2010年の世界分断深化元年が事の発端

 足元の中東情勢の悪化は、どこから来たのでしょうか。今回の情勢悪化の主体であるイスラエルは、以前のレポート「第五次中東戦争か?どうなる金(ゴールド)相場」で述べた通り、国連決議を経てユダヤ人国家として1948年に誕生しました。

 その後、イスラエルは武力でユダヤ人居住区域を広げ(アラブ人の居住区域が縮小)、世界中に離散していたユダヤ人をかつてのパレスチナの地に呼び戻しはじめました(シオニズム運動)。国連安保理では何度も武力行使を止めるよう採決が行われましたが、そのたびに米国が拒否権を発動してイスラエルを擁護しました。

 足元の中東情勢の悪化は、イスラエルという国家の誕生を起点としたユダヤ人の帰還と武力によるアラブ人居住区縮小の歴史の延長線上にあると言えますが、筆者はこれに加えて、下図の通り2010年ごろに目立ち始めた「世界分断」が関わっていると考えています。

 リーマンショック後の西側の対応やSNSの普及が世界の分断を生み、そして深め、それが複数の戦争の勃発・激化の一因になった、という考え方です。

 リーマンショック後の西側の対応とは、ESG(環境、社会、企業統治)を武器として利用し、産油国や強権的な体制を敷く非西側の国々を強く批判したことです。ESGのビジネス利用によって経済回復・株価上昇は進んだものの、武器利用がもたらした負の影響によって、西側と非西側の分断は深まってしまいました。

 SNSの普及とは、スマートフォンの利用者が世界的に増加していく中で、同じ思想を持った者同士がつながり、異なる思想を持った人をリアルの場で攻撃して国家を転覆させたり(アラブの春)、ポピュリズム(大衆迎合)を逆手に取って選挙で勝利するリーダーが誕生したりする出来事(2016年の米大統領選でトランプ氏勝利)が目立ったことです。

 そして、世界の民主主義は行き詰まりを見せ始めました。

 これにより、民主主義を正義とする西側の影響力が低下し、西側と非西側の分断は深まってしまいました。民主主義の低下については以前のレポート「本当にある怖い原油高の話」内の図:自由民主主義指数0.4以下および0.6以上の国の数(1945年~2023年)で述べています。

図:2022年以降の金(ゴールド)、原油、米国株高の背景(筆者イメージ)

出所:筆者作成

 リーマンショック後の西側の対応やSNSの普及が生み、深めた西側と非西側の分断は、一時は西側の軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)に加盟を検討し、現在でも西側諸国の支援を受けるウクライナと、歴史的に西側と相いれない関係にあるロシアとの間の戦争や、国家誕生に英国が深く関わり、誕生後も米国に擁護され続けてきたイスラエルと、1979年の革命後に改めて西側と反発し合う関係になったイランとの間の戦争勃発・激化の一因になったと考えられます。

 そしてその上で、足元、金(ゴールド)や原油の価格が上昇していると言えます。