中国にとって多難の2022年。習近平にとって勝負の師走

 2022年は本当にいろんなことが起こり、観察や分析が状況の進行と変化に追いつかない。

 中国を巡る昨今の情勢を見ながら、そんな心境を抱かざるをえません。

 北京冬季五輪、新疆ウイグル自治区における人権問題、米中対立、台湾問題、習近平(シー・ジンピン)総書記の3期目入りとさらなる権力集中、そして新型コロナウイルスの感染拡大を受けての「ゼロコロナ」策、ロックダウン…。

 今日から師走に入りますが、この1年を通じて、中国では政治、経済、外交を含めありとあらゆる事件、事態、事象が五月雨式に、交錯するように発生しました。中国で何が起こっているのか、中国はこれからどうなるのか、という感想を抱かずにはいられない状況が続いてきたと振り返ることができます。

 西に目を向ければ、ロシアとウクライナは依然として戦争状態にあります。停戦に向けた兆しは見いだせず、長期化、膠着(こうちゃく)化する様相を見せています。ウクライナ危機を解決するという観点からも、中国の意図や動向は注目されます。

 一方で、習総書記率いる中国共産党指導部の今の心境は、ウクライナ情勢どころではない、だと思います。現在、中国では近年まれに見る事態が発生しており、場合によっては、国家や社会の在り方や方向性を左右する可能性を内包しています。習氏にとって、この師走は勝負の月になると見ています。

ウルムチ市で発生した火災を引き金に全国に広がった「白紙革命」

 事の発端は、11月24日夜、新疆ウイグル自治区ウルムチ市にある高層住宅で発生した火災事件。これにより、少なくとも10人が死亡しました。同市内では100日以上実質封鎖状態にあり、地元政府による感染拡大防止措置が原因となり、車両が通れず消火活動が遅れ、火災からの救出を妨げた、故に助かる生命が助からなかったという声が上がりました。

 ウルムチ市政府は、25日夜に開いた記者会見で住民に謝罪し、犠牲者に弔意を表した一方、火災はコロナ感染者の出ていない低リスク地域の建物で発生したため、住民は下層階へ移動できたと主張。感染対策としての行動規制が原因で住民が脱出できず、死亡したという市民側の主張を否定しました。

 市民の怒りは収まらず、同日夜、ウルムチ市内では抗議活動が行われ、市民は「解封」(ロックダウン解除)を要求しました。そして、抗議活動は北京や上海など他地域にまで広がっています。

 11月27日、上海市の「ウルムチ中路」周辺で、ウルムチ市で亡くなった市民に哀悼を示す集会が行われました。ただ、哀悼集会だけでは収まらず、習総書記の退陣を要求し、言論の自由を求める抗議活動にまで発展していったのです。現場には多くの警官が駆け付け、一部抗議者と衝突、拘束される市民もいました。

 また、50を超える大学のキャンパス内でも抗議活動が起こっています。習氏の出身校である北京の清華大学でも「PCR検査は要らない、自由が欲しい」といった掛け声が発せられ、中には「清華大学の学生として、ここで意見を表明しなければ一生後悔する」と主張する学生もいました。

 そして、中国各地では現在「白紙革命」と称される運動が広がっています。A4サイズに代表される白紙を片手、あるいは両手で掲げることで、「言いたいことがあるが、それが言えない」、要するに、言論統制・検閲に対する抗議を示しているのです。

 私が本稿を執筆している11月30日現在も、中国各地では、北京や上海といった大都市を中心に、大量の警官が公共の場所に投入され、厳重な警備が敷かれています。まさに「警察国家」、「監視社会」を象徴する光景です。長期間続いてきた「ゼロコロナ」に対する不満、「ゼロコロナ」を背景に引き起こされた事件が引き金となり、中国社会における緊張状態は新たな、次なる段階へと発展していく可能性すら帯び始めているのです。

「天安門事件」以来最大となる政治危機の到来か?

 新たな、次なる段階について考えてみましょう。

 まず、足元では新型コロナウイルスへの新規感染者数が3万~4万人程度で高止まりしています。先週のレポート「中国で感染拡大。ゼロコロナ策解除の見通しは?」で解説したように、党大会を受けて、中央政府はゼロコロナ策を緩和するための具体的措置を出しましたが、昨今の感染拡大、および全国的に広がる抗議活動を受け、規制を巡る動向は予断を許しません。

 企業活動への影響も顕著に出ています。米アップル社が世界中で販売する「iPhone」の主力メーカーである台湾鴻海(ホンハイ)精密工業では、河南省鄭州市の工場で働く従業員約20万人のうち2万人以上が、ゼロコロナの行動制限に対する不満などを理由に離職したとされています。

 日本企業では、ホンダが11月10日から12月2日まで重慶市にある工場を操業停止しています。11月28、29の両日は、武漢市の工場も操業を停止しました。中国を生産、販売拠点とする外国企業は、引き続き「ゼロコロナ」を前提に、あらゆる要素を管理していく態勢が求められるでしょう。

 そして、私がある意味、新型コロナウイルスの感染拡大、ロックダウン、経済への影響以上に懸念するのが、「ゼロコロナ」下で起こっている昨今の事態が、政治危機に発展してしまう局面です。

 ここ数日、抗議デモが、大学のキャンパスを含めて全国的に広がっている現状を、1989年6月の「天安門事件」と比較し、それ以来最大の政治事件とうたう論調が見られます。私自身、過去33年で最大の政治危機に発展する可能性を否定するものでは毛頭ありません。

 一方で、当時と今とでは時代的背景や政治的環境が異なります。

 開明的な政治家といわれた胡耀邦(フー・ヤオバン)元共産党総書記の死去をきっかけに起こった天安門事件ですが、当時の中国社会は多様性や包容性を重んじ、一定程度の自由を謳歌(おうか)するようになっていました。そんな中、人々は民主化という明確な欲求を掲げて、天安門という特定の目的地を目指し、その周辺でデモ集会を行ったのです(運動は他の都市にも波及した)。

 一方の今回は、「ゼロコロナ」策の下で、全国民があらゆる行動、生活規制から犠牲を強いられ、そこに対する忍耐を失っていく中で、ウルムチで起こった火災を引き金に、抗議活動が全国に広がっていきました。民主化という明確な欲求も、天安門という特定の目的地もない。全国各地の国民(中産階級、労働者、知識人、大学生など)が権力者に求める欲求はさまざまです。単純に行動規制をなくしてほしい、PCR検査の頻度を少なくしてほしいと願う市民がいれば、現状に便乗して独裁者の退陣を求め、自由を獲得しようと躍起になる大学生もいます。デモ集会の「現場」も不確実、不規則に広がっています。

 また、1989年時になかったのがネット社会という要素です。人々がインターネットを通じてつながっていることで、どこで何が行われているかという情報の伝達が容易である一方、当局による監視や追跡も容易になります。抗議者と権力者の間の攻防がより緊迫した、不確実な様相を呈するのは必至であり、先行きもなかなか読めません。

 一つ言えるのは、習総書記率いる共産党指導部が、「ゼロコロナ」の緩和や自由を含め、国民たちの要望に安易に応える局面は考えにくく、権力者は、抗議者を宥めつつ抑える、言い換えれば、アメとムチを交錯させ、同時に駆使しながら、昨今の政治危機を乗り切ろうとするであろうという点です。それが功を奏すか否かは現時点では分かりません。

 両者の間で適切なコミュニケーションが行われず、均衡点を見いだせなかった場合、中国社会が一種の無政府状態(アナーキー)、無秩序状態(カオス)に陥る状況も否定できません。そうなれば、中国経済や企業活動の在り方を根底から揺るがしかねず、予断を許さない状況が続くでしょう。