※本記事は、2011年6月17日に公開されたものです。
個人の資産配分「簡便法」の追求
一般的な個人が、無理なく本人の手で実行できる資産配分の方法はどのようなものであるか。筆者は、ここ数年このテーマについて試行錯誤している。
機関投資家の場合、キャッシュのインフローとアウトフローが比較的はっきりしていることが多いので、ALM(資産負債マネジメント)的な要素を考慮しながらも、「リスク拒否度」を明確化させて、資産の中で、何に何%運用資金を投じるかと考えることで答えを出すことが一般的だ。
そもそも機関投資家の資金は「運用のため」であることがはっきりしているので、運用資金を何に何%に配分するかという意思決定方法が馴染みやすい。たとえば、運用資産が120兆円以上に及ぶ日本の公的年金のような運用でもこうしたアプローチで「基本ポートフォリオ」を決めている。
しかし、個人の場合は、もう少し事情が複雑だ。
たとえば、合計1,000万円の金融資産(預金、株式、債券、投資信託などの合計で)を持つ家計について考えてみよう。
常識的に考えて、家計は、借金(条件がひどく不利である)をせずに済むようにある程度の「予備費」をいつでも使える形で持っていることが好ましい。
すると、仮に予備費を生活費の半年分持つとして、生活費が30万円の家計と100万円の家計では、運用に回すことができる資金が820万円(1,000万円-30万円×6=820万円)から400万円(1,000万円-100万円×6=400万円)の差ができる。
この場合、1,000万円を「100%」として資産配分を行うと、両家計では適切な資産配分が大きく異なる公算が大きいし、820万円、400万円をそれぞれ「100%」と見ても、リスクを取ることができる金額が異なる可能性が大きい。
加えて、生活費以外にも、個人が持っている「人的資本」(将来の収入のリスクを考慮した割引現在価値)には大きな個人差があるし、将来支出することが予想される「負債」の現在価値も異なっているだろう。
これらの差を運用計画に適切に反映させて、資産配分計画を立てることは、個人にとってかなりハードルの高い意思決定であるのみならず、FP(ファイナンシャルプランナー)のようなアドバイザーにとっても簡単でない。
実は、彼らが、新聞や雑誌などで、簡単に推奨する資産配分を(多くは円グラフ付きで)比率として無造作に提示することがあること自体が、彼らが資産配分計画で考慮すべき要素が何かをおよそ理解できていないことの証拠だ(→円グラフの配置も含めて、記事のレイアウトを決めてから取材するメディアの側の問題もある)。
難しい要素が幾つかあるとしても、こうした諸々の要素を、正確ではなくとも十分反映させつつ、個人が自分の手で「無難に!」資産配分計画を作るためには、どうしたらいのか、筆者は、これまで何度か試行錯誤を重ねてきた。その軌跡の多くは、この「ホンネの投資教室」のバックナンバーに反映されている。
たとえば、家計の状況を「リスク拒否度」に反映させて最適化計算を行ったり(→リスク拒否度の理解と最適化の計算が個人やFPには難しい)、最大限の想定損失額から運用資金をリスク資産に投ずることができる上限を決めて資産配分の比率を計算したり(→これでもまだ難しいことが多いようだ)、といった工夫を試したし、運用資金に対して人的資本が相当に大きいケースが多い(特に若いサラリーマンの場合)ことを前提として、余裕資金を全てリスク資産に投資してしまうことを推奨したり(→多くの場合問題ないが心理的にリスクが過大だと感ずることが多く、その結果バランスファンドのような効率的でない運用対象に資金が向かうこともあった)ということもあったが、どれも「これが決定版だ!」という実感がなかった。
配分比率から金額へ
個人の資産運用の場合、おおむね無リスクな資産と内外の株式のようにリスクを取って運用する資産の「比率」を決めることが最大の課題であるように思われた。
取ってもいいと思うリスクの大きさが決まると、リスク資産部分の中身についてリスク当たりの期待超過リターンがベストに近い組合せ(これは、「おおむね」誰にとっても同じにして問題ない)を一つ知っていると、資産配分計画を完成することができる。無リスク資産の中身もある程度定型化することが可能だ。
こう考えて、リスク資産への資金配分額を決めることができればいい、というところまで辿り着いた。
この場合に、「金融資産全額」なのか「金融資産マイナス必要予備費」なのか、あるいは「金融資産プラス人的資本」なのか、何を「100%」と考えてリスク資産への運用額を何%とするか、と考えるのが分かりやすいか判然としない。
そこで、今回考えた個人向けの運用の簡便法は以下の通りだ。具体的な例で考えてみよう。
1,000万円の金融資産額を引き継ぐとして、リスク資産に関して、期待リターンを「無リスク資産の利回り(=金利)+5%(機関投資家の運用計画上、株式のリスクプレミアムとして平均的な水準だ)」、リスク資産のリスクをリターンの年率標準偏差で20%(やや大きめの見積もりであり、保守的な想定で、かつ計算が簡単だ)とすることにしよう。
ここで、一年間の運用に於ける一応の「最悪」を期待値マイナス2標準偏差のイベントと想定するとして、以下のような状況になっている。
まず、想定される最大損失額は、
(1)想定最大損失額=リスク資産運用額×35%
である。5%-20%×2=-35%なので、こうなる。
次に、リスクを取ることで予想される平均的な稼ぎは、
(2)期待される稼ぎ=リスク資産運用額×5%
となる。ここでは、無リスク資産の金利にプラスされる収益を「稼ぎ」とみなす。インフレ率や金利水準が変わっても、リスク資産のリスクプレミアムが変わらなければ変化しない。
ここで、基本的には、(1)で計算される「最悪」が許容できる範囲の中で、「最悪」と「期待される稼ぎ」との組合せとしてどれを選ぶかを考えたらいい。
たとえば、リスク資産に500万円投資するなら、最悪時の損失が175万円で、期待される稼ぎは25万円だ。リスク資産が400万円なら、これが140万円と20万円になる。
しかし、この場合、心理的に、数字として損失額と稼ぎでは損失額が大きく見えてしまう難点がある。「最悪」と同時に「ベスト」の可能性も参照して考えることが良さそうだ。
(3)ベストの稼ぎ=リスク資産運用額×45%
も合わせて考えるといいのではないか。
結局、運用を考えるに当たって「比率」は、複数の運用対象の効率を較べるには便利だが、自分の経済生活にとってのインパクトを考える上では、十分な実感を伴わない。
損や稼ぎの「金額」なら、自分の年収や、生活費と較べることができるので、「±の利回りの率」よりも分かりやすいのではないか。
「利回りの率」を喜びや痛みとして実感するのは、ファンドマネージャーや、運用会社の顧客担当者などの、運用業界人だけかも知れない。
1,000万円の金融資産がある人のリスク資産運用額に対する、1年間の、想定最大損失(の目処)、平均的な稼ぎ、ベストな場合の稼ぎ(最大損失と同等程度に起こりうるベスト)は、以下の表のようになる。
リスク資産運用額と想定される損益の金額
(単位:万円)
リスク資産の中身については、何を何%という比率での把握となるが(ここでは、TOPIXのインデックスファンド50%、MSCI-KOKUSAIのインデックスファンド35%、MSCI-EMのインデックスファンド15%、といった内訳を想定している)、これは、ベストに近い効率のパターンを一つ覚えておけばいい。
運用資産全体を何%何に投資するかと発想するよりも、想定される損益の上下限と平均を自分の収入や生活費と較べる方が、一般個人には考えやすいのではないか。
まだ、改良の余地があるかも知れないが、これならかなり簡単かと思うのだが、いかがだろうか。
【コメント】
今回はコメントが少し長くなる。2011年6月の記事だが、個人的に印象的な内容だ。実は、この記事の前に「投資主体別アセットアロケーション(上・下)」と題して、研究者や機関投資家レベルから個人に応用しようとする簡便法までアセットアロケーションのアプローチを紹介した記事を書いている。2001年くらいから、筆者は、かつて米国の年金運用などを標準形とするような機関投資家の運用を個人に応用しようとしてアセットアロケーションについて考え、書いていた。
■投資主体別、アセットアロケーションの方法論(上)(2011年4月1日公開)
■投資主体別、アセットアロケーションの方法論(下)(2011年4月15日公開)
企業年金や公的年金の運用では資金の出入りのスケジュールがおおむね分かっているので、基金の性格に応じてアレンジしながら「株式○○%、債券××%」のように「比率」で資産配分を考えることが多く、これは1,000億円の基金にも、1兆円の基金にもおおむね適用できる。さらに精緻にやるには年金ALMのアプローチが加わって権威が付加される。
この頃までの筆者は、こうした機関投資家的アプローチのエッセンスを個人のアセットアロケーションに簡便化して落とし込もうとして、個人の資産配分の「比率」を計算する方法をあれこれ考えた。過去には本や記事に何度も書いた。しかし、たとえば「リスク拒否度」を個人に考えさせるのは大変難しいし、それでしっくり来るアセットアロケ−ションができるわけでもない。
こうして考えている中で、個人にとっては「損失するかも知れない実額」の影響が決定的でかつ考えやすいことが分かって来た。運用資産として定義した金額に対する「比率」ではなくて、「損の額」だ。そして、個人のアセットアロケーションは、「率よりも、額で考える方がいい」という方法にやっと至った。「機関投資家の運用方法が偉い」という先入観を捨てるのに10年かかったといっていいかも知れない。
この方が、「専門的な有難味」は乏しいかも知れないが、実際的なファイナンシャル・プランニングとつなげることができる。ついでに言うと、比率の円グラフ付きの「お勧めポートフォリオ」などを提示しているアドバイザーやそうした記事を書かせている新聞・雑誌の編集者などに対して優越感を持つことができる(これは性格が悪いかも知れないが)。
その後、「損失額に対する評価の方法」などを工夫することになるが、「率でなく額で考える」と決めたことのブレークスルーは大きかった。
付け加えると、年金基金が使う「ALM」も個人に適用してそれほど有難味のあるものではない。実用に供するためには少なくとも大きな改変が必要だ。そのままの応用は役に立たない。
個人のアセットアロケーションは、分析・計画の対象によって、与件(計算上は変数)の範囲や性質が変わると適切なアプローチが大きく変わることがある、という良い例の一つだと思う。アセットアロケーションのみに限らず、個人の資産運用にはまだまだ掘るべき鉱脈があるように思われる。
もっとも、プロのアプローチの全てが個人に合わないというものではない。たとえば、バランスシートで家計を把握することは大変有用だし、プロにとってダメな運用商品が個人にとって優れているというようなことはまずない。(2023年1月17日 山崎元)
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