ALPS処理水放出を決定した岸田政権と各国の反応

 8月24日、日本政府が福島第一原発ALPS処理水の海への放出を開始しました。原子力分野で専門的知見を持った国連組織であるIAEA(国際原子力機関)から、ALPS処理水の海洋放出について、国際安全基準に合致していることを結論付ける報告書が7月4日に公表されたのを受けての措置と言えます。これを受けて、EU(欧州連合)やスイス、ノルウェー、アイスランドは日本産の水産物輸入に課していた規制を撤廃すると発表しました。

 EUは日本のこれまでの取り組みを評価する一方、福島第一原発にたまる処理水を薄めて海に流す計画を念頭に、日本政府に対し国内の放射性物質の監視を続けるよう求めています。報告書を発表したIAEA、放出中・放出後についても長年にわたってALPS処理水の海洋放出の安全性確保にコミットするスタンスを堅持しています。

 IAEAからお墨付きをもらい、海洋への放出が実現して終わり、では決してないことは疑いありませんし、日本政府だけでなく、地域社会、関連業界、国民を含め、「フクシマの悪夢」は決して終焉(しゅうえん)したわけではないことを、肝に銘じ、行動していく必要があるでしょう。

 日本に近い韓国、台湾も、IAEAという専門家集団が提示した科学的根拠を尊重する、同時に、日本が国際的な基準に合致する形で放出を行うようモニタリングをし、促していくという立場を保持しつつ、日本からの水産品に対しては一定の輸入規制を維持していくもようです。

中国は反発。香港も同調

 そんな中、日本の決定と行為に対して断固たる反対を展開しているのが中国です。ALPS処理水を「核汚染水」と定義し、官製メディアを含め、この文言で日本政府の決定がいかに危ないかに関してネガティブキャンペーンを張っているのが現状です。

 具体的には、次のような動向が見られます。

     
8月22日 中国外交部 孫衛東副部長が日本の垂秀夫駐中国大使に抗議
8月24日 中国外交部 外交部報道官が「六つの『していない』」という観点から日本政府の決定に反対
8月24日 中国駐日大使館 呉江浩大使が岡野正敬外務次官に抗議
8月24日 中国税関総署 日本全国からの水産物輸入を全面的に禁止
8月25日 国家市場監督管理総局 中国国内の食品業界に対し、日本の水産物の加工、調理、販売を禁止

 垂駐中国大使を呼び出した孫副部長は、「日本政府は国際社会からの強烈な疑念と反対を無視し、福島の核汚染水を海に排出することを頑なに発表した。この行動は、中国を含めた周辺国家、国際社会に核汚染のリスクを転嫁するものである」と主張。

 外交部報道官が韻を踏むように、「日本政府」を主語に提起した「六つの『していない』」というのは、次のものです。

  1. 海への放出に関して決定の正当性、合法性を証明していない
  2. 核汚染水の浄化装置を巡る長期的信頼性を証明していない
  3. 核汚染水をめぐるデータの真実性、正確性を証明していない
  4. 海への放出が海洋環境や人類の健康安全に無害だと証明していない
  5. 観測方法を巡る十分性、有効性を証明していない
  6. ステークホルダーと十分な協調をしていない

 中国政府が堅持するスタンスは、香港政府にまで波及しています。処理水放出を受けて、香港政府(マカオ政府も)は、福島や東京など10都県からの水産物輸入を禁止すると発表しました。私自身、2018~2020年まで香港に住んでいましたが、率直に言って、香港ほど日本の食材や商品が市民の日常生活で普及していて、市民が日本食に親しみを感じている地域を私は目撃したことがありません。ある意味、香港は世界一「親日的」な社会だと思いました。

 農林水産省の統計によれば、昨年、日本から香港への水産物の輸出額は755億円で、中国本土(871億円)に次ぐ2位の輸出先となっています。人口750万人の香港が、人口14億人の中国本土に近い額の水産物を輸入しているわけですから、日本の水産物はいかに香港社会に浸透しているかがよく分かります。

 日本の水産業界への打撃という観点から見ると、昨年の中国本土、香港へ輸出された水産物が水産物輸出総額に占める比率はそれぞれ22.5%、19.5%で、全体の42.0%にも達しています。今回の中国の禁輸措置、香港の輸出制限措置が日本の水産業界に与える影響は決して小さくないということです。

 特に2020年の「国家安全維持法」施行以降、政治や外交で中国政府への同調を求められてきた香港政府ですが、今回の措置はその典型と言えます。香港は引き続きアジア有数の国際金融センターであり、ビジネスハブです。そんな香港の「北京化」は、アジアを舞台にビジネスを展開する日本企業にとってもリスクになるでしょう。

再燃する「反日感情」と懸念される経済活動への影響

 日本政府による処理水放出開始、中国政府による猛烈な反発を受けて、中国国内では再び「反日感情」が再燃しているように見受けられます。ここ数日、日本メディアをにぎわしているように、中国で日本人に対する嫌がらせの電話が相次ぎ、確認できているだけでも、山東省青島市にある日本人学校に石が投げ込まれ、江蘇省蘇州市にある日本人学校に複数の卵が投げ込まれています。北京市の日本人学校にも無言電話があったといいます。

 北京にある日本大使館は在留邦人に対し、外出時に不必要に大きな声で日本語を話さないようにするなどの慎重な行動を呼び掛けていますが、同館がこのような警告を出すこと自体、異常事態だと思います。

 私は2003年から2012年まで北京で生活をしていましたが、特に2005年、2010年、2012年は、歴史や領土に関わる問題を引き金に、北京や上海といった大都市を中心に「反日デモ」が吹き荒れました。私自身、目の前で日本の飲食店や日本車がデモ隊に攻撃されるといった場面を見てきました。自らが日本人であること、日本語を話すことで、道端で殴られるんじゃないか、差別的な扱いを受けるのではないかといった恐怖を感じたのを覚えています。

 今現在中国で生活している日本人、および日本関連の事業に関わっている中国人は、同じような恐怖を感じているのだと察します。中国における日本料理店では、お店で出している刺身が日本産ではないことを必死にアピールするといった現象が散見されます。

 言うまでもなく、「反日感情」の再燃は日中経済関係に不可避的に影響を与えるに違いありません。水産物(品)だけでなく、他の業界、商品にまで「日貨排斥」運動が波及する可能性は十分にあります。日本企業で働くこと、日本語を勉強すること、団体旅行が解禁された後になっても、日本に旅行に行くことをやめる中国人はゴマンと出てくると思います。

 と同時に、中国でビジネスを展開する日本企業が中国政府、企業、世論、地域コミュニティから嫌がらせを受けたり、場合によっては、昨今「反スパイ法」の観点から懸念される邦人拘束リスクが上昇したり、といった事態も十分考えられます。

 中国における「反日感情・運動」は日本経済と切っても切り離せない関係にあるのです。