87歳の現役トレーダー、藤本茂さん初の書籍87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)を読んだとき、何はともあれ、この方に会ってみたい、と強く思った。

 ダイヤモンド社の編集担当に頼み込み、取材OKのお返事をもらった。神戸市の自宅に訪問するか、電話取材が条件だったが、迷わずご自宅への訪問を選んだ。電話やZoom取材ではなく、とにかく、ご本人にお目にかかりたかったのだ。

 前場が始まる8時ごろから11時半まで、3面のモニターを追い、人差し指でぽちぽちとキーボードをたたくシゲルさんの横にちょこんと座って、「今の買いはどうして?」「あ、言った通り、価格動きましたね」と、半日、トレードを見学しながら、シゲルさんと対話した。

 以下、私が見た、「シゲルさんという生き方」を書いていく。トレードに関しては、特段、注目すべき秘訣(ひけつ)は期待しないでほしい。あるとすれば、それは「投資を続ける」という姿勢だ。新NISA(ニーサ:少額投資非課税制度)が始まり、投資を始めたばかりの方の迷いや悩みがトウシルのアンケートからは伝わってくる。

 まさに今、大海に漕ぎ出した多くの初心者の方に、今日も、そして明日も、投資を続けるシゲルさんの姿を見てほしい。

▼藤本茂さんプロフィール
 1936年、兵庫県の貧しい農家に4人きょうだいの末っ子として生まれる。19歳で株式投資を始め、1986年に専業投資家へ。66歳でパソコンを買い、ネット取引に移行。68年間、個人投資家として投資に向き合い、月約6億円を取引する。現在の資産は約20億円。テレビや雑誌では「日本のバフェット」とも呼ばれている。

 午前9時、証券取引所の場が開く。シゲルさんは8時ごろにはもうパソコンに向かい、取引を開始。今日の狙いは3月25日に1,380円で仕込んだヤマハ発動機(7272)。売りタイミングを計って、画面を注視している。「今日あたり、もうちょい、上に行くんやないかな。1,412円で売りたいねんけどなぁ…」お茶をすすりながらも目は画面にくぎ付けだ。

 ヤマハ発動機は、2月中旬に決算発表があった企業だ。決算内容では、年間配当=50円、12月31日割当の株式分割を考慮した実質配当は3.5%増配と発表している。シゲルさんにとっては堅実に成長している有望銘柄だ。シゲルさんの読み通り、1,412円で返済売りができれば、差額の32円×2,000株=6万4,000円が利益となる。

 シゲルさんのトレードは、毎日AM2時に始まる。米国株は保有していないが、日本株の動きに影響を与えやすい米国株式市場を入念にチェック。4時には新聞が届くのでそれをざっと読んで昨日までの出来事をおさらいする。

 さらに6時からは日本先物取引をチェック。日経CNBC(テレビ番組)をつけっぱなしにしたまま、8時にはパソコンに向かって、気配値を確認して、今日狙いたい銘柄に指値をどんどん入れていく。

 つまり、前場が開く9時には、当日の仕込みが終わっている状態なのだ。あとは上下する価格を随時チェックしながら、時には注文を修正して、約定へ持っていく。

「その、[もうちょい上に行く]、というのは、どういう根拠なんですか?」

「毎日見てるから分かるんや。長いことやってきたから、うまいこと言われへんけど、分かるねん」

「…カンっていうことですか?」

「いや、そういうぼんやりした感じやなくて…毎日、値動きを見続けてたら…分かるねん」

 投資歴は68年になる。その間、ほぼ毎日のように株と向き合ってきた。その経験値は言語化しにくいが、確実にシゲルさんの頭脳に蓄積されているのだろう。

1台は売買専用モニター。保有している銘柄が30銘柄表示できるが、シゲルさんは30ページ以上あり、保有銘柄は1,200銘柄を超える。常時トレードしているのはそのうちの80銘柄ほど。

 二・二六事件があった1936年(昭和11年)にシゲルさんは生まれた。9歳で終戦を迎え、兄弟が多く貧しい中、なんとか高校は卒業できた。

 その後はペットショップに就職。終戦復興時、少し余裕が出てきた日本でそのころはやったペットがカナリア。その餌を買いに来るお客さんが、石野証券(現:SMBCフレンド証券)の役員で、接客の合間に、株の話を聞かせてくれるようになる。

 復興から立ち直り、ぐいぐいと成長を遂げているさなかだった日本経済の影響を受け、生き物のように動く株のダイナミックな話を聞くうち、「自分もやってみたい」と思うようになるのにそんなに時間はかからなかった。

 初めての投資は19歳のとき。早川電機(現・シャープ:6753)、日本石油(現・ENEOSホールディングス:5020)、大隈鐵工所(現・オークマ:6103)の3社。もうかったかどうかは覚えていないが、それ以降、投資をずっと続けてきたところを見ると、それまでの単調な日々に、株式投資が大きな彩りを与えたのは想像に難くない。

 20歳で独立し、小さなペットショップを神戸駅近くに開業。経営は順調で、今も連れ添う奥さまと結婚もした。そのうち神戸駅近辺の再開発で地価が3倍に上がったのを機に売却し、一財産を築いた。

 その後始めたのは、ちょうどそのころブームになり始めた雀荘だ。昼や大学生、夜はサラリーマンで客があふれる人気店となり、最後には合計で3店舗に増え、経営は順調だった。

 そんなシゲルさんが、手堅い収入を得て成功していた雀荘を、全て売り渡すことを決意する。きっかけは「転換社債」という金融商品を知ったことだった。これも雀荘に来るお客さんから、雑談の最中に教えてもらったことだ。

「転換社債ちゅうのは、償還したら社債になるし、転換したら株式になるっちゅう商品でな。株価が上がったらもうかるし、下がっても損はせえへん、リスクの低い商品やねん。これはええな、やりたいな、と思って、大きく勝負しようと思うた。資金を作るために雀荘を全部売ったった。当時で6,500万円になったな」

「それを全額、投資にぶっこんだんですか…。ダイナミックですね」

「ちまちま勝負してもおもしろないやろ」

 こともなげに言うが、勝算がない単なる博打(ばくち)だったわけではない。シゲルさんは転換社債を株式に転換する際に得られる「端株」にも目をつけていた、当日の終値で会社に買い取ってもらうことができる。ここにも利益を出すチャンスが転がっている。

 1986年、転換社債と株式投資で専業投資家になるや否や、シゲルさんに追い風が吹く。バブル景気だ。元手約6,000万円は、あっという間に10億円に到達する。しかし1987年には香港市場の暴落を発端とした「ブラックマンデー」や、1991年のバブル崩壊に見舞われ、資産は2億円まで減った。約5年間という短期間で、絶頂期と底辺を経験したのだ。

「投資はやめなかったんですか?」

「やめへんかったな。一時期ほど力は入れてなかったけど、投資はやめんと続けとった。完全にやる気がなくなったのはあの時や。大震災の時」

 1995年、兵庫県の明石海峡を震源とした、マグニチュード7.3の地震が発生した。阪神・淡路大震災だ。

 高速道路は崩れ落ち、ビルは横倒しに。消防車が入れなくなったエリアでは、消火活動もままならず、延々と火災が続いた。シゲルさんのマンションも被災し、ベランダから逃げ出し、混乱したまま早朝の神戸の街を夫婦で裸足で歩いたという。知人も多く亡くなり、自宅も失った約5年間ほどは、さすがのシゲルさんも投資への意欲を失って過ごしたという。

 神戸という街は海と山の合間の細いエリアを横に長く構築された街だが、狭い分だけ住宅も店舗も集中する。横断するJR、阪急、阪神、高速道路、全てが分断された。人の心を折るには十分な打撃で、したたかで明るい関西人も立ち上がる気力を取り戻すにはいつものパワーがなかなか発揮できなかった。

 当時のシゲルさんは59歳。正直、株どころではなかった、というのもうなずける。

 そんなシゲルさんにまた転機が訪れる。「インターネット証券」の台頭だ。

「ずっと、岩井証券(現・岩井コスモ証券)で、対面や電話で取引してたんやけど、担当者が、うちもネット取引やるからやってみぃひんか、って連絡をくれてん。よう分からん話やな、と思ったけど、ちゃんと聞いてみると、便利で手数料も安い。これはやるしかない、と、久しぶりにやる気がバーッとなって、その足ですぐパソコンを買いに行ってん」

 当時シゲルさんは66歳である。フットワークの軽さと、新しいことへの抵抗のなさには頭が下がる。2台のパソコンを手に入れ、インターネットでの取引ができる環境を構築したシゲルさんのデイトレードはここからが本番だ。最終的にパソコンは3台に増えた。普通ならそろそろ投資を辞めようか、という年齢からの、リターンマッチが始まった。

 冒頭からの続きだが、シゲルさんが狙っているヤマハ発動機はなかなか狙った金額に上がらない。1,400円台にジワリと上げるがすぐに下がる。シゲルさんはそれを追いながらも、他の銘柄にどんどん指値を入れていく。平均取引株数は2,000株。

「なんで2,000株なんですか?」と聞くと、それも「1,000株のときもあるで? 一回でドカンともうけるんやない。狙った銘柄で、薄くてもいいから利益を出しながら何回も売買するんが僕のやり方や」と返ってきた。

 シゲルさんの著書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え  資産18億円を築いた「投資術」』冒頭にある「ある日の取引」リストを見ても、数万円、多くて20万円程度の利益を確実にキャッチしている。銘柄はほとんどが中小型株。工業系の銘柄が多いようだ。

 これはシゲルさんの投資スタンスとして「ビジネスモデルを理解している銘柄を買う」というルールがあるからだろう。昭和を生き抜いたシゲルさんとしては、やはり製造業・工業銘柄が、ビジネスモデルも理解しやすく、成長角度も予測しやすく、親しみやすい。

 全取引が、信用取引である。毎日取引をしているが、1日のうちで手じまいする「デイトレード」が半分、数日から数週間前に値上がりを狙って仕込み、薄く着実に刈り取る「スイングトレード」が半分。それがシゲルさんの投資スタイルだ。

 1日の注文回数は20~30。約定するのはそのうち10数回。実利益はその時々によるが、1日に数万円から1,000万円を超える日もある。もちろん負け越す日もある。手数料は月額固定、というサービスを利用しているため、取引回数が多くても手数料の心配をしなくてもよい環境を整えている。

87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え/2023年11月30日発売/ダイヤモンド社/1,760円(税込)

「銘柄ってどうやって選んでおられるんですか?」

 せっかく20億円トレーダーにお目にかかれているのだ。そんな質問もしてみたが、返ってきたのは王道中の王道だった。

 まずは企業分析。決算を見て「好業績、高成長、増配」を確認。PER(株価収益率)15倍、PBR(株価純資産倍率)1倍以下であることを目安としている。

 さらにチャートを見てRSI(相対力指数:買われ過ぎなのか、売られ過ぎなのかを判断するための指数)をチェック。30以下は買い、70以上は売り、という自分が定めた基本ルールを順守する。

 加えて、売買代金と、出来高をチェック。利益を出すためには、その銘柄の需要が増えている(上昇トレンドにある)ことが必要だからだ。

 こうして「シゲルさん基準」に合格した銘柄を、「1:2:6ルール」で購入していく。

「まずは1,000株購入して、いったん様子見や。まだイケそうやなと思ったら追加で2,000株買い増しして種をつくる。成長し始めたところでもう6,000株買い増しして、売りタイミングを待つねん」

シゲルさんが向かい合っているモニターには、その「売りタイミング」を待っている銘柄がずらりと並んでいる。決算発表や配当落ちなどの影響も加味し、朝の気配値で「今日はこれとこれが動きそうや」とあたりをつけて画面をにらむ。

 打診買い→買い増し→上がったら売る、という手法はさほど珍しい手法ではない。銘柄選びも成長企業であることを重視した王道で、特に何も変わったことはしていない。

 正直、私も、シゲルさんから、特別な「成功ルール」などを教えてもらおうとは思っていない。そんな魔法のような秘訣は、投資の世界にはたぶん存在しないからだ。ただし、シゲルさんの一日のスケジュールを伺うと、やはり常人とは異なる点が見えてくる。それは場が始まる前の「準備タイム」と、場が終わった後の「反省タイム」が非常に入念である点だ。

 シゲルさんは、15時に後場が終了した後、夕食までの時間、本日の取引を全てノートに記載し、今日のトレードの反省を行う。約1,200銘柄を保有するシゲルさんのノートは数十冊に及ぶ。

どの銘柄をどのノートに書いたかも分からなくなるため、どのノートに書いてあるかをメモした、目次的なノートすらある。

 今日の出来高を振り返り、勝てた日は「勝てた理由」、負けた日は「負けた理由」を一つ一つ吟味する。最高値で買うことは、シゲルさんレベルでも難しい。というより、シゲルさんはそこを目指していない。天井や底はそもそも狙っていない。その代わり何度も何度もトレードを繰り返し、薄利を確実にものにしていくのだ。

 シゲルさんに取材する前に、同じデイトレードのRょーへーさんに、「シゲルさんに何か聞きたいことはないか?」と打診した。Rょーへーさんは「数年前から集中力が切れがちで、これまでの成功セオリーが通らない場合が増えてきた。シゲルさんはマルチタスクの極みだが、処理能力の低下とどう戦っておられるのか?」と、デイトレーダーならではの真剣な質問を寄せてくれた。これを私はシゲルさんにぶつけてみることにした。確かに年齢とともに、並行したタスク管理能力は低下していく。一瞬一瞬が勝負であるデイトレーダーにとってはマルチタスク能力の低下は致命傷と言えるだろう。

「その人、何歳や?」

「42歳。シゲルさんの半分くらいですね」

「僕も集中力は低下してるで? ピークでパパッと反応できたんは60代やったな。脳梗塞もやったし、今はもう、ぱっと銘柄名と証券コードが出てこえへん。僕も正直、自分の投資についていけてないねん。だけど、毎日毎日株を見よったら、株の方から教えてくれるようになる」

 シゲルさんは苦笑しながらそう言い、私を見た。

「まだ[友達]やな」

「?」

「その人は、まだ、[株と友達]レベルやねん。毎日毎日付き合って、[株と兄弟]ぐらいにならんとあかん。40代なんか、まだまだこれからやんか。まだいける。もっと株と仲良うならんと。あと焦らんこと。できたらよし、できなんだらそれもよし。今日で全部終わらす必要ないんやで。明日もあさっても市場は開くよ」

 朝から追っていたヤマハ発動機は、結局、シゲルさんの納得のいく価格まで上がらず、見送りとなった。

「今日は買いたい人にはええ日やったけど、売りたい人はじれったい日やったな」

 バーンと勝って、「どや!」というところを私に見せたかったらしいシゲルさんは、「今日はあんたに、エエとこ見せられへんかった…」としょんぼり。11時半に取引を終え、デリバリーで届いたお昼のハンバーガーをごちそうになった。

「日経平均株価、4月にすごく上がりましたけど、シゲルさんから見てどうですか?」

「今までが寝とったんや。ようやっと起きたな。今から始めても十分間に合う。割安でええ株は探したらまだあるで。そんでちょっとだけでも買うてみたらええねん。買わんと分からんよ、株は。1回で分からんでも、3回、4回と取引を続けたらだんだんその株が分かってくる。うまくいくまで続けるのがコツや」

 この原稿を書いている今は14時を過ぎたころ。そろそろシゲルさんが後場を終える準備をしているころだ。今日もシゲルさんは多くのことを学び、それを明日のトレードの糧にするのだろう。

 取材を終えた今、私は自分の資産構築を激しく反省している。「ほったらかし投資」という言葉に甘え、投資信託の積み立て設定をした後は、ほったらかしどころか「放置」だ。

 だが、私のように毎月数万円の投資信託の積み立てをしている者にも、必ず学びはあるはずだ。ほったらかし投資=思考停止に陥ってしまってはいないか。それはイコール、生き方も、自分の未来も、反省のないほったらかし状態なのではないか、とぎょっとしたのだ。

 マハトマ・ガンジーの名言に「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」というものがある。87歳のシゲルさんの目標は、「資産を200億円にすること」だ。資産を増やしたいのはぜいたくをしたいためではない。

 シゲルさんは、株という好敵手との対戦を楽しむため、今日も学び続ける。勝っても負けても一つ一つの取引に、株は小さなヒントをくれる。一つも取りこぼすことなくその声に耳を傾け、謙虚に明日に臨む。シゲルさんの資産である20億円は、単なる金額ではなく、20億円分の経験値が詰まっているから重みがある。

セキセイインコを飼い続けていて、今の「ピーちゃん」は13代目。シゲルさんの頭の上がお気に入り。鳥かごから出してあげると、一直線にシゲルさんに飛びつく。シゲルさんの投資を一番知っているのはピーちゃんかもしれない。
ライターさんに、シゲルさんに弟子入りしてもらい、また、ダイヤモンド社・編集の斎藤順さん本人も、何度もシゲルさん宅を訪ね、時間をかけて作り上げた一冊。シゲルさんへの敬意と愛情が伝わる一冊。