7月末に発表されたアメリカの4-6月期国内総生産はショッキングな内容でした。国内総生産の70%を占める個人消費支出の伸びが年率+0.1%(速報値;後に+0.4%に改定)と発表されたのです。これはアメリカでは通常、リセッション(景気後退期)前後にしか見られないような水準です。アメリカは人口は増加している国なので、人口増加分を除くと実質的にマイナスであったという事になります。

4-6月期は過去の数字だとして、それではこの先はどうでしょうか? 個人消費の先行きを占う消費者信頼感指数は今週、金融危機以来の低水準となる44.5と、前月の59.2から大幅な落ち込みを見せました。これは2009年リセッション時以来の水準です。中身を見てみますと、落ち込みの殆どが将来の「期待指数」の低下によって説明が付く状態。要するに、個人消費の不振は今後も続く可能性が高い事を示唆しています。

それでは何故、今になってこのような景気の低迷が顕在化してきているのでしょうか。それは景気悪化は正常化の過程(2011年6月13日)に書かせていただいた通りです。即ち、これまで100年に一度と言われる危機を乗り越えるために、財政、金融、為替とあらゆる策が取られてきましたが、そのような緊急時の対応はいつまでも取り続ける訳にはいきません。人工的なサポートによらず、経済が自力で回復軌道に戻れるよう、いずれ解除しなければならない時が来るのです。それが、’09年オバマ景気対策の効果が薄れ始め、QE2(第二弾量的金融緩和)が終わる、このタイミングだったという事です。

しかし現在アメリカ経済、とりわけ雇用情勢はとても、自力で回復軌道に戻れるような状態ではありません。今日発表された8月雇用統計によると、非農業部門就業者数の増加は無し、失業率は9.1%で高止まりとなっています。最近この水準の失業率には目が慣れてきた感がありますが、近代では最も厳しい状況なのです。アメリカで前回、失業率がこの水準にまで上昇したのは30年前の1980年代前半です。当時は8%以上の失業率は2年3カ月続きました。今回は既に2年7カ月続いており、このままだと3年を超えるのはほぼ確実な情勢です。上記の消費者信頼感指数の中でも、「職を得るのが困難」という項目が大幅な悪化を示しており、個人消費不振の主因が厳しい雇用情勢にある事が明らかになっています。

しかも、今は80年代前半よりもずっと、雇用を改善させる事は難しいでしょう。第一に、80年代前半は政策金利が15%を超える時代。金利を下げる事によって景気を刺激し、雇用を創出する事が可能でした。しかし今はゼロ金利時代です。FRBが実質的にマイナス金利に持っていくような努力をしていますが、当時と比べたハンディは明らかでしょう。第二に、80年代前半はインターネットなど普及していない時代です。中国やインドへのアウトソーシングが本格化したのはここ10年ほどの話です。即ち労働市場における競争相手は、今やアメリカ国内だけではないという事です。この点についても、FRBは量的緩和によってドル安誘導し、アメリカ人の世界の労働市場での競争条件を有利に持っていく努力をしています。しかし、例えば一度出て行ってしまった生産拠点などはその初期投資コストを考えれば、少々の条件改善があってもアメリカに戻ってくる事はないでしょう。こう考えれば、現在アメリカ政府が目標としている失業率6%というのはかなり高いハードルで、気の遠くなる話のように見えます。

短期的な失業であれば失業保険によってその間の収入減を緩和し、個人消費の落ち込みを防ぐ事ができます。しかし今回のように構造的な失業となってくると、失業保険の切れ目が個人消費の切れ目となってしまいます。金融危機後、通常最長6カ月の失業保険支給が最長1年4カ月にまで延長されています。それでも厳しい雇用情勢が3年近く続くとなると、今後失業保険切れが続出し、延いては個人消費の不振に追い討ちをかけていく事になるでしょう。

個人消費の不振の背景には厳しい雇用情勢があり、その雇用情勢を改善させられる策に乏しいとなると、この先覚悟しなければならないものがあります。それはリセッションです。アメリカでは数年の内に2度景気後退期が訪れる、いわゆるダブル・ディップ・リセッション(Double-Dip Recession)が起こるのは珍しい事です。しかし、その珍しいダブル・ディップ・リセッションが前回起こったのは1980年代前半です。しかも、今は当時よりも厳しい状況なのです。

アメリカ経済は2007年末から約1年半のリセッションを経験しました。上記の通り、今回2度目のリセッションの前兆はあちこちに表れていますし、1980年代前半との比較ではほぼ確実です。しかし株式市場はまだ、ダブル・ディップ・リセッションのシナリオは織り込んでいないようです。この認識ギャップは当然、今後修正されていくはずです。

(2011年9月2日記)