今回は明治維新150周年記念として「明治維新☆タイムトリップ特集」を企画しました。
長州5(チョーシュー・ファイブ)とは?
伊藤博文といえば、初代総理大臣となったほか、大日本帝国憲法の制定に携わったり、通貨制度の確立に関わったりと、明治政府のあらゆる場面で顔を出す中心人物です。また、公式に禁止されていたフグ食が解禁されるきっかけをつくったり、ランドセルの原型を考案したなどの逸話も残っています。さらには、旧千円札の肖像画だったことでも知られていますが、そんな彼の人生に大きな影響をもたらしたのは、若い頃の留学経験が大きいと言われています。
海外渡航が固く禁じられていた江戸時代、長州藩からこっそりと英国ロンドンへ渡った留学生達がいました。長州五傑と言われる5名の藩士です。通称は「長州ファイブ」。伊藤博文はこの長州ファイブのメンバーでした。戦隊やアイドルグループみたいなこの呼び名はふざけたネーミングではなく、彼らの勤勉で真面目な姿が周囲の英国人を感心させ、いつの間にか彼らのことを“チョーシュー・ファイブ”と呼ぶようになったそうです。ちなみに、彼らが学んだロンドン大学内には彼らを称えた石碑(顕彰碑)が建っています。
長州ファイブ達は西洋の近代文明を積極的に学び、帰国後は明治政府の中心的な人材として活躍します。そして、近代日本のパイオニアとして、各分野でそれぞれの「父」と評価されるようになります。
幕末→明治へ。5名それぞれが、新しい政治・経済の立役者として活躍し、日本の近代経済への礎を残した
「造幣の父」遠藤謹助
遠藤謹助は「造幣の父」として活躍 大蔵省に入った後、大阪貨幣局長となり、技術者の養成など造幣体制を確立しました。また、大阪造幣局内にあった桜の通り抜けを、「局員だけでなく、市民と共に花見を楽しもう」と言って開放したりもしました。
「鉄道の父」野村弥吉(井上勝)
英国では鉄道や鉱山学を学び、帰国後は鉄道頭として日本初の鉄道敷設(新橋~横浜間)を指揮し、工部省鉄道局の初代局長に就任しました。その後は全国の鉄道網の普及に尽力しました。
「内閣の父」伊藤俊輔(伊藤博文)
初代を含めて内閣総理大臣に4度就任したほか、大日本帝国憲法発布の中心人物として、日本を立憲主義国家に導きました。
「外交の父」井上聞多(馨)
初代の外務大臣に就任し、政治的・経済的に欧米列強国と並ぶため、不平等条約改正に尽力しました。欧化政策での鹿鳴館外交は有名です。
「工学の父」山尾庸三
英国では科学や造船技術を習得。帰国後は国力強化を目指すため、人材育成の必要性を主張し、世界初の工学部の前身となる工部大学校を設立しました。その工部大学校からは数多くの優秀な技術者を輩出し、近代日本の発展に貢献しました。
いざ、明治維新へ!今回の「伊藤博文」
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もうひとつの顔。若かりしころの伊藤博文のはいかがでしたか?
◆もっと知りたい!明治維新タイムトリップ特集(6回連載)
♯1:伊藤博文のもうひとつの顔 ~ 「長州ファイブ」
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