一つ、とても重要なコーポレート・ガバナンスの改善があります。定期的に取締役により実施される「エグゼクティブ・セッション」であり、ここではCEOの出席は禁止されます。この導入前は、CEOのスキル、買収判断や報酬についての率直な議論は稀でありました。
買収提案は取締役会メンバーにとって、とりわけ頭の痛い問題であり続けています。買収に必要となる法務作業は洗練・拡張されて来ました(「拡張」という言葉は参加者コストを上手く表すものです)。しかし私は、買収に飢えたCEOが、反対意見を聞くために、事情に精通した論客を連れてくるケースを見たことがありません。それは、私を含めて反省するべきところです。
全体的に買収に関するプレゼンテーション資料は、買収を切望しているCEOや彼に従うスタッフの意向に沿う内容になっています。こんなことをしたら面白いかもしれません。
会社が案件に賛成・反対する「専門」の買収アドバイザーをそれぞれ一名ずつ雇い、諮られている案件について取締役会で見解を述べてもらう。そして、勝ったアドバイザーは、例えば負けた方より10倍多く報酬を貰う。この改革が行われることを、息を潜めて待っていてはいけません。現行システムは、どれだけ株主にとって欠陥があろうと、買収案件をご馳走とするCEOや様々なアドバイザー、プロフェッショナルにとっては、有利に機能しているのです。
ウォール街からのアドバイスを検討する際には、注意が必要ということは永遠に変わりません。すなわち、「床屋に髪を切るべきか聞いても意味がない」と言うことです。
ここ何年か取締役会の「独立性」は新しい重点分野となっています。この題目の重要論点であり、常に見落とされているのは取締役の報酬です。現在、取締役報酬は、裕福でない取締役会メンバーの行動を無意識に変えてしまう水準にまで跳ね上がってしまいました。取締役が、1回あたり数日間、年間6回程度開催される取締役会にゆったりと参加するだけで25~30万ドル得ているということを、ちょっと考えてみて欲しいと思います。
多くの場合、一社の取締役に就くことで、米国の年間世帯収入中央値の3~4倍の報酬が与えられます(私はこのあぶく銭の大半を取り逃しました。1960年代におけるポートランド・ガス・ライトの取締役として、私は年間百ドルを受け取りました。この相当な金額を得るために、私はメイン州まで年間4回行きました)。
雇用保障に関して、今はどうだって?最高だよ。取締役は丁寧に無視されることはありますが、クビになることはほとんどありません。その代わり、とても気前の良い年齢制限(通常70歳かそれ以上)が取締役を品良く追い出すための標準的な方法となっています。
「裕福でない取締役」が何を期待するか(或いは熱望するか)想像するのは容易です。二社目の取締役会に誘われ、年収を50~60万ドルクラスに躍進させることではないでしょうか?これを達成するためには、裕福でない取締役は助けが必要になります。取締役を探しているCEOは裕福でない取締役が勤める会社のCEOに、その人が「良い」取締役か必ず聞くでしょう。「良い」は勿論隠語です。
裕福でない取締役が過去にそのCEOの報酬や買収の野望に対して本気で反対していたら、彼の二社目の取締役就任機会は静かに消えることになります。取締役を探す時、CEOはピット・ブル(闘犬)に興味を示しません。家に持ち帰られるのはコッカー・スパニエル(ペット犬)です。
この様な不合理性があるにもかかわらず、報酬が重要である(あるいは報酬に飢えている)取締役は普遍的に「独立性」があるとされ、莫大な財産を築いているが、その財産の大部分が会社実績に連動している多くの取締役は独立性に欠けていると見做されます。
少し前に、ある大手米国企業の株主総会の委任状参考書類を見てみたところ、8人の取締役が一度も自分のお金で会社株式を購入したことがないことを発見しました(もちろん、彼等は気前の良い現金報酬に加えて株式報酬も受け取っていました)。この会社のパフォーマンスは長らく悪かったのですが、取締役達はすばらしい状況にありました。
もちろん、自分のお金で株式購入することで、知恵が生み出される訳でもないし事業においてより賢くなる訳ではありません。それでもなお、私は当社傘下企業の取締役が、株式を単純に与えられたのではなく、自分の預金から株式を購入している方が、気分が良くなります。
ここで一旦、立ち止まってみたいと思います。私が今まで会った取締役のほとんどは、まともであり、感じが良く、頭も良い人達であったことを知っておいて欲しいと思います。身なりも良く、近所付き合いもできて、良い市民でありました。私は彼等との関わりを楽しみました。中には取締役会を通じてしか会うことがなかっただろう人々もおり、仲の良い友人にもなりました。
そうは言っても、この多くの善人達に、私はお金の運用やビジネスを任せることは一切なかったでしょう。簡単に言うと、彼等の得意分野ではなかったのです。
代わりに、彼等が私に歯を抜いてくれとか、家のデコレーションをしてくれとか、ゴルフのスイングを改善してくれとか、頼むことは一切なかったでしょう。また、私がいつか「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」(ダンスリアリティ番組)に出演することになってしまった場合、私は直ちに証人保護プログラムに避難するでしょう。私達は皆、不得意なものがあります。多くの人達にとって、そのリストは長いものです。最も認識しなくてはならない重要なことは、貴方がもしボビー・フィッシャー(チェスの元世界チャンピオン)であれば、チェス以外のこと(得意でないこと)でお金を稼いではいけないということです。
当社は、引き続き、オーナー意識と共に、当社に特別な興味を持って参画してくる、ビジネス手腕のある取締役を探していきます。ロボットのような「プロセス」ではなく、思考と原理原則が彼等の行動を導きます。貴方の利益を代表して、顧客を満足させ、同僚を大切にし、コミュニティと我が国の良い市民となることを目標とするマネージャーをもちろん探すことになります。
このような目標は新しいものではありません。これらは60年前の有能なCEOの目標であり、今後もそうであり続けます。そうでなければ、一体誰の目標になるのでしょうか?