【質問】
 いつもコラム拝読しています。いつも忌憚なく、忖度なくお話されているように思いますが、どうすれば山崎さんのようになれますか?
 知識? メンタル? 持って生まれたもの? 私はなかなか自分の意見が強く言えません。

 ご質問に回答します





 

 今や、世間では、「忖度しない」も「メンタルが強い」も、結構な褒め言葉として流通しているように思います。ありがとうございます。

 しかし、回答者はそう立派な人ではないので、そんなに慌てて褒めていただくには及びません。

 ご自分の意見が強く言えないと仰る質問者は、もしかすると金融業界の人なのだろうか、などと想像する次第です。回答者も経験がありますが、確かに、金融関係の会社に勤めていると、自分の立場を意識して言いたいことが言えない場合があるのは事実です。

 この点については、直接の理由説明になっていないかも知れないのですが、読者に是非知っておいて欲しいエピソードがあります。

 今から、ざっと20年前、筆者が三和総研(後に、→UFJ総研→三菱UFJ総研)という会社に勤めていた時のことです。筆者は、知り合いの週刊誌記者から、ダイエーという会社について取材を受けたことがあります。その時には、「ダイエーは経営破綻してもおかしくない」というコメントを、もちろん理由を挙げて述べたのでしたが、これが大変な騒ぎになりました。

 ダイエーは、かつて強大な経営体力を持っていた頃に、特定の銀行の支配下に入りたくないとして、大手都市銀行4行と平等に付き合う、いわゆるメインバンクを持たない取引構造を持っていたのですが、これが、経営が弱体化した20年前になって大きな弱点になっていました。

 この状態で、三和総研の研究員である筆者が、ダイエーにネガティブなコメントをしたので、4行のうちの三和銀行以外の銀行が慌てました。3行の経営企画部から、三和銀行の経営企画に対して、「お宅の系列シンクタンクの研究員が、ダイエーに対してネガティブなことを言っている。三和さんはダイエーに対する態度を変えるのですか」という問い合わせの電話が立て続けに入ったのです。

 銀行員の経験のある読者なら、これがいかに大変な事態か想像できるだろうと思います。筆者は、早速、三和銀行から三和総研に出向している人事部長をはじめとする人々から叱責を受けることになりました。「一体、何を考えた発言なのか」、「銀行に迷惑が掛かることが、あなたは想像できなかったのか」、等々、答えにくい質問が続いたのを覚えています。

 因みに、コメント自体の客観的内容は、その後のダイエーに起きた事態を考えて頂ければ容易に理解できるように、経済・経営の常識として普通の内容でした。

 筆者は困った立場に立たされて、クビになるのは嫌だなあ、と心配したのですが、この時の三和総研の社長のMさんが偉い人でした。当時から、シンクタンクは、研究のトップである理事長と、経営のトップである社長を分けて置くのが一般的でしたが、Mさんは三和銀行から来た社長でした。

 Mさんが、次のように言ったと、私は上司から聞きました。

「当社の研究員の発言は、研究員の専門性を背景に本人の責任で行われるものであって、親銀行の立場を考えて行うべきものではない。三和銀行には、俺が行って頭を下げて取りなしてくるから、本件の山崎については一切不問にせよ。当社は、そういう会社であるべきだ」。

 日頃、金融マン、特に銀行員に対しては、時に揶揄するような失礼なことを言いがちな私ですが、Mさんは、本当に立派だったし、ありがたかった。結局、物事は人次第なのだということが強く印象に残ったエピソードでした。

 さて、忖度やメンタルの話でした。

 筆者が、主に金融業界のことを忖度せずに、ものを言っているように見える大きな理由は、金融の、特に運用の問題が「前提条件を決めたら、答えが必ず一つに決まる」シンプルなものであることです。

「お金の問題は、人によって様々な正解があって、答えが一つには決まりません」などとしばしば言いたがるのは、相談の相手によって話を変えて、商品をセールスすることからキックバック的な利益を得たがっている「腹黒FP」などの好む台詞ですが、これは間違いです。

 たとえば、同じインデックスに連動するインデックスファンドに手数料の高いものと安いものがあれば、前者は、相場がいい時には儲けが小さく、相場が悪い時には損失が大きい、という期待値の構造になっているので、手数料を比較してみただけでダメなものは明確にダメです。

 もう一歩進めて、比較に日本株のアクティブファンドまで含めるとして、(1)アクティブファンドの平均的なパフォーマンスはインデックスファンドに劣ることと、(2)相対的に優秀なアクティブファンドを「事前に」選ぶことはプロにも不可能であることとの、二つの事実を論理的に組み合わせると、「運用管理手数料(信託報酬)が高い」という事実を確認しただけで、そのファンドの収益は、手数料が安いインデックスファンドに期待値として劣るということが、論理的に分かります。さらに、論理だけでなく、期待値を計算して、間違った意思決定のコストを「バカの値段」として指摘することさえ可能です。

 これだけ論理と計算がはっきりしていると、自分に賛成者がいなくて、反対者ばかりが多数いても、自信を持って意見を言うことが出来るし、阿呆だと思う反対者は、むしろたくさんいてくれる方が張り合いがあるというものでしょう。

 金融、運用、投資の問題には、このように結論がはっきりしている問題が多いのです。ファンドマネージャー、証券マン時代も含めて、私が、長年同じ問題について論理を積み重ねて考えて来た蓄積のおかげも少々あるかも知れませんが、選んだ専門分野が良かった、と言えるように思います。

 ただ、わが国の場合は、官庁や金融のような業界では組織が閉じていて人事の影響が人生にとってあまりに大きいので、上司や先輩に意見の上でも逆らえない場合が多いかも知れません。また、学者の世界も、師匠と弟子の結びつきが強く、加えて学会の人間関係が狭いが故に、「正しいと分かっている意見」でも主張しにくいことがあるでしょう。専門性を武器に生きて行こうとすると、生きにくい社会なのかも知れません。

 尚、私の「メンタルが強い」は、完全に誤解であり、買い被りです。仕事を複数に分けてリスク分散し、つい今年の3月までサラリーマンに片足を掛けていた臆病な働き方を見ていただくと、よく分かるのではないでしょうか。

 質問者には、「実は気が小さい山崎さんよりも、ずっと強い人になって欲しい」と希望します。難しいことではありません。