透明性に欠ける中国をどう理解するか

「中国は一体何を考え、何をやろうとしているのか?」

 中国の動向を注視する政府や市場関係者、仕事や生活で中国と特に関係がなくても、隣の大国の様子が何となく気になる人々から、しばしば投げかけられる質問です。

 端的に言えば、中国は透明性に欠ける、ということでしょう。

 中国だけでなく、政府当局が発表する内容は往々にして自らに有利なことや自らが言いたいこと、やりたいことなどに集中することが多く、政府の首長や官僚が自らの欠陥、弱点などを進んで公言する風潮のある国は少ないと思います。問題は、そんな権力をチェックする存在があるかどうか、チェック行為が制度的、政策的に許されているかどうかにほかなりません。それによって、権力を持っている側の言動は全く異なってきます。

 中国では、報道や言論の自由が著しく制限されているため、政府は自らに有利なことや言いたいことを言いっぱなしにしています。それに対して、野党やメディア、学者らが異なる見解を発表したり、異を唱えたり、あるいは一般市民がソーシャルメディアで政権批判をし、習近平(シー・ジンピン)総書記の発言がネット上で「炎上」したりすることも基本的にありません。

 権力を保持する側、それをけん制・批判する側、そんな権力者たちのやり取りを監視する側、社会にいろいろなプレイヤーがいて、さまざまな立場や、角度、視点から自由で公正な議論がなされている状態、それを透明性というのだと思います。その意味で、昨今の中国を客観的に理解するためには情報が少なく、透明性に欠ける。だからこそ、外界は中国に対して「何を考えているのか分からない」という疑念と不信を抱かざるを得ない。

 等身大の中国を知るためにはどうすればいいのか。私のような中国研究をなりわいにする人間にとっては、永遠の課題です。

習近平政権の経済政策キーマン、劉鶴・国務院副総理が最後のダボス会議出席

 2022年12月に、それまで3年間続けてきた感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」策が電撃的に撤廃されました。1カ月もたたないうちに、感染していない人間を見つけることが困難なほどウイルスがまん延する「フルコロナ」状態になりました。居住地での年越しを余儀なくされた昨年とは異なり、今年は延べ21億人が帰省や観光のために「民族大移動」を展開。全国各地の観光地、駅や空港は人の海と化しています。一体中国で何が起きているのか。「フルコロナ」下で経済は回復するのか。中国人民はコロナ感染が怖くないのか。2023年の中国はいずこへ向かうのか…。

 関心事は尽きないですが、そんな中国の現在地を理解する上で、最近、私が非常に有益だと捉えた光景があります。2023年3月の全国人民代表大会(全人代)で退任が見込まれる劉鶴(リュウ・ハー)国務院副総理のダボス会議(世界経済フォーラム)での演説です。

 劉鶴という人物を一言で表せば、中国政府内で経済、特にマクロ経済や産業政策に最も精通した学者型の高級官僚として、政治局委員、国務院副総理まで登り詰めた国家指導者です。

 1952年生まれの劉氏は、文化大革命後に北京にある有名大学・中国人民大学の学部、大学院で工業経済学を学び、卒業後は、中央政府にてマクロ経済、産業政策などに従事してきました。国家計画委員会長期計画・産業政策副局長を務めていた1994~1995年には米ハーバード大学ケネディスクール(公共政策大学院)で国際金融や貿易を学び、公共管理修士号を取得。2010年には、1930年代の大恐慌と2008年の金融危機の比較研究を中国政府内で統括し、2013年に『世界大危機の比較研究』(中国経済出版社)を上梓。2012年11月に発足した習近平政権でマクロ経済を策定する最重要機関である中央財経弁公室主任として、経済、財政、金融、産業、通商政策を引率するキーマンとして政権を支えてきました。

 経済に精通し、政策のプロであり、研究ができる学者であり、英語で議論ができ、米国をはじめとする海外事情を理解し、最高指導者に仕える権限を持つ人物。余人をもって代え難いとはこのことで、2018年以来、5年ぶりに中国政府を代表して参加したダボス会議でも、世界各国から集まった政治家や実業家、知識人が、劉氏が何を語るかを注視し、そこから中国が何をしようとしているのかを探ろうとしたのも無理はありません。世界と対話ができる劉氏が国家指導者として国際会議に姿を現す最後の舞台が今年のダボスであった点を考えれば、その言動や仕草になおさら注目が集まったというべきでしょう。

 私もそんな心境で劉氏の動向を追っていました。

劉鶴氏はダボスで何を語ったか:不動産、双循環、共同富裕

 約23分にわたる演説の中で、劉氏は何を語り、伝えようとしたか。

 まず、GDP(国内総生産)実質成長率が目標の5.5%前後に届かず、3.0%増という結果に終わった中国経済に関し、「2023年は全体的に改善し、成長率も正常な水準に達する可能性は高い。今年は輸入が大きく増加し、企業は投資を拡大し、個人消費も常態に回帰するだろう」と主張しました。

 過去10年で、中国のGDPは54兆元から121兆元に増加し、平均寿命は74.8歳から78.2歳に上がり、中国経済の世界経済成長への貢献率が36%程度に達したとした上で、(1)発展という最優先事項、(2)社会主義市場経済改革の方向性、(3)全方位による改革開放の拡大、(4)法による統治、(5)イノベーション型の成長という五つを堅持していくと語りました。

私が注目したのは、劉氏が(2)に言及した際に、アドリブで、「一部関係者は中国が計画経済に戻ろうとしているとみているようだが、それは絶対に不可能だ。中国人民はその進路を選ばない」と中国経済の先行きを不安視する関係者の不安を打ち消そうという発言をした点です。

ここから劉氏は自らが統括してきた中国経済について具体的に説明します。(1)金融リスク、特に不動産リスクをどう防止するか、(2)経済の双循環をどう促進するか、(3)共同富裕をどう推進するか、について「考えていること」を披露してくれました。

(1)金融リスク

 先週のレポート(中国、61年ぶりの人口減。2022年経済は3.0%に失速。解決の糸口は?)でも扱ったように、2022年、「ゼロコロナ」策が敷かれる中、最も顕著に低迷したのが不動産業界でした。恒大集団のデフォルト(債務不履行)問題も尾を引いているようです。劉氏によれば、中国政府は現在『金融安定法』の策定を検討し、法整備を通じて金融リスクの顕在化を防止していくとのことです。

 不動産に関して、有益な情報が出てきました。不動産市場を「中国国民経済の支柱産業」と位置付ける劉氏は、不動産関連の借款は銀行ローンにおける約4割、不動産関連の収入は地方政府の半分、不動産は都市で暮らす市民の資産の6割を占めていると紹介。その上で、2021年下半期以降、中国不動産市場には、価格と売り上げの急降下という現象が出現し、不動産企業には普遍的に流動性が不足し、負債が膨れ上がっていると危機感をあらわにします。不動産業界から誘発される金融リスクを回避するために、未完成の建物の竣工(しゅんこう)支援、不動産企業への融資拡大、不動産バブル期に強化した規制の緩和といった対策を打つことで、この業界の回復を促してきた、すでに効果と改善は見られると説明しました。

(2)経済の双循環をどう促進するか

 次に、中国政府は国内・海外双循環という政策を掲げていますが、重点は内需拡大と産業構造の改善で、消費促進を通じて成長モデルを追求することで、経済をリバランスする、対外開放を高い次元で推進し、経済の「再グローバリゼーション」を実現すると野心的な目標を掲げると同時に、名指しした上で米国にもそこへのコミットを求めました。

(3)共同富裕をどう推進するか

 最後に共同富裕です。本連載でも適宜扱ってきましたが、鄧小平(ダン・シャオピン)時代に採用された、まずは一部の人や地域から率先して豊かにする「先富論」に別れを告げ、経済を全体的に底上げするというのが習近平新時代を象徴する「共同富裕」です。2035年のGDPと一人当たりGDPを、2021年時点と比べて倍増させる目標を公言しています。劉氏はこれを「長期的な目標であり、一歩一歩実現していかざるを得ないもの。共同富裕が重んずるのは二極化する格差の是正であり、最終的には、国民が勤労を通じて豊かになる共同発展が目標になる」とした上で、「共同富裕は決して平均主義や福利主義ではない」(結果の平等を求めるわけでも、一部北欧国家のように、極端に社会福祉を重視するような政策も取らないという意味)と弁明します。「共同富裕は第二の文化大革命ではないのか」という市場関係者からの疑念を払拭(ふっしょく)しようという意図が垣間見れます。

 そして、共同富裕を推進する歴史的過程において、「外国企業を含めた企業家にエンジンとしての重要な役割を発揮してもらいたい、なぜなら企業家こそが財や富を創造するキープレイヤーであり、それらの蓄積なしに、共同富裕など夢物語だ」と結論付けています。

 私からみて、劉副総理がダボスの地で口にしたラストメッセージは、中国経済の現在地、習近平第3次政権の経済政策を理解する上で極めて重要です。劉氏は中国語で演説し(同時通訳あり)、演説後に行ったシュワブ・ダボス会議会長との対談でも、まずは英語で「May I answer in Chinese instead of English?」(英語ではなく中国語で回答してもよろしいでしょうか?)と丁重に、温和に断っていました。劉氏が英語で答えられないのではなく、英語で直接交流したいのだけれども、中国の国家指導者という立場上、中国語でやり取りをすることが国内政治的に適切であるが故に、そう振舞ったということです。

 ここで私が指摘したいのは、国際社会が中国を客観的に理解するためには、架け橋となる人物が必要だということです。劉氏は疑いなくそんな一人でした。そんな彼は3月の全人代で退任する予定です。だれが劉氏の後を継いで、中国の経済や外交政策を国際社会が理解できる言語や仕草で発信していくのか。仮に後継者がいるとして、彼・彼女が発信する言葉を、正確に、勇敢に、責任を持って受け取り、理解しようと努める覚悟と姿勢を我々は持っているのか。

 中国問題とは、私たち世界市民の問題そのものだという思いを強くする今日この頃です。