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ビル・ゲイツが19回目の中国訪問

 6月14日、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が新型コロナウイルスの感染拡大後初めて中国を訪問しました。同日21時49分(北京時間)、ゲイツ氏は415万人のフォロワー数を持つ自らの新浪微博(中国版ツイッター)上で、中国語で次のようにつぶやいています。

「先ほど北京に到着した。2019年以降初めての訪問だ。ゲイツ財団と中国のパートナーはグローバルヘルスと発展の課題に取り組んで15年以上になる。私は中国のパートナーたちと再会するのをとても楽しみにしている。児童死亡や貧困の削減の分野では世界は目覚ましい進展を遂げてきたが、世界の危機がこれらの進展を邪魔している。食料価格の上昇、深刻な債務問題、不断に増加する結核病やマラリアの発病率など。アフリカ諸国は特に脆弱である。これも私がこれから西アフリカを訪問する理由である。気候変動、健康の不公平性、食料の安全保障といった問題を解決するために、我々にはイノベーションが求められる。マラリア発病を予防するための薬の研究開発、気候変動に適応するためのソリューションへの投資といった分野で、中国には多くの経験がある。我々はこの地球で暮らすより多くの人々が発展の果実を享受できるように手を差し伸べていく必要がある」

 ゲイツ氏が初めて中国を訪問したのは1994年のこと。目的は、自らが開発したWindowsの中国語版を中国の地で普及させるための営業活動でした。中国は当時、「中国改革開放の総設計師」と称される鄧小平氏が1992年に著名な「南巡講話」を行い、市場経済を本格的に推し進めようとしていた時期でした。今年2023年は、ゲイツ氏が中国と付き合い始めて29年目、今回が19回目の訪中になります。

 私の理解では、中国の起業家、実業家の多くは米国の同業者を尊敬しており、米国企業のビジネスモデルやスタートアップに倣い、米国の株式市場で勝負したいと願っています。米国には数々の名だたる起業家、実業家がいますが、中国人が最初に想起するのは、彼らが「元祖・世界長者」と認識するビル・ゲイツだと思います。氏は中国では特別な存在なのです。

 上記のつぶやきで、ゲイツ氏は自らが創設した財団が中国のパートナーと共働を始めて15年以上という時間軸を強調しました。要するに、実業家としてではなく、慈善家として中国を訪問しているということです。

習近平国家主席がビル・ゲイツと異例の会談

 ゲイツ氏は16日までの中国滞在中、ゲイツ財団のパートナーとの面談や、「イノベーションでグローバルな課題へ対処する」と題した講演を行ったりしましたが、最大のクライマックスは、何といっても、習近平(シー・ジンピン)国家主席との会談だったと言えるでしょう。

 16日、習氏が釣魚台迎賓館でゲイツ氏と会談しました。国営テレビCCTV(中国中央電視台)が配信した映像を何度も見ましたが、中国側の「気合の入れ様」は相当なものでした。

 習氏が外国の首脳ではなく、一人の実業家とワン・オン・ワンで会談するのは非常に珍しいことです。しかも、共産党で外交を統括するトップである王毅(ワン・イー)党中央外事工作委員会弁公室主任兼中央政治局委員、政府で外交を統括するトップである秦剛(チン・ガン)国務委員兼外交部長も同席していました。

 要するに、中国の党・政府はオールスターでゲイツ氏との会談に臨んだということであり、その模様は国営新華社通信、中国外交部の公式サイトにてトップニュースとして広く報じられました。破格の扱いと言えます。

 そのニュースは、「習近平がビル&メリンダ・ゲイツ財団共同議長のビル・ゲイツと会談」と題されています。この見出しからも明確に見て取れるように、習氏率いる中国共産党は、ゲイツ氏を慈善家として受け入れており、その前提で会談を組んだということです。

 会談の中で、ゲイツ氏に対し「あなたは、私が今年に入って最初に北京で会った米国の友人だ」と語りかけた習氏は終始笑顔で、雰囲気も和やかでした。

いま、中国がビル・ゲイツを厚遇する三つの理由

 それでは、中国はなぜこのタイミングで訪中したゲイツ氏を厚遇し、習・ゲイツ会談の模様を大々的に宣伝したのでしょうか。この理由や背景を検証することは、中国の発展、米中関係、および中国における市場や企業家の動向を考える上で極めて重要です。

 三つの視点から整理してみたいと思います。

 一つ目が、ゲイツ氏が財団を通じて取り組んでいる内容が、習政権が国家戦略の観点からグローバルに取り組もうとしているものと一致している点です。会談にて、習氏はゲイツ氏とその財団が長年世界の貧困削減、公共衛生、発展、公益慈善事業の促進に尽力してきたことを称賛した上で、「現在、世界が直面する百年未曽有の大変局は加速的に変遷している中、私はグローバル発展イニシアティブ、グローバル安全イニシアティブ、グローバル文明イニシアティブを提唱した。その目的は、グローバルな課題を解決するために、中国発の解決方法を提供することにある」と強調しました。

 要するに、ゲイツ財団と中国が現在「グローバルな課題の解決」に向けて、それぞれの立場からであったとしても、共通の課題で取り組んでいるということであり、その意味において、世界的に著名で影響力のあるゲイツ氏に歩み寄り、状況次第では、同氏を取り込むことで、中国のグローバルな影響力を拡大させていこうという戦略的意図が垣間見れます。ゲイツ氏は中国にとって絶好の「ターゲット」だということです。

 二つ目に、ゲイツ氏が長年取り組んできた慈善家としての姿を中国の起業家、実業家たちに見本としてもらうという点です。2021年8月、習氏率いる共産党指導部は、低所得者層救済、中間層支援、格差是正を特徴とし、経済の底上げを狙う「共同富裕」政策を本格的に打ち出し、中国経済政策の「切り札」としました。

 鍵を握る富の分配の過程で、政府だけでなく、社会、特に財を成してきた実業家や企業が慈善事業に従事することで、中国の社会問題の解決、特に貧しい人々や発展の遅れた地域に手を差し伸べるべきだというルール基盤づくりを提唱してきたのです。

 そこで思い出されるのが、中国政府のある幹部が私に語った次の言葉です。

「中国にビル・ゲイツはいない」

 言外に、中国でビジネスを通じて勝ち組となった人間は、勝ち逃げするのではなく、ゲイツ氏のように自らの富や財を投げ出し、慈善事業に取り組むべきだという警告が込められていました。アリババ・グループの創業者ジャック・マー氏が、最近、SDGsを含めた環境問題などに非営利で取り組むようになった背景と、共同富裕を国家戦略として推し進める中国共産党指導部のゲイツ氏への称賛は全く無関係とは言えないのです。

 実際、ゲイツ財団はゲイツ氏が中国に訪問中の6月15日、北京市政府と提携し、感染症対策のために今後5年間で5,000万ドルを寄付すると発表しています。

 三つ目が、米中関係が悪化する中、バイデン政権をけん制したいという点です。ゲイツ氏が中国を離れた二日後の6月18日、ブリンケン国務長官が訪中、2日間の滞在中、秦国務委員兼外交部長、王党中央外事工作委員会弁公室主任兼中央政治局委員、そして習国家主席と立て続けに会談しました。2月の「中国気球撃墜事件」を受けて、同長官の訪中は延期となり、その後も米中関係はギクシャクした緊張関係が続いてきました。ブリンケン氏との会談の冒頭で、秦氏は「昨今の中米関係は国交正常化(筆者注:1979年1月)以降、最悪だ」と明確に主張しました。

 中国政府は、米中関係が安定しない最大の理由を、米国側が中国を戦略的競争相手と位置付け、中国の発展の意図を誤解し、それを封じ込めようとしている点に見いだし、主張してきました。そういう現状認識を持つ習氏がゲイツ氏に語ったのが次の言葉です。

「私は常日頃から言っている。中米関係の基礎は民間にある。我々は終始米国民に希望を託し、両国民が友好であり続けることを望んでいる」

 端的に言えば、米国の政権、政府と民間、国民を切り分ける「二分論」です。米国の財界やビジネス界に寄り添い、取り込むことで、その影響力を使って、米国政府の対中政策に修正を迫ろうという意図があると思われます。その意味で、ゲイツ氏は格好かつ最大のターゲットだと言えるでしょう。

 習氏率いる共産党指導部がこのような「二分論」の観点から対外関係を考察し、管理しようとしているという点は、日本の対中外交、ビジネスにとっても示唆に富んでいると見るべきでしょう。