返還25周年を前に「北京化」した香港政治

 7月1日、香港が中国返還25周年を迎えます。香港といえば、2019年6月、『逃亡犯条例』の改定案の提起を引き金に、大規模、長期間の抗議デモが起きました。当時、私は香港を拠点にしていましたが、人口750万人の香港の地で、約200万人の市民がデモに参加していた壮絶な光景は、今でも目に焼き付いています。

 一方、「お上」である中国共産党・中央政府は、自国の領土であり、主権が及ぶ香港の地が反中国・反共産党の聖地と化す事態に懸念と警戒を強めました。結果、『国家安全維持法』の採択、選挙制度の見直しが強行されました。

 これによって、香港で国家の主権や安全に脅威を与える行為や、その過程で「外国勢力」と結託する行為に対しては、同法違反で逮捕される制度的枠組みが完結しました。同様に、行政長官(行政府の首長)選挙、立法会選挙(香港の議員選挙)でも、立候補者を募る入り口の段階で民主派や反対派を排除する制度的枠組みが完結しました。

 一連の混乱の渦中にいた林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、続投に向けた次期長官選挙に立候補しない旨を表明。2021年3月の時点で、北京で党指導部に意向を伝え、了承を得ていたとされます。

 そんな中、5月8日、行政長官選挙が実施され、李家超(ジョン・リー)氏が当選。保安部(警察)出身で、中国公安部の指揮に忠誠を誓い、一連の抗議デモを抑え込んだ「功労者」です。李氏は唯一の候補者で、対抗馬なしで選出されました。各界の代表から成る選挙委員1,461人のうち1,428人が投票に参加し、李氏は投票者全体の99%を超える1,416票を獲得、過去最高の得票率となりました。昨年12月の立法会選挙同様、行政長官選挙も、香港政治の北京化を象徴する「出来レース」と化しました。

 7月1日の記念日に発足する新政府の閣僚も発表されました。李氏に次ぐナンバー2には、李氏と同じ保安部出身で、『国家安全維持法』の施行と同時に設立された国家安全維持委員会の事務局長を務めてきた陳国基(エリック・チャン)氏を任命。李氏同様、反中・反共抗議デモの鎮静化を含め、「治安の安定」、「国家安全の保障」で業績を上げた人物が政府内で昇進する香港政治の現在を象徴しています。

 7月1日を前に、中国の官製メディアは「香港返還25周年」を大々的に特集しています。新華社通信は、新旧行政長官などへのインタビュー記事を立て続けに掲載し、香港が近年の混乱を乗り越えて安定的な局面を取り戻したことを評価する論陣を張っています。李氏は同インタビューの中で「香港は統治から振興という肝心な時期に差し掛かっている。この5年という時間をしっかりと使い、安定した基礎を築きたい。そうすることで、今後、我々は上に向かって、何の心配もなく発展していくことが可能になる」と語っています。

 これに先立ち、5月30日、李氏は「上京」し、釣魚台国賓館で習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談しました。習氏は李氏に対し「あなたの中国を愛し、香港を愛する立場は断固としたものだ。責任を持ち、積極的に行動できる。異なるポストで任務を全うした経験もある。国家の安全と香港の繁栄と安定を守る上で貢献をしてきている。中央はあなたを充分に肯定し、信頼もしている」と語り、お墨付きを与えています。その際、習氏は香港の現在地と先行きに関して、

「香港はすでに混乱から統治へ(筆者注:中国語で「由乱到治」)という重大な転換を実現した。現状は、統治から振興へ(筆者注:中国語で「由治及興」)の肝心な時期にある」と修飾しています。李氏は習氏のこの表現を見習い、新華社へのインタビューでも「統治から振興への肝心な時期」という言い回しを、枕詞として使ったのでしょう。

 香港政治の北京化を象徴する一幕だと解釈できます。

習近平は本当に香港の地に現れるのか?何を語るのか?

 6月25日、新華社通信が「中共中央総書記、国家主席、中央軍事委員会主席習近平が香港祖国返還25周年大会および香港特別行政区第6期政府就任式典に出席する」と報じました。同日、李家超新行政長官をはじめ新政府の閣僚たちは「習主席の出席に熱烈な歓迎と衷心からの感謝」を表明。

 ここで注目されるのが、習近平国家主席が、本当に香港の地に姿を現すのかという点です。新型コロナウイルスの感染が拡大して以降、習氏は一度も出国していません。仮に7月1日に香港を訪れるとなれば、2020年1月以来、初めて中国本土の外に足を踏み出すことになります。「出席」であれば、北京からテレビ画面を通じても可能なわけで、実際この期間、習氏は各国の首脳とテレビ画面越しに出席や会談を精力的に行ってきています。

 当日どうなるかはふたを開けてみないと分かりませんし、私も現段階で断定的に語ることはできませんが、約2年半ぶりに中国本土から出て、しかも「混乱から統治」を実現したと自認する香港の地を訪れることで、政権の業績としてアピールしようという動機を習氏が持ったとしても不思議ではありません。上海でのロックダウン解除を受けて、「コロナに打ち勝った」と自らの行動を通じて訴えるという意図も働くかもしれません。

 私自身は、2年半もの間国内に閉じこもっていた習氏のコロナ後最初の外遊地として、香港は最適であると、党指導部の側近たちは判断するとみています。

 5年前の2017年7月1日、香港返還20周年時にも、習氏は香港に赴き、式典に参加し、新政府の行政長官や閣僚らと握手をし、彼らへの指令や激励を自ら行っています。式典で述べた談話において、習氏は返還後採用してきた「一国二制度」について、「歴史が遺留した、香港問題を解決する最良の方案であり、香港返還後長期的に繁栄と安定を保持するための最良の制度である」と描写しています。

 上記のように、あれから香港を取り巻く制度的環境は変わり、「一国二制度」は有名無実化した、あるいは完全に形骸化したとやゆされることもあります。香港はすでに混乱を脱したと認識する習氏は、5年越しの式典で何を語るのでしょうか。

 一連の特集では、「シルクロード経済ベルト」と「21世紀海上シルクロード」から成る「一帯一路」や広東省の主要都市(広州、深セン、珠海など)、香港、マカオからなる「大湾区」(グレーターベイエリア)といった国家戦略に、香港が積極的、大々的に参加するといった例を挙げながら、中国本土と香港の一体的発展が宣伝されています。習氏は、香港の中国返還の歴史的経緯、「一国二制度」の現在地、香港の未来などについて、国家戦略と民族復興の観点から語るものと想定されます。

 習氏が香港の地に現れるかどうか、式典で香港の現状と展望をどう語るのか。金融市場や中国経済の今後にも関わる一大イベントであるだけに、マーケット関係者の関心も高まっていると感じます。

香港はどこへ向かうのか?

『国家安全維持法』の施行や選挙制度の見直しなどを経て、香港政治の舞台で民主派や反対派が活躍する土壌は完全に失われ、大学、メディア、市民社会を含め、香港政治の「北京化」が既定路線となる始末を、私は香港大学を拠点に目撃していました。政治的に極めて敏感、かつ身の危険にも及んでしまう恐れがあるため、具体的描写は避けますが、「香港は変わってしまった」「香港で研究や発信を志すのは難しい」「そろそろ潮時だ」と感じる複数の場面に出くわしてきました。

 大学の研究者、ジャーナリスト、民主活動家、NGOなどが、香港の地でこれまでのような自由を謳歌(おうか)することはもはやできないでしょう。前述のように、民主派は政治の世界からも追い出されました。市民デモが政治に自由や民主主義を訴える場面も過去のものとなりました。こういう前提で、2022年7月1日、新たな政府が誕生するのです。

 中国問題や国際関係をなりわいとする私としては、「香港はつまらない場所になってしまった」という思いを禁じ得ません。

 ただ、私が本稿、本連載を通じて「北京化」と称する対象は、少なくとも現時点では政治に限定しています。国際金融センター、ビジネスハブとしての香港がどうなるか、どこへ向かうかは、別問題だという認識です。

「北京化」を象徴する一つの現象が、香港政府のコロナ対策に見いだせます。香港はこの地域におけるビジネスのハブです。ハブとして求められる一つの必須条件が、アクセスの良さですが、コロナ禍において、香港は非常にアクセスの難しい場所と化しました。感染状況により変化しますが、一時期は居住者以外の入国禁止、その後も、21日間、14日間、7日間の、政府が指定したホテルでの完全隔離が敷かれました。中国本土と同様の措置です。現在でもこの措置は解かれていません。厳しすぎる規制が、ビジネスのハブとしての効能や期待値を一気に下げるのは言うまでもありません。

 対照的なのが、金融センター、ビジネスハブという意味で、この地域における香港の競合相手であるシンガポールです。現時点で、出入国は基本的に自由になっています。コロナ対策が北京化する中、ビジネスハブとしてもはや適切ではないと判断した外資企業(一部中国企業も)が、アジアのヘッドクオーターをシンガポールに移す動きが比較的顕著に起こっています。シンガポール在住の複数の知人によれば、中国や香港から急速にやって来る移住者の数が多すぎて、住宅、特に賃貸住宅市場がひっ迫しているといいます。

 私がなぜこの例を挙げたのかというと、コロナ対策という香港政府にとっての政治マターが、経済・ビジネスの現場としての香港の価値に切実な影響を与えている一例だからです。北京化の波が、国際金融センター・ビジネスハブ香港の地位や役割にどう作用するかに関しては、慎重かつ継続的なモニタリングが必要であると思います。

 現時点では、政治と経済のデカップリング、すなわち、政治の経済への影響は限定的だと見ていますが、コロナ対策に見られるように、何かの事件や現象が「ブリッジ」となって、政治が経済を侵食する可能性も否定できません。

 個人的には、英国の植民地時代から保持されてきた司法の独立が政治に侵食されるか否かも、香港の行き先を占う上で重要な判断基準になります。仮に侵食されれば、多くの外資企業は「もうここではビジネスはできない。危険すぎる」となり、シンガポールに拠点を移すことになるのでしょう(日本とならないのが悲しいですが)。