これまでのあらすじ

 信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始めた。将来に向けての話し合いの中、知識&情報不足を痛感した二人は、情報収集に動き始める。信一郎はチェス友で大学の先輩である工藤をランチに呼び出した。

老後と現在、どちらのために生きる?

「へぇ、そんな話をしてるのか」

 大手証券会社に勤める工藤は少し驚いて信一郎の顔を眺めた。

 長年のチェス友の信一郎から、「話を聞きたいからランチに付き合ってほしい」と呼び出され、近所の蕎麦屋で向かい合うなり切り出されたのが、「老後のコトってどう考えてる?」という漠然とした質問だった。

 なにごとかと話を聞いてみると、子供の教育費を発端に、学費や老後の資金計画で、妻と話し合いをしている最中なのだという。

「妻はとにかく最悪ルートに耐えられる貯金を確保しようって言ってるんだけど、それが正解かどうか…。僕だって子供の教育は大事だけれど、そこでお金を使い切ってしまうのも良くないと思っていて、結論が出ないんだ」

「工藤さんの家はどんな感じなんだ?」と質問され、工藤は首をひねった。

「僕の家と比較しても答えは出ないよ。うちの妻は専業主婦で、子供も上が高校生、下も中学生だ。僕の両親も亡くなって、妻の義母は施設に入っている。条件が違いすぎる」

「そりゃそうだよな」

 信一郎は肩を落とした。

「ただ、僕は信一郎に賛成だな。今の自分たちの生活を削ってまで、全力で準備に費やすのは良くないと思う」

 と工藤がいうと、信一郎は真剣に聞き入った。

「この先何があるか分からないっていう理香さんの言い分は分かるけど、その何かって、悪いことばかりじゃないと思うんだ。健くんや美咲ちゃんが成績優秀で、返還不要な奨学金をゲットできたり、ご両親の資産を相続する可能性もある。信一郎や理香さんが転職して給与が大幅アップするかもしれない。転職しないまでも、なにか起こらない限り収入は今より増える予定だろう?」

「まぁ、そうかも…」

 長男の健は天真爛漫でお調子者。異才を発揮せずとも元気に育ってくれれば十分…と内心思いながら、信一郎はあやふやにうなずいた。

「今の生活…というか、収入と支出のバランスを見直すのは賛成だよ。そのうえで、今すぐに必要ないお金を使って、将来に備えるのがいいと思う。今が楽しくないのに、将来が楽しいわけないじゃないか」

「そうだよな。僕だって、ゴルフも行きたいし飲みにも行きたい。娯楽を全部やめて、見えない未来のために貯金し続けるなんて辛すぎる」

 うんうん、と工藤はうなずいた。

「貯金っていうけど、貯金じゃなきゃダメか? できたらリスクの少ない投資に回して、少しでも資産が増える方法を選んでみたらどうかな」

「投資か…。僕は金融知識もあんまりないし、不安だなぁ。何より理香がウンていうかな…。理香はいったん思い込んだら、なかなか考えを変えないから…」

「国債を持ってるんだから証券会社に口座はあるんだろう? 安全度の高い投資信託も少し買ってみて、様子をみてみたら?」

 やったことないから、不安になるんだよ。減ってもまぁ大丈夫かなっていうくらいの少額で投資デビューしてみたらいいのに…。と、アドバイスしながら、工藤はつるつるとそばをすすった。投資デビューに二の足を踏む人は、たいていが「知らない」「やったことがない」を理由に挙げる。ただ、何事も最初からプロである人はいない。

「チェスを始めた時と同じだよ。まずはルールを知って、始めてみて、勝ったり負けたりしながら、経験を積む。だんだん上手になって、無駄な負けがなくなる」

「なるほど…」

 高校のチェス部に入ったときのことを思い出したらしく、信一郎は大きくうなずいた。

「チェスと同じで、がつがつ攻めるものもあるし、地道に1マスずつ進むものもある。金融商品にもいろんな駒があるよ。まずは*ポーンみたいな金融商品を一つ持ってみるのはどうかな」

「うう…理香にポーンを説明するのがめんどくさい…。でもまぁ、考えてみる」

「一番最初に攻め落とさないといけないのは理香さんてことだな」

 頭を抱えてうなる信一郎を見て、工藤はにやにやと笑った。

*ポーン…将棋で「歩兵」に似た動きをする駒。将棋と違い「成る」ことはできない

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