1951(昭和26)年9月8日
サンフランシスコ条約調印、日本が国際社会復帰
1951(昭和26)年9月8日、サンフランシスコ条約に日本が調印しました。米国など連合国48カ国との戦争終結が、国際法上、正式に確認されるとともに、日本は国家主権が承認され、国際社会に復帰しました。
サンフランシスコ条約は条約調印式のあった米国・サンフランシスコ市にちなんだ通称で、正式には「日本国との平和条約」です。台湾や南洋諸島の放棄や朝鮮の独立承認などが盛り込まれました。
当時は東西冷戦のさなか。米国との単独講和か、当時のソビエト連邦(現ロシア)や中華民国(現中華人民共和国)も含めた全面講和か、で国内の意見が対立していましたが、朝鮮戦争の勃発を主権回復の好機と判断した吉田茂首相は、単独講和を選びました。ソ連とはその後、国交こそ回復しましたが、サンフランシスコ条約が締結されないままソ連解体を迎えています。
一方、吉田首相はサンフランシスコ条約に調印した直後、同市内にある米軍基地内に移り、日米安全保障条約に調印しました。これで、西側陣営の一員としての日本の立場が固まったことになります。