リーマンショックから1年半近く経った2010年初め、金融規制改革(ドッド・フランク)法の一環として、銀行の自己勘定取引を禁止する通称「ボルカー・ルール」が提唱されました。提唱はされたものの、実は当時、私はその実現性は高くないと考えていました。理由として第一に、本当に導入されるとアメリカの銀行にとって影響が大き過ぎる事、第二に、自己勘定取引は金融危機の本質的な原因ではない事、第三に、ウォール街がカネにモノを言わせて導入に反対する積極的なロビー活動が予想された事、等が挙げられます。

実際、最近まで銀行業界は「抜け道」を作る交渉を有利に進めていましたし、当局にも今年7月とされていた決定時期を厳守しようという雰囲気は見られませんでした。しかし先週JPモルガンが発表した自己勘定取引での20億ドルの損失発表を受けて、一気に雰囲気が変わってきています。

ここで今一度、2008年を振り返ってみたいと思います。2008年3月証券会社ベアスターンが破綻。この時は当局が仲介に入る形でJPモルガンを使った実質救済の措置を取りました。しかしこのような措置を繰り返すわけにはいきません。「何かあっても救済してもらえる」とモラルハザードが生じれば、金融システムのリスクはどんどん高まっていくからです。覚えている方は少ないかもしれませんが、その後、ポールソン財務長官やバーナンキFRB議長から繰り返し「次の救済は無い」「自己資本を増強しておくように」という警告が発せられていたのです。

それでも2008年9月初に政府系住宅金融機関を救済せざるを得なくなり、完全に次の救済余力は尽きたと見られた時に起こったのがリーマンショックでした。後から「リーマンを破綻させたのがそもそもの誤り」という声を聞きますが、2008年の経緯を見ていればそんな甘えは到底許されない状況でした。ただ本当の問題はそれからでした。保険会社AIGを政府が救済した事によって取引相手の金融機関は兆円単位の損失を免れ、空売り規制によって株価の下落を止めてもらい、預金保険公社が保証する債券の発行を許され、公的資金注入によって過小資本の問題を一時的に解決し、大手証券会社はあっという間に銀行持ち株会社への移行を認められる事によって銀行同様の流動性を確保するなど、ウォール街の大手金融機関は、アメリカ国民から至れり尽くせりの救済措置を受けたのです。

ちなみに去年から格差解消を訴える「ウォール街を占拠せよ」という運動が起こっています。格差解消のチャンスがあったとすれば、リーマンショック後の、この数週間だったでしょう。大手金融機関の救済、そして議会で一度は否決となったTARP(不良資産救済プログラム)を断固阻止しておけば、経済は恐慌入りしたでしょうが、少なくとも大金持ちがそれによって多くの資産を失い、再び同じスタートラインに立つ事ができたかもしれません。

損失が出れば公的資金で助けてもらい、生まれた儲けは私物化する。金融危機が去るや否や、公的資金を拠出した国民が雇用情勢に苦しむのを横目に、大手金融機関はボーナス支給を再開しました。金融危機を通じて顕在化したこのようなアンフェアな状況を改善しようとしているのがボルカー・ルールです。即ち、公的資金で守らざるを得ない状況にある者が、自己勘定取引などでリスクをとるのはけしからん、という考え方です。

しかし実は、私はこれは本来あるべき解決方法ではないと考えています。今後リーマンショックのような事態を起こさないようにするには、そもそも「大き過ぎて潰せない」規模の金融機関を作らない方が先決であるべきだからです。そうすれば自己のリスクにおいて失敗した金融機関を、金融システムに迷惑をかける事なく退場させられる事ができます。しかし実際には金融危機を通じて大きい金融機関は守られ、中小の地方銀行はどんどん潰れていくという、あるべき姿とは反対の方に向かってしまっています。ボルカールールは、それであれば「大き過ぎる金融機関が潰れないように」しようという次善策に過ぎず、従って副作用は避けられないと考えています。

自己勘定取引を禁止する事によって確かにその分のリスクは低くなります。しかし同時に、恐らく大手銀行にとって手数料収入と並んで有力な収益源だったトレーディング収入が無くなってしまいます。金融危機を通じて証券化ビジネスも縮小した今、今後大手米銀は何で収益を上げていくのでしょうか? 自己資本規制が基準の厳しいバーゼル3に移行する中、貸出で3%のスプレッドを取っても税引き後では2%。貸せば貸すほど自己資本比率達成は遠のきます。となれば国債購入という選択肢しかなくなり徐々に邦銀化。米銀もとうとう年貢の納め時となるのでしょうか。

ボルカールールは、金融危機の反省としては根本的な解決方法ではない上、アメリカの金融システムに対するリスクを和らげる一方で金融機関の収益力を削ぎ、延いては貸出減少につながる可能性を高めます。アメリカがこのような道を選ぶ可能性は低いと考えてきましたが、ボルカールール決定を2ヵ月後に控えたこのタイミングで突然飛び出したJPモルガン損失のニュース、風向きを一気に変える事になるかもしれません。

(2012年5月14日記)