「5年に1度」の全人代が閉幕。習近平第3次政権が本格始動

 3月13日、8日半の日程で行われてきた中国の全国人民代表大会(全人代)が閉幕しました。全人代は毎年3月に開催されるのが恒例ですが、今回は5年に1度の党大会直後ということで、「5年に1度の全人代」と言えました。しかも、習近平(シー・ジンピン)国家主席が従来の慣例(2期10年)を破る形で、3期目突入が決まった全人代だったということで、ある意味、前代未聞に重要な全人代であったと私は総括しています。

 習近平第3次政権の本格始動が、今後の国際関係や世界経済、地政学情勢、市場動向、企業活動などにどう影響していくのか。中国の動向からますます目が離せなくなっているのは間違いありません。本連載でも適宜アップデートし、議論していきたいと思います。

 先週のレポートで扱った通り、全人代開幕日の3月5日、李克強(リー・カーチャン)氏が10年間務めてきた国務院総理として最後の仕事、「政府活動報告」を発表し、2023年の経済成長率を含めた施政目標を掲げました。今回の全人代で極めて重要だったのが人事ですが、習氏の国家主席三選は既定路線として、韓正(ハン・ジェン)・前国務院筆頭副総理、元上海市書記が国家副主席に就任したのも重要でした。中央入りする前、国際経済都市・上海一筋でやってきた韓氏が、経済の持続的成長という観点からどんな外交を展開するか。

 国務院副総理人事も重要でした。昨秋の党大会で政治局常務委員入り(序列6位)した習国家主席の側近、丁薛祥(ディン・シュエシャン)氏の筆頭副総理は既定路線でしたが、2番手として副総理に就任した何立峰(ホー・リーフォン)政治局委員、元国家発展改革委員会主任は、長く勤務した福建省時代から習氏と緊密な関係にある人物。今年1月、中央政府を代表してダボス会議に出席した劉鶴(リュウ・ハー)氏の後を実質継いだ形ですが、海外との対話のチャネルであった劉氏のような役割を果たすことができるか、中国の対外経済関係という視点からも、何氏の動きに要注目です。

物議を醸してきた李強・首相人事。背景にあった三つの理由

 今回の全人代で、私が最も注目していた人物が李強氏(以下敬称略)です。李克強の後を継いで国務院総理(首相)に就任するのは既定路線でしたが、この人事が内定した昨秋の党大会以降、「李強首相就任」は国内外で物議を醸してきました。李強が党内序列2位、首相として国務院(内閣・中央政府)を率いていくことに、疑問がかけられてきたということです。

 三つの理由・背景があったと思います。

 一つ目が、李強に国務院で働いた経験がない点。1959年、浙江省瑞安県で生まれた李は、2016年まで終始浙江省に勤務。その後江蘇省、上海市で党委員会書記を歴任しましたが、首都・北京での勤務経験は皆無と言っていい。

 また、改革開放(1980年代)以降首相を務めた趙紫陽、李鵬、朱鎔基、温家宝、李克強は、例外なくまずは副首相を務め、将来的に中央政府を率いていくための経験と人脈を蓄積した上で、首相に就任しています。ただ、そもそも国務院で働いた経験がない李強には当然副首相を歴任していません。そんな人物に、いきなり首相という重役を任せられるのかという疑問です。

 二つ目が、李強は習近平の「子飼い」でしかないという点。二人は浙江省時代に約5年間(2002~2007年)、上司と部下として一緒に働いた経緯があります。習は自らに忠誠を誓う李を心底信頼し、故に中央入りの登竜門であり、自らも中央入り前に歴任した上海市書記に引き上げました。能力ではなく、習近平との距離の近さという一点で首相に就任したのではないか、という疑問です。

 三つ目が、李強は上海を二カ月以上のロックダウン(都市封鎖)に追いやったという点。確かに、実質GDP(国内総生産)が3.0%増という結果に終わり、目標に届かなかった中、上海市(同市は昨年マイナス成長)を率いていた李強の責任が追及されてもおかしくはありません。そんな李強が何事もなかったかのように中央入りし、しかも序列2位の首相に就任するという人事はおかしいのではないかという疑問です。

 これら三つの理由に関しては、私から見て、的を射ているもの(1)もあれば、議論の余地があるもの(2)もあれば、そこが本質ではないと思うもの(3)もあります。ここでは深入りしませんが、今後、機会を見つけて詳細に分析したいと思います。

李強首相の手腕を展望する

 上記の背景を含め、ベールに包まれてきた李強の素顔や手腕を占う上で、極めて重要だったと私が捉えたのが、全人代閉幕直後に行われた李強による記者会見です。全人代では毎年、閉幕後に首相が中外記者と会見を行うのが慣例ですが、李強にとっては当然今回が初めてで、実質のお披露目式となりました。

 約80分間(逐次通訳あり)の会見で、李強は計10の質問に答えましたが、私も全過程を注意深く見ながらメモを取っていました。

 国務院で仕事をしたことのない李強ですが、特に緊張したり、ナーバスになっていたりということもなく、リラックスして、そつなくこなしているなという印象を持ちました。何より、自分の言葉で語るスタイルで、習近平への忠誠心は随所で垣間見せていましたが、聞きなれない言葉、難しい表現を使うわけでもなく、実体験を交えながら、強弱をつけながら、これから中央政府として何をしていくかを実直に語っていたと私は理解しました。

 特に印象に残っているのが、新華社の記者から投げかけられた、「新政府としてどうありたいか?何が求められるか」に関する最後の質問への答えです。李強は回答の中で次のように語っています。

「調査研究の作風を大々的に振興したい(中略)。私は長年地方で仕事をしてきたが、深い感想がある。オフィスに座っていると直面するのは問題ばかりだが、現場に深く入っていくと、そこにあるのは解決方法ばかりだ。やり手は民間にこそいるということだ。我々は各レベルの幹部に第一線の現場に行くよう促し、民間に問い、民間に学ぶことで、現場レベルの問題を真に解決する術を身に付けないといけない。特に、大きな組織で長年仕事をしている若い同志たちは、心身を携えて現場の奥深くに入っていくことで、より地に足のついた仕事ができるのだ」

 李強の施政スタイルを体現する言葉であると感じました。実際、17歳で社会に出た李強はまず工場労働者として2年間働き、その後浙江農業大学で機械農業を4年間学びました。卒業後は生まれ故郷の瑞安で共青団書記を務め、浙江省の民政局に就職し、そこでも農村問題を中心に仕事をしています。2002年から2年間党委員会書記を務めた温州市の商人は「中国のユダヤ人」と称されるほど、世界中を股にかけたビジネスをしてきた経緯があります。

 浙江省という沿岸部の、経済が栄えた地域で長年仕事をしてきた李強は、中国が真に貧しかった時期、貧しかった地域を知る現場主義者であり、経済を真に作り上げる、立て直すには何が必要かを現場レベルで実感してきた、問題解決型の政治家なのでしょう。

 お披露目式におけるパフォーマンスを眺めながら、李強のそんな一面を垣間見た気がしました。ただ言うまでもなく、地方の首長と中央の首長では求められる能力も力量も全く異なるでしょう。極端なたとえですが、剛腕の大阪府知事にいきなり内閣総理大臣をやれと言って務まるかどうかは少なくとも不確実であるように。

 李強首相の手腕と力量を判断するには、少なくとも3カ月から半年くらいのプロセスが必要だと思う今日この頃ですが、お披露目式を経て、私が今思うのは、習近平国家主席が自らとの距離(忠誠心と信頼関係)だけに依拠して李強を首相に抜擢したわけではないということ、李強の蓄積してきた経験や能力を我々は漠然と過小評価すべきではないということ、です。今後の展開が楽しみです。