1970年代と2020年代の違いを確認。価格を動かす材料は複雑怪奇に

 昨今の「スタグフレーション」の議論に登場するのが、1970年代に2度発生した「オイルショック」です。産油国が価格をつり上げ、その影響で日本を含んだ世界全体が、景気停滞のムードに包まれました。まさに、景気停滞と物価上昇だったわけです。

 とはいえ、先述の通り、株価指数的には急落や低迷は避けられていると言える以上、スタグフレーションかどうかという議論を、ここですぐに決着させることはできないでしょう。肌感覚の景気低迷は事実かもしれませんが、株価指数的にはそうではない、心情的にはスタグフレーションだが、数値的にはそうではない、ということです。

 これは、過去の常識や経験則を、今にあてはめることが難しい例の一つです。なぜ、過去の常識を今にあてはめることができない場合があるのでしょうか。以下の通り、1970年代と2020年代の違いについて考えてみます。

図:1970年代と2020年代の違い(一例) (相対評価)

出所:筆者作成

 先人たちのさまざまな努力により技術革新が飛躍的に進み、私たちの生活にはたくさんの選択肢ができました。たくさんのモノやコトを選ぶことができるようになったことは、ある意味、私たちに「広さ」をもたらしたわけですが、実際のところ、「狭さ」も感じます。

 日本では、人口減少と超高齢化の同時進行、それによる若い世代の将来への不安(年金だけでなく日本で生活すること自体への不安)の拡大、各種格差の拡大、周囲から受ける同調圧力など、生きにくくなっていることは事実でしょう。こうした生きにくさが、便利で豊かで「広い」はずの生活環境を、「狭く」していると、考えられます。

 時代は変わり、今もなお、変化の最中にあります。過去の常識や経験則を、物事を考えるモノサシにしたとしても、目の前で起きていることを正しくはかる(図る、測る、計る、量る)ことができなくなっていると考えるのが、妥当でしょう。

 1970年代と似ているとはいえ、「物価上昇」と「肌感覚的で心情的な景気停滞&株価急落なし」で、現在をスタグフレーションだとすることは、できないと考えます。「似ている」ことが、状況判断を曇らせていると、言えます。過去の常識にしばられず、今に焦点を当てることは、非常に、大変、重要です。

 また、上図より、このおよそ50年間で起きたことを、「高度化」と「多様化」が「複雑化」をもたらしたこと、とまとめることができます。

 度合い(程度・頻度・大きさ)が大きくなった要素と、インターネットとスマホのように新しく生まれた要素があります。度合いが大きくなった要素は、存在することには変わりはありませんが、社会に与える影響が、より大きく・強く・広くなったわけです。

「高度化」と「多様化」が「複雑化」をもたらし、社会は大きく変化しました。それに伴い、社会の一要素である「市場」を取り巻く環境も、大きく変化したわけです。こうした中、市場と対峙(たいじ)する上で、どのようなことに注意する必要があるでしょうか。