクス、東京オリンピック招致に続いて、日本の復活を象徴するような出来事だったと思います。

個人的にも、ドラマのモデルになったとされる銀行出身である事、自分の父が銀行員現職中に病死した事が職を選ぶにあたって少なからず影響した事、そして何よりも、ドラマの前半の部分は固有名詞以外、自分が銀行で経験したのと全く同じ内容であった事で、とても他人事とは思えず、見入ってしまいました。視聴率が40%を超えたという事なので、学生の方、社会人の方の中には、このドラマが自分の人生を見つめ直すきっかけになったという方が少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

そしてもしそのような方がいらっしゃたら、このドラマを通して、これだけは誤解しないで欲しい、というのが今号のテーマです。それは金融において、貸す事も重要であるが、実は同時に、貸さないという判断も同じく重要だという事です。経済用語で言えば効率的な資源配分の重要性です。私は常々、この点は日本の金融システムを改善するにあたって非常に大事なポイントだと思っています。

ドラマの中では、半沢直樹の父である半沢慎之助さんが銀行に融資を打ち切られ、担保に入れていたと思われる土地を差し押さえられる事を苦に首を吊る、というストーリーになっています。日本の銀行が貸し渋りをして中小企業が苦しむ、という分かりやすい構図であるのに加え、半沢慎之助さんが自殺する事によって、恐らく視聴者の大半が「銀行が悪い」と印象付けられるシーンだと思います。しかしこれで納得してしまっては日本の金融システムはいつまでたっても「失われた21年」のままです。ここでの問題の本質を理解する必要があります。

第一に、銀行というのは無限にお金を貸せるわけではありません。貸出の元手は基本的には、当然元本保証だと信じている預金者がいつ引き出すか分からない預金です。返済されるかどうか分からない会社に貸出す事は、預金者や納税者をリスクにさらすだけでなく、その分今後日本の経済成長に貢献してくれる優良企業に貸せたはずのお金が貸せなくなる事になり、延いては社会全体にとっての損失となります。

第二に、日本では破綻=終わりというイメージが強過ぎる事です。「ビジネスに貸す」という意識が相対的に小さく、その結果ドラマにあったように自宅を抵当に入れたり、連帯保証人を付けたりする事によって、いざという時に「終わり」になる金融システムになってしまっているからなのです。アメリカで破綻の際に連邦破産法という法律がありますが、これはむしろ「新たなスタート」の意味合いが強く、日本のような暗いイメージとは好対照です。失敗してもまたチャンスは与えられるため、少なくとも経営者が首を吊るなどの事態は考えられません。

第三に、金融を銀行に頼り過ぎだという事です。日本は90年代バブル崩壊と共に、とてつもない不良債権問題に見舞われました。この時日本経済にとって痛かったのは、銀行が損を被ったという事実よりもむしろその副作用、即ちそれによって銀行が貸出を実行できなくなってしまった事です。日本の金融は銀行に頼り過ぎなので、銀行が貸出をできなくなれば、日本国がそのまま沈没していくという運命を辿らざるを得なかったのです。結局三井住友銀行に対してはゴールドマンサックスが破格の好条件で増資に応じ、多くの不良債権は海外のファンドが喜んで安値で買い漁っていく結果となりました。そもそも日本では、銀行に代わる資金の出し手が居ない、又は市場が未熟だからこのような美味しい案件を持っていかれてしまうのです。

第四に、融資の審査において同情は禁物という事です。確かに長年ビジネスを経営していて融資を打ち切られる事は、当事者にとって、その時は大きなショックに違いありません。しかしそれを避けたいがためにゾンビ企業として存続する事はその企業、従業員、延いては社会全体のためになるでしょうか?その資金が他の成長企業に回っていれば、日本経済はもっと早く立ち直れたのではないでしょうか?その企業に居た人材は、もっと成長分野で活躍できたかもしれない機会を失ったのではないでしょうか?半沢慎之助さんはネジ工場経営者としては不適格だったかもしれませんが、現世では見事、日本を代表する落語家として大成功を収めています。「半沢直樹」原作者の池井戸さんが銀行を辞めていなければ、これほどの大作は生まれていなかったかもしれません。

資源(資本も人的資源も含め)がより効率的に再配分される過程においては、一時的な痛みは伴うものです。しかし社会全体がその痛みを避けていては経済の成長は望めません。当然の事ですが、成長が無ければ財政はもちろん、外交も医療も福祉も介護も、現在の水準を維持することすら不可能です。今の日本に必要なのは、そのような一時的な痛みに耐え、「失われた21年」の倍返しをしていく半沢直樹達なのです。

  • 名目GDPが1991年(476.4兆円)から2012年(475.9兆円)までほぼ横這いである事から、失われた「21年」としました。

(2013年9月24日記)