今回は明治維新150周年記念として明治維新☆タイムトリップ特集を企画しました。

長州には唸るほどカネがある

荻城下町

この地を治めていたのは、中国地方の有力戦国大名だった毛利家です。関ヶ原の戦いで西軍として参加し、敗れた毛利家は120万石から37万石に領地と石高を減らされてしまいます。

長州藩は薩摩藩や土佐藩、肥前藩と並んで明治維新のメインプレイヤーとなった雄藩のひとつなのですが、意気込みだけでは強大な幕府を倒すのは無理です。何をするにも先立つ物(カネ)が必要になります。諸説ありますが、幕末の長州藩は200万石相当の財力があったと言われています。大河ドラマでも、「長州には唸るほどカネがある」という高杉晋作のセリフがありました。

長州藩がリッチになった秘訣とは?

新規事業を推進するためのベンチャー投資!?

いち早く藩政改革に着手し、財政再建に成功したことが挙げられます。新田開発をはじめ、「防長四白」と呼ばれる特産品(米、紙、塩、ろう)の生産を強化しました。また、その特産品を流通させるため、海上交通の要所である下関などの港湾開発に着手し、交易による収入や、藩直営の倉庫を作って商人に貸し出すビジネスも始めました。

さらには、「撫育局」(ぶいくきょく)という組織を作りました。この撫育局は、藩主直属の特別会計を持ち、余った資金をヘソクリとして蓄財するだけではなく、新規事業を推進するためのベンチャー投資も行っていました。人材も身分に関係なく、能力によって登用されていました。これらの施策が実り、長州藩は借金を一挙に整理することができました。倒幕運動や明治維新というと、志士達の「ヒト」の面が強調されがちですが、藩の巧みな経済施策の成功による「カネ」の貢献度も大きかったといえます。


いざ、明治維新へ!今回の「長州藩」
タイムトリップ★スポットはこちら

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長州藩の巧みなビジネスセンスはいかがでしたか?


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