今回は明治維新150周年記念として明治維新☆タイムトリップ特集を企画しました。

イケメンで敏腕ビジネスマンだった、高杉晋作や桂小五郎

歴史好きな女性から大人気の両者。情熱の高杉晋作と冷静の桂小五郎と対照的な2人は、後輩と先輩の仲

桂小五郎(後に改名:木戸孝允)や高杉晋作の学び舎といえば、吉田松陰の指導を受けた松下村塾が真っ先に思い浮かびますが、藩の学校である明倫館(めいりんかん)でも学んでいました。ちなみに吉田松陰は明倫館の塾頭を務めていたことがあります。

時の藩主・毛利敬親は人材育成を重視していて、藩主自ら学業の進み具合をチェックする「親試」と呼ばれる試験を行うほど、明倫館の活動に力を入れていました。桂が若き秀才として注目を集めるようになったのは、この親試で2度ほど褒賞を受けたことがきっかけです。一方の高杉はというと、古臭い明倫館の授業にあまり魅力を感じなかったようで、次第に剣術の稽古に打ち込んでいったそうです。

きっちり藩にお勤めしていた

高杉晋作の誕生の地

桂や高杉は熱い想いを抱いて明治維新へと突き進んで行ったイメージが先行しがちですが、きっちり藩の仕事もこなしていました。実際に勤務していたのは「越荷方(こしにかた)」という部署で、ここで2人は大活躍をします。荷方は物資の流通や交易を任務にしていたこともあって、各地の情報を収集したり、人脈を形成したりするのに役立ったほか、稼いだ利益は武器の購入など倒幕を支える資金となりました。

桂小五郎と高杉晋作の両名は、指導者・政治活動家といったリーダーだけでなく、世の中の流れを掴み、経済感覚が鋭い敏腕ビジネスマンでもあったと言えます。

桂小五郎の誕生の地

いざ、明治維新へ!今回の「高杉晋作と桂小五郎
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長州藩のエリートたちが通った「明倫学舎(めいりんかん)」で2人は出会った



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高杉晋作や桂小五郎のビジネスマンの顔はいかがでしたか?
 

 

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